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 翌月、一天の受験先が本人の希望する高校に決まった。  学校見学会に参加した寿一が、三奈の店に髪を切りにきて「零にも世話になった」と言ったそうだ。  零は一天とスマートフォンのメッセージアプリでつながっているので、本人からすでに聞いていたが、寿一に礼を言われるのは照れくさい。顔を見られなくてよかった。 「一天くんは、内申点も悪くないし成績を落とさなければ大丈夫、らしいけれど……」  言葉じりを濁すのは、三奈も淋しいからだろう。そう感じることが不自然ではない距離に、二組の親子はいる。    零は、かつて自分が抱き上げた一天の小さな身体を思い出していた。  寿一夫婦には結婚した翌年の6月に、長男の一天が生まれていた。当時はベビーカーを押して散歩をする奥さんをたまに見かけることがあったが、それ以上の付き合いはなかった。それから2年半ほどが過ぎ、季節としては一年で最も寒い頃だった。  その日、零は自分自身の練習のために三奈の店にいた。複数の店舗を持つサロンに就職して3年目、スタイリストになるための試験が目前だった。カットをさせてくれた常連さんを、店の出口で見送ったときに小さな声を聞いた気がした。  店の横にまわり、隣の平屋に目を向けた。  冬の夕方、あたりが薄闇に包まれるなか、その家は真っ暗で静まりかえっている。一歩踏み出した瞬間、子どもの甲高い泣き声がはっきりと聞こえてきた。 「ずいぶんぐずってるな。でも明かりもついていないのは、お母さんが具合でも悪いのか」  すぐに店へと取って返し、三奈に声をかけた。二人はお節介を承知の上で家の外から呼びかけたが、いっこうに返事がない。子どものしゃくりあげる声に急かされ、寿一の会社へ電話をかけた。その間にも泣き声は断続的に聞こえてきて、零たちの不安は増す。悠長に主の帰宅を待っていられず、零は鍵のあいていた台所の窓から侵入した。暗い部屋のなかで泣いている一天を抱き上げたとき、家の中に母親の姿はなかったのだ。 「合格したら盛大に祝ってやらないとな」  嫌な記憶をふりはらうように、零が大げさに明るい声をだす。 「あなたのときよりどきどきするわ」  三奈が痛そうに胸を押さえた。  梅雨があけたとたんの酷暑に辟易しながらも、あっという間に盆が過ぎた。  零は一天の家の縁側で、持ってきた西瓜を食べている。 「来週から学校だろ? 勉強は順調か?」 「大丈夫だよ。夏期講習もあったし、スケジュールどおりに進めてるから」 「おまえ、そういうとこきっちりしてるよな。父さん譲りか?」 「どうだろう。うちの父さんは計画的というより、黙々とやるタイプだからね」    大口を開けて西瓜にかぶりつく横顔には、小さい頃の面影がわずかに残る。山名親子はよく似ているが、例えるなら父親が和風で息子は洋風だ。零は、かっこよくなってきたなと思う。  一天の母親が家を出たあと、二人はまるで年の離れた兄弟のように過ごしてきた。寿一には子育てを手伝ってもらえる親族が近くにいなかったせいだが、三奈の性格によるところが大きい。「遠くの親戚より近くの他人でしょ」と笑っていたのは、実家を頼れずに子育てをしてきた三奈の本音だったと思う。必然的に零もそれに協力したが、不思議と嫌だと思ったことはなかった。 「そうだな。寿一さんはコツコツしてそうだな」 「僕が出てったら、零くんが父さんのことちゃんと見ててよ」 「俺が?」  一瞬、目元に真剣な色を浮かべた一天だが、すぐに笑顔にもどると、それ以上は何も言わなかった。  秋になり、一天は残りの中学校生活を満喫しているようだった。零は部活をやめてから伸ばしている髪を整える名目で、一天に会いにいった。内心では心配している三奈へその様子を伝えると、あきらかにほっとしていた。  自分が受験したときもきっとこんな感じだったのだろうと思えば、零は少しだけ自身の態度を反省するのだった。        
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