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一
今、死出の旅路を前にして、私が思いだすのは「和」という名前の少女の事。私の愛する妻と子どもたち、私が死の間際につぶやくのは、君たちの名ではなく「和」であることを、どうか許しておくれ。
この病室から見える海に沈まんとする夕日。私は今、その彼方に行けるのが嬉しくも感じる。願わくば、この病の痛みを長引かせず、そっと息を引き取りたい。そんな私を、どうかほほえんで見送ってほしい。
「和」との思い出……それは、人生でたった3年間の小学校での思い出。
私が、小学校4年生に上がった始業式の日。新しいクラスに転校生がきた。その子は、紺のセーラー服で黒板の前に立った。胸のリボンの赤が渋みを帯びて見えたのが私に何かを予感させた。今でもはっきりと思い出す。あのリボンの色と形を。
男の担任教師が、チョークを取り黒板に転校生の名前を書く。
『杉原 和』
「すぎはら かずです。朝日小学校から転校してきました。よろしくお願いします」
そう言って和は、頭を下げた。身長は私よりほんの少し高いと思う。少しハスキーがかった少年のような声。髪は耳が隠れるボブヘアーで、顔は……美人とか可愛いとかいうのではなく、声と同じく少年のような、きりりとした顔立ちという印象だ。私は、そんな和を見てドキリとした。その時まで私は、女子をいわゆる女性として意識することはなかった。だから、どんな子だろうと男子と同じような感覚で普通にしゃべって遊んだりしていた。でも、和を初めて見たあの時、私は胸のあたりがわさわさした。好きとか惚れるとかいう経験のなかった私には、ただ新鮮なちょっとワクワクする予感として意識された。
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