三十一

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   僕はこんな視線に旭が縛られてしまうのが、ずっと許せなかった。 「違う。旭の人生を好き勝手に選択していい権利なんて、あなたにはないんですよ」 「言い方が悪いなぁ、誠」 「……」 「僕は旭のためになることをしているだけだよ」 「……言い方なんて、どうだっていい。結果的にはあなたの都合の良いようにしてるだけだ。そんなことをしていいわけはないんです」 「ううん、僕にはその権利がある」 「何を根拠に言ってるんですか」 「僕は旭の兄だから」  向けられる微笑みは、その言葉を誇示するような色をしていた。意図的なものだと思った。そうすれば僕が気分を害することも、何も反論できなくなることも、判った上でやっているのだ。僕は思わず目を逸らし、少し俯く。  僕は恋人にもなれなかったし、もちろん兄になれるわけもない。旭を繋ぎ止めておける肩書きのない僕では、何も出来ないのか。悔しさももどかしさも、とうに振り切れていた。 「……あなたは旭のためなんかにやってるんじゃない。ただ、旭を自分のものにしたいだけでしょう。家から出して、日高や僕と連絡がつかないようにしたのも、全部あなたの計画だったんじゃないんですか。あなたの思い通りにするには、僕たちが邪魔だったから」  顔を上げると再び視線がぶつかって、僕は言葉に詰まってしまった。  目の前の彼の表情に、言葉を全て奪われてしまった心地がした。 「そうだよ」  自分で詰め寄っておいて、あまりに平然としたその返答に僕はたじろいでしまった。 「ちょうどいい機会があったんだ。裕人は嫌いじゃなかったけどね、旭の恋人を名乗るにはちょっと頼りないし。誠は頑張ってくれたけど、これで役目はもうおしまい」 「……役目?」 「学校生活では最低限友達の一人くらいいないと不便なことも多いだろうからね。ただでさえあんまり学校に行かない上にあの不愛想じゃ、ろくに人間関係なんか築けない。僕の知り合いに面倒見てもらってもいいけど、せっかくだから誠にお願いしようと思ってね。だから誠には感謝してるよ。ご苦労様」 「僕は……っ、僕はそんなつもりで、旭の傍に居たわけじゃない……っ、あなたのためじゃない、僕は、旭のためにッ」 「そう。旭のため」 「……っ」  彼は僕のほうへ一歩近づく。後退りをしようとしたけれど、足が動かなかった。 「誠、お前も僕と同じだ」 「……違う」 「旭のためだって言って、旭を自分のものにしようとしてるだけ」 「違う、僕は」 「だから誠は駄目なんだよ」 「……っ」 「お前に旭は渡さないよ。旭は僕の、大切な弟だからね」  何か言い返そうとした瞬間、彼は再び微笑んだ。偽物だと分かっているその優しさに、どうしてこうも足をすくわれてしまうのだろう。 「……旭に、っ……会わせて」 「わざわざ志望校を蹴って、あんな底辺高校にまで行って、旭の面倒見てくれてありがとう。大学落ちたのも、旭のことを気にかけすぎた所為? 誠は本当に、頑張ったよ」  頭上へ伸ばされた手を、叩き落とす。 「……黙れ」 「うちの大学、浪人組も少なくないと思うし、来年もう一回受けてみなよ。誠はそろそろ、自分の人生を考えていいんだよ。旭のことは、もう僕に任せて」  藤谷昇の顔をめがけて拳を振った。人を殴ったことなんかない。バランスを崩してよろめいたのは僕の方だった。  簡単に避けた彼は少しの動揺も見せずに、腕時計に目をやった。 「じゃあ、僕はもう帰るね。誠ももう用は済んだでしょ。受験のことで相談があるなら、また今度来てくれる? あんまり、無理しないようにね」 「……っ」 「応援してるよ」  僕はぼやけた視界で、背を向けた影をただ見ていることしか出来なかった。力の抜けた膝が折れて、しゃがみ込む。遠くで鳴き始めた蜩の声が、僕を煽っているような気分だった。空を切った拳をコンクリートにぶつける。じわじわと血が滲むのがわかった。 「……旭」  僕は、どうにかして旭を探し出そうと誓った。  
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