およぐ、およぐ。

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およぐ、およぐ。

 これは僕が小学生の時にあった、ちょっと怖い話。  小学校六年生の夏こと。お父さんが唐突にこんなことを言いだしたのだ。 「そうだ、水族館に行こう。それがいい」 「んん?」  夏休みだしどこかに出かけたいね、なんて話が家族で出ていたのは事実だ。ちなみに、我が家は四人家族。お父さん、お母さん、僕、それから二つ年下で当時小学四年生の妹。  ちなみに、お父さんと妹は身長がものすごく大きくて、僕とお母さんは結構なチビだった。顔も、妹はお父さん似で、僕はお母さん似である。体格面も似てしまったのだろう。小六の男子と小四の女子なら男子の方が大きくなりそうなものだが、僕は妹より全然小さくて、弟だと勘違いされることも少なくなかった。妹が女子バスケットボールクラブに入ってから、にょきにょき身長が伸びちゃったというのもあるのだろうが。 「水族館?海とか山じゃないの?」  運動神経抜群、良くも悪くもはっきりものを言うことが多い妹である。遊園地や動物園、水族館といった場所より体を動かすようなところに行きたかったのだろう。やや不満げに眉間に皺を寄せて言ったのだった。 「夏休みつったら、そっちの方がメジャーな気がするしー。水族館なんて、冬でも行けそうなのに」 「そりゃそうだけど、今年はちょっと山や海に行くのは気が進まないんだよ」  そんな妹に、お父さんは苦笑して言った。 「ほら、いろいろ規制が緩和されて今年からわーっと海や山に人が溢れただろ?テレビでも言ってるし、ネットでも調べたけど凄い混雑みたいなんだよ。正直、近場の海や山でもまともに遊べるかどうか。せっかく遊びに行っても、人だらけでコミコミじゃ楽しくないだろ?海の家で焼きそばも食べられやしない」 「そりゃーそうだけど……」 「マスクしてない人が増えてそういう意味でも不安だしなあ。……同じ理由で、大型の遊園地も結構混雑が凄いみたいで。ほら、ジェットコースターが180分待ちだと」 「うげ」  お父さんが見せてくれたスマホの画像を見て、僕は思わず呻いたのだった。関東近郊に住んでいる人ならばきっとわかってくれるだろう――さながらそれは、渋谷のスクランブル交差点もかくやといった光景である。乗り物待ちの列が凄いことになっているのだ。黒い頭がさながらずらーっと並んでいる(時々外国人らしき金髪や茶髪も見えるが)。この炎天下、屋根のない場所に延々と並ぶのはちょっとハードな修行に近いものがあるだろう。  なんとなく、お父さん言いたいことは僕にも理解できた。夏休みに遊びに行きたいのはやまやまだが、大幅に混雑する場所や、猛暑の中長時間並ばなければいけないような場所は避けたいというわけだ。 「A水族館なら、まだ空いているらしいんだ。夏休みが始まる前の土日なら子供も少ないし。それに、屋内だから熱中症リスクも少ない」  A水族館、というのは県外の大きな水族館の名前だった。ちょっと事情があるので、名前は伏せさせてもらうことにする。県外だけれど、僕達の家は電車の便がいいところにある。電車を使えば、一時間も要らずに行ける場所にあった。  SNSでも熱心に情報発信していて、可愛らしいイルカやアシカの写真や動画がよくアップされているところでもある。前々から僕やお母さんが“久しぶりに行きたいねえ”と話していたのを、お父さんも覚えていてくれたのかもしれない。僕達が最後に行ったのは僕がまだ幼稚園で、妹が赤ちゃんだった時のことだ。妹なんぞは、きっと記憶にも残っていないことだろう。 「それに、動物園や遊園地より涼しそうな雰囲気だと思わないか?A水族館のアシカショー、ちょっと前にリニューアルされたらしくてな。面白いらしいぞ」 「う、それは気になるかも……」  何で水族館?と渋っていた妹も段々乗り気になってきたようだ。お父さんがスマホでサイトを見せると、結構熱心に覗き込んでいた。 「確かに、混雑も嫌だし、暑いのも嫌よねえ」  そして、トドメがお母さんの鶴の一声である。 「よし、じゃあ来月頭にでも行きましょうか、水族館!空いているようなら、近くで宿取ってもいいしねえ」
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