錠剤のキューピッド

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錠剤のキューピッド

「こちらの薬は、朝晩、卵料理の後にニ錠になります。一日分、出しておきますね」  受付の女性から、薬の入った袋を受け取る。 「卵かけご飯でも大丈夫ですか?」 「ええ。卵が関わっていれば大丈夫ですよ」  お辞儀をして、病院を去る。  卵料理のレパートリーを頭に並べながら、家までの道を歩く。ここは無難に、オムライスにしようかな。一般的な、ケチャップの。  五年前あたりから、急激に薬の開発が進んだ。詳しい事情は知らないけど、とにかく進んでいたらしい。  薬の見た目は、ほとんど変わらなかった。今まで通りの錠剤や、カプセルや、粉末だった。  変わったのは、摂取方法だ。 【朝晩、食後に二錠ずつ】  薬をもらう時に、こんな言葉をよく耳にしてきたと思う。しかし、今はただの"食後"という指示は滅多に聞かない。薬の進歩により、食べ物と薬の組み合わせによって、治癒能力や、治癒時間に変化が起きるようになった。組み合わせは、無限大らしい。  中華料理の食後に、薬を飲む。  ポークカレーの食後に、薬を飲む。  茹ですぎたパスタの食後に、薬を飲む。  揚げたてのコロッケの食後に、薬を飲む。    このように、簡単なものから、細かい指示のあるものまで、沢山ある。指示が複雑であったり、細かいものほど、治るのが早い。料金は当然高くなるが、大事な予定を控えている人にとっては、最高の薬になる。面倒な条件を飲み込めば、あっという間に症状が和らいでしまうのだから。  玉ねぎの入った袋をぶら下げながら家に帰ると、蛯名くんが、扉の前で待っていた。 「おかえり。薬どうだった?」 「卵料理の薬にしたよ」 「その玉ねぎからして、オムライスかな?」 「ふふ。正解」  二人で家に入り、蛯名くんはキッチンに、私はリビングのソファに座った。蛯名くんは、いつもの水色のエプロンをつけて、手を洗っている。  蛯名くんとは、薬がきっかけで、会うようになった。元々は高校時代の友達で、仲は良いけど、一緒に遊んだりとかはしていなかった。定期的に連絡を取り合っていた、だけだった。  前に私が風邪を引いた時に、中華料理の薬をもらったことがあった。そんな話を蛯名くんにすると「俺が作ってあげるよ」と普通に言われた。それからは、私が薬をもらうときは、毎回蛯名くんが家に来て、料理を作ってくれる流れになった。私たちは、薬をもらったときにだけ会う、そんな関係性だった。 「俺たちドラッグフレンドだね。ドラフレ」  そんな蛯名くんの冗談に、私はひとりでドキドキしていた。毎回、蛯名くんは料理を作りに家に来てくれるけど、全くそういう雰囲気にはならない。  私は蛯名くんのことが、多分好きだ。  だから、この関係性がムズムズする。薬がなくなると、蛯名くんも来なくなってしまう。薬と蛯名くんは、ニコイチ。  だから私は、蛯名くんに会いたいときは、無理やり体の異常を見つけ出す。少しでも腰が痛いなと思ったら、すぐに病院に行った。それで薬をもらって、蛯名くんに料理を作ってもらった。正直な気持ちを伝えなくても、蛯名くんに会えるから、それで多少の満足はしていた。  今回は、いつの間にかできていた小さなアザの薬なので、期間が短かった。たった一日。私は、料理上手な蛯名くんのケチャップオムライスを食べながら、体の痛みを必死に探していた。 「アザだから、早いね」  蛯名くんは、可愛い顔でそう言った。 「うん。一日だけ」  私は、小さい声でそう返した。  蛯名くんは「あっという間だね」とぎゅっと笑うと、食べ終わったお皿を流しに持っていった。その後ろ姿を見つめながら、私もオムライスを食べ終えて、薬をニ錠飲んだ。空っぽになった薬のゴミを、近くのゴミ箱に捨てる。もう、これで終わり。 「じゃあ、またね」  結局、何も起こらないまま、蛯名くんは帰ってしまった。これだと、本当に私たちは、薬の時だけに会う関係になってしまう。ため息をつきながら、布団に潜り込む。食器も洗わず、そのまま眠りについた。  次の日、インターホンに映っていたのは、腕を捻挫した蛯名くんの姿だった。  右腕が包帯でぐるぐる巻きになった蛯名くんは、笑いながらソファに座り込んだ。 「うっかりだよ。ド派手に転んじゃって」 「薬はもらったの?」 「もらってきたよ。それで、こんな腕だからお願いなんだけど、料理を作って欲しいんだ」  なんという幸運。満面の笑みがこぼれそうになるのを、じっとこらえる。ああ、嬉しい。 「期間は、どれくらい?」 「三日間かな」  意外だった。捻挫ということだから、もう少し長いものだと思っていた。 「早いね。てことは、薬の条件なかなか難しいんじゃないの?」  蛯名くんは、少し固まっていた。 「ああ、うん。まあね。とりあえず、今日はナポリタンがいいな。そうそう。ナポリタン」  なんだか焦っている様子の蛯名くんに戸惑いながらも、私は「うん。了解」と返事をして、キッチンに向かった。  私は、渾身のナポリタンを作ってやろうと思った。この美味しさで、蛯名くんを落としてやろう、くらいの勢い。手料理の持つ魔力を、最大限に使ってやろう。  適当にカットした玉ねぎとピーマンを中火で炒めていると、後ろから物音がした。振り返ると、蛯名くんはトイレに行ったようだった。  私は火を止め、忍足で、リビングに置いてある蛯名くんのリュックに手を伸ばした。チャックの音が響かないように、ゆっくりと開けていく。すると、中に薬の袋が見えた。さっきの妙な態度が気になっていた私は、蛯名くんのもらった薬の条件を確認したくてたまらなくなっていた。  おそるおそる袋を取り出し、中の説明書を見る。そこに書かれていた条件は、予想だにしないものだった。 【好きな人の手料理の食後に、三錠】  水の流れる音がして、私は急いで薬の袋をしまって、キッチンに戻った。高鳴る胸を抑えながら、玉ねぎとピーマンの続きを炒めていく。  好きな人の手料理。  間違いなく、そう書いてあった。蛯名くんも私と同じ気持ちだった。こんなナポリタン作りなんかやめて「私も好きだよ」と叫びたい気分だった。でも、やめておいた。  この気持ちは、蛯名くんの腕がちゃんと治ってから、その時に伝えようと思った。私たちを繋いでいる薬を飲み終えた時に、ドラッグフレンドじゃない、ありのままの私たちで確かめ合いたい。そう思った。  ケチャップを入れて、少しだけ酸味を飛ばして、茹で上がったパスタを入れて、ナポリタンが完成した。平然とした顔で、ナポリタンをテーブルまで運ぶ。 「ありがとう。いただきます」 「うん。いただきます」  お互い、明らかに緊張していた。  そのせいで、食べるスピードが上がり、ナポリタンをあっという間に食べ終えてしまった。  蛯名くんは、そっと薬を袋から取り出すと、三錠を口に放り込み、水で流し込んだ。  私はじっと、蛯名くんの目の前に置いてある、残りの錠剤たちを見つめていた。  私たちの恋のキューピッドは、この錠剤。そう思うと、なんだかおかしくて、笑いが溢れてしまった。 「なんで笑ってるの?」  蛯名くんは、不思議そうな顔をしている。 「変な時代だなあ、と思って」  私は、薬の開発者たちに心の底から感謝しながら、お皿を流しに持っていった。  流しには、昨日の分も相待って、ケチャップで汚れたお皿が大量に溜まっていた。絶対に汚いはずなのに、その時だけは、綺麗に見えた。
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