第2話

1/1
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/48ページ

第2話

 また伊達眼鏡を押し上げつつ霧島の方を窺う。  眼鏡はスナイパー時代に自分を目立たせないためのアイテムとして導入しただけなので日常生活には必要ないのだが掛け慣れてしまい、もうフレームのない視界は落ち着かないのだ。  おまけに霧島以外の他人がいる場所で野暮ったいメタルフレームの眼鏡を外すと、霧島の機嫌が明らかに悪くなるので簡単に外せない。  そのレンズ越しに見ると霧島も灰色の目をこちらに向けている。視線で「手伝ってくれないか?」と訊かれ、「だめです」と答えた。  そんなアイコンタクトに気付いた隊員たちが揶揄する。 「鳴海、手伝ってやれよ。定時まであと五分だぜ?」 「せっかくの連休が終わっちまうぞ」 「そうそう、ダーリンとしっぽりナニする時間が減るだろうが」 「隊長も若いから週末は溜め込んでるもんなあ」 「『京哉、今夜はお前が妊娠するまで攻めてやる』なんてな!」  恥ずかしくて堪らなかったが女性率の極めて低い職場でこの程度は挨拶代わりだ。異動してもうすぐ一年、京哉も表情を変えない技は身に着けていた。  それでも少々頬に血が上ったのを誤魔化すため、足元に巻きついてきたオスの三毛猫ミケを構う。  特別任務の付録としてついてきたミケを本当は飼いたかったが、霧島と暮らすマンションはペット禁止だったのだ。  苦肉の策でこの詰め所につれてきたけれど、ここなら二十四時間誰かは必ず詰めているのでミケが一匹で置き去りになることはない上に広いのでミケも快適らしい。  猫好きの同志を募ってエサやトイレもちゃんと当番表が出来ている。  普段はえげつないほど気性の荒いミケだが今日は京哉の相手をしてくれた。  そうしながらも霧島がじっと視線を寄越し続けているのは気付いている。今更手伝えというのではなく、自分を無視してミケと遊んでいるのが気に食わないのだ。  猫にまで嫉妬しつつ書類作成に励んでいる霧島(しのぶ)は二十八歳。階級は警視だ。  この若さで警視という階級にあり機捜隊長を拝命しているのは最難関の国家公務員総合職試験を突破したキャリアだからである。更には霧島カンパニー会長の御曹司でもあった。  そのため警察官を辞めたら霧島カンパニー本社社長の椅子が待っているのだが、本人はキャリアが本来進むべき内務ではなく現場を強く希望して願い叶った以上、現場のノンキャリア組を背負ってゆくことを至上として辞める気は微塵もない。  大体、実父である霧島会長が気に食わない。いや、人間として許せないのだ。  京哉とは『御前』などと呼ばせ妙に気の合う処を見せているが、裏ではどんな悪事でも働いている極悪人である。証拠さえ掴めたら逮捕も辞さないと明言しているものの、どうやっても尻尾を出さないので霧島は一方的に蛇蝎の如く嫌っていた。  京哉にしてみたら御前は少々黒い話もできる面白い人物なのだが、確かに霧島カンパニー社長にでもなって御前と他社の買収話をする霧島というのも想像できない。  そういったことを考えながら京哉は霧島に気付かれない程度にチラ見した。霧島会長の愛人だったハーフの生みの母譲りの切れ長の目は特徴的な灰色だ。  その造作は怜悧さすら感じさせるほど整っている。オーダーメイドスーツに包んだ百九十近い長身はスリムに見えるが、あらゆる武道の全国大会で優勝を飾っている猛者でもあった。  まさに眉目秀麗・文武両道を地でゆく、他人から見れば極めて恵まれた男である。  そんな男を女性が放っておく筈もなく『県警本部版・抱かれたい男ランキング』で数期連続でトップを独走しているが、生来の同性愛者という事実を隠してもいない。  お蔭で京哉はやや安堵していられるのだ。そんな京哉こそ霧島との仲が広まって有名人になり京哉までもがランキング上位に食い込んだり、警務部の制服婦警が中心になって結成した『鳴海京哉巡査部長を護る会』が六十名を超えたりで、ここ暫く霧島を苛立たせている。 「京哉くん、霧島さんばかり見てるヒマがあるなら手伝ってくれよ」  口に出し泣き事を垂れたのは小田切基生(もとお)、二十六歳で階級は警部だ。こちらもキャリアで霧島の二期後輩である。京哉と同じくSAT狙撃班員でもあった。  自称・他称『人タラシ』で以前は京哉にもちょっかいを出していたが、現在は同期でかつて付き合っていた県警生活安全部(せいあん)香坂(こうさか)警視と縒りを戻し、多少落ち着きを見せていた。 「だめです。たった二通でしょう、僕は朝から六通も書いたんですから」 「つれないなあ。それに俺、十八時に(りょう)と約束してるんだよ。頼むよ」 「音に聞こえたキャリアとして意地を見せて下さい」  こんな風に相手をしていては、いつまで経っても書類は終わらない。そう思い京哉は煙草を消すと席を立った。上司二人だけでなく晩飯休憩中の機捜隊員らの視線を引きずりながら武器庫に向かう。スーツのジャケットの下にショルダーホルスタで吊った銃に手をやりながら武器庫係の宮尾(みやお)警部補に声を掛けた。 「整備したいので開錠願えますか?」 「はい~、分かりました~」  宮尾マリカは小柄な京哉より更に小柄な制服婦警で機捜の紅一点である。    しかし職場の花という雰囲気は皆無で、前髪がすだれのように鼻先まで伸びて表情が見えない変人だ。京哉に匹敵するほどの銃器に関する知識量を誇るヲタ仲間でもあった。極めて軽いノリで京哉とハイタッチしてからマリカは武器庫を開けてくれる。  武器庫内に入ると京哉は銃を抜き出し、雑毛布を敷いたデスク上で整備し始めた。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!