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推し、発見!
「烏帽子岩を見に行こうよ!」
「えぼし岩?」
バイト先の先輩に誘われて、週末カヤックで烏帽子岩へ探検に行くことになった。
カヤックなんて乗ったこともないのに、いきなり茅ヶ崎の海岸から1.2kmも漕いでいくらしい。
「片道1時間の設定だけど、うまくいけば30分ほどで着くんだって」
私は警戒した。
なぜなら、彼女の情報はいつもザックリだからだ。
ヒドイ時には嘘八百の時もあった。
「私が下調べしないとダメなパターンだな。うん」
私は心の中でうなずいた。
早速、バイト後にアパートの部屋でパソコンを開く。
まず、『烏帽子岩』を検索。
確かにカヤック初心者でも楽々島まで行けるらしい。
だが、油断はできない。
この夏も「サイクリングしよう!」と誘われてヒドイ目に遭ったばかりだった。
新調したウェアに着替えて衣装バッチリで観光センターに行ったら、一台もレンタサイクルが残っていなかったのだ。
それでも先輩は「せっかく来たんだし」と観光を楽しもうとする。
おかげで全身タイツみたいな格好のままバスで半島のサイクリングコースを一周するハメになった。
あんな恥ずかしい思いはもうしたくない。
だけど、私は自分自身にも不安を抱いていた。
「私だってそんなにしっかり者じゃないし……」
誰もいない一人の部屋でつぶやく。
人生の進路をキッチリと決められる人なら、大学卒業後すぐに百円ショップのバイトを始めたりはしない。
「私はどこへ向かっているのだろう?」
私は23歳にもなって東京のド真ん中で漂流しかけていた。
その点で言うと、まだ先輩のサキさんは進むべき道へ向かって進んでいる。
「ロックを極める」と髪を赤く染め、バンドのボーカルを始めたのだ。
30歳のサキさんが最年少のガールズバンドを突然結成し、先月から。
サキさんがどこへ向かって走り始めたのかは知らない。
正直、興味も湧かなかった。
自分の将来にさえ興味が湧かないのだから……。
どうも、私には欠点があるようだ。
そのことに最近気づいた。
私は自分自身の心をトキメかせるのが下手なのだ。
だから、やりたい仕事も見つからない。
恋も億劫。
そんなことじゃ、人生つまらないぞ!
……とは、思う。
だけど、心が動かないのだ。
どうしようもない。
なんてことを、ぐちゃぐちゃ考えていた時だった。
「ン?」
ネットの地図の上でカーソルを移動させていたら……。
「何かある?」
目的地の茅ヶ崎の烏帽子岩と藤沢の江の島の間に「何か」が。
「あるはずのない島」がふと目に入ったような違和感。
再びマウスを操作して、カーソルを動かしてみる。
「あった!」
少しずつ画面をスクロールしていくと、突如その「島」が現れた。
ちょうど辻堂を南にいった海の上。
烏帽子岩と江の島の中間あたりに見たことのない新しい島が誕生していたのだ。
海底火山の爆発?
それとも、埋め立てした人工の島?
または、元々あった島だけど私の勉強不足?
いやいや。
江の島の半分ほどはあるぞ。
そこそこ大きな島だ。
東京に住んでいて今まで知らないってことがあるだろうか?
絶対にまだ誰も知らない島に違いない!
新しい島を拡大してみる。
「おおッ!」
ホテルやレストラン、カフェに神社まである!
観光地じゃん。
そんなバカな?
試しに地図の下のおなじみの黄色い人形をつまんで、島の上でぶら下げてみた。
すると、島の中の道路が青く表示されるではないか。
「ストリートビューまであるじゃん!」
私は興奮していた。
すぐに黄色い人形を落下させる。
画面に映ったのは、ごくありがちな島の海岸通りだった。
クリックを繰り返し、先へ先へと通りを進んでみる。
背の高いヤシの木の街路樹。
リゾート感があふれる。
海岸側にはヨットハーバーがあるのだろうか。
帆を立てるポールの先端が並んで見える。
山手側は斜面にいくつか家が建っている。
おそらくお金持ちの別荘だろう。
しばらく行くと、小洒落た店が立ち並ぶエリアになった。
レストランやカフェなどの商業施設だ。
さっき地図で見た神社の鳥居も見えた。
すると、通りから少し奥まった場所に何か大きな建物が……。
それは、ガラス張りの外観の美しいホテルだった。
引き込まれるようにマウスを操作し寄り道をする。
ストリートビューはホテルのエントランスまで繋がっていた。
画面の角度を変えて、ホテルのあちこちを確認する。
人生で泊ったこともなければ、近づいたこともないリゾートホテル。
私はその全貌を眺めた。
「ドキッ」とした。
心がトキメいたのだ。
「こんなに素敵なホテルがあるなんて!」
ストリートビューがホテルの中まで繋がっていればいいのに。
マウスをクリックしたが、さすがにホテルの中には入れなかった。
どんな感じのホテルなのだろう?
客室は?
お風呂は?
食事は?
興味がどんどん湧いてくる。
せめてもう一歩ホテルに近づきたいと、場所をずらしてクリックしてみた。
「ハッ!」
思わず声が出た。
突然、画面にホテルマンの青年が現れたのだ。
驚いた。
驚いて「ハッ!」と声を出した自分自身に驚いた。
心がこんなに動くなんて。
画面を食い入るように見つめる私。
そこには、爽やかな笑顔でこちらを見つめるホテルスタッフの青年が立っていた。
少しはにかんだような照れ笑い。
きっと、ストリートビューの車をお客さんの車だと勘違いしたのだと思う。
駆け寄ってみて「あ、違う?」と気づいた瞬間のように見えた。
それにしても、よく撮れたなというほどの魅力的な笑顔だ。
純粋そうな澄んだ瞳が印象に残る。
口元に視線を移すとチャーミングなえくぼがあった。
そして、まぶしいほどの白い歯。
半袖のシャツからのぞく細い腕には引き締まった筋肉がついている。
さらに、長い脚。
私の親類縁者を全員あたっても、あんなすらっと伸びた脚の持ち主はいない。
で、何て名前?
胸のネームプレートを拡大してみる私。
「横澤……」
ふーん。
こんなに興味をそそられるなんてッ!
人生で初めての「推し」が決定した。
それから二週間後、カヤックでの冒険当日になった。
今回は首尾良くカヤックも借りられたし、波も立っていない。
絶好の冒険日和だった。
先輩が前、私が後ろで茅ヶ崎の海岸を初心者カヤックは出航した。
最初は慣れないオールも次第に上手くさばけるようになってきた。
呼吸を合わせて先輩とカヤックを前へ、前へと進める。
あの「島」が実在するのなら、ちょうど今頃左手に見えてくるはずだ。
私はそう思いながら、切ない気持ちになった。
もうあの「島」はどこを探しても存在しない。
ネットの地図の画面をどんなにスクロールしても。
バズったら「即削除」。
そんなルールだったのだ。
地図アプリの運営会社が「お遊び」で作った仮想の島。
すぐにバズらないように、でもちょっぴり目立つ場所に仕掛けられていた。
それを私が見つけたのだ。
たまたま烏帽子岩へのカヤック冒険の予定があったから。
私はこっそりと楽しむつもりだった。
だって、誰も知らない私だけの「推し」のつもりだったから。
だが、意外にも一週間も持たずにバズってしまったのだ。
仮想の島のリゾートホテルに勤務する実在しないスタッフの『横澤クン』。
私の特別な「推し」。
なのに、あっという間に『#横澤クン』は拡散しトレンド入りした。
そして、『横澤クン』は消えた。
「なぜ? どうして? 何があったの?」
私はパニックになった。
ネット上に削除された理由の記事を見つけ、脱力した。
「バズったら削除なんて……」
しかし、すぐに違うカタチで『横澤クン』は復活した。
島が地図から削除された後、すぐに彼のプロモーションが始まったのだ。
『横澤武』。
次々にメディアに露出を続ける横澤クン。
「あのウワサの島のホテルスタッフがTV初出演!」
「本日、バラエティー番組にあの横澤クンが登場!」
「今夜、仮想の島が生んだニュースター『横澤クン』が生出演!」
何と『横澤武』は大手プロダクション所属の今年イチオシの若手俳優だったのだ。
最初から彼を売り出そうという戦略だったらしい。
ホテルスタッフの『横澤クン』はウソだったが、俳優『横澤武』を売り出す熱量はホンモノだった。
その仕掛けにまんまとハマった私。
見事に『横澤武』のプロモーションは成功した。
「引っかかった」と分かった途端に私の熱は冷めた。
「素朴な島のホテルマンじゃないのかよ!」
心の中で、実在してほしい願望があった。
どこかに実際に存在するリゾートホテルの本物のスタッフだったら……?
「絶対に泊りに行くよ!」
あの笑顔で出迎えてくれるなら、必死でお金を貯めて旅行に出ようと思った。
しかし、『横澤クン』の正体は野心をギラギラ燃やす俳優『横澤武』だったのだ。
「芸能界の荒波を乗り越えていくぜ!」
そんな気合いの入った青年なのかよ。
私とは別世界に住む人間だ。
永遠に出会うこともない。
あーあ。
スマホの待ち受けにしていたスクリーンショット画像を削除した。
惜しいとは思わなかった。
見たければ、ネットを検索すればいい。
あの島のホテルの前で笑う彼の写真はいくらでも見つけられるだろう。
ロスを感じている『横澤クン』のファンたちがアップしたスクショ画像だ。
島がバズって削除された後、続々と現れた人たちがいた。
『横澤クン』の「第一発見者」たちだ。
誰もが「最初に彼を見つけたのはアタシ!」と言いたがった。
私はとてもそんなアピールをする気になれなかった。
何日の何時何分何秒に『横澤クン』と出会ったか?
そんなことはどうでも良いことだったから。
私たちが『横澤クン』を発見する前に、すでに俳優『横澤武』は芸能プロダクションの人に発見されていたのだ。
そう考えると、私はまた無気力人間に戻ってしまう気がした。
せっかく私の心にパチパチと火が付きかけたのに……。
つまらないことを考えていたら、オールを漕ぐのをサボっていた。
「いけない!」
我に返って、私は目を疑った。
前にいる先輩も、私と同じように左手の海をぼんやりと眺めていたからだ。
二人ともオールを漕いでいなかった。
カヤックはチャポチャポと波に打たれながら、ただ海の上で揺れていた。
まさか、先輩も「あの島」を発見していたのだろうか?
「先輩?」
声をかけると、振り返る先輩。
気のせいか、先輩の目が赤い。
潮風にやられただけではないようだ。
「『横澤クン』って知ってる?」
涙声の先輩。
「アタシ、大好きだったのよ」
あらあら。
私は適当に返事した。
「最近、テレビでよく見ますねぇ」
「ロスでさ、髪の色を元へ戻しちゃった」
おっと、気づかなかった!
改めて見ると、先輩の髪が赤から茶髪に変わっていた。
やっぱ私、全然先輩に興味ないのかも。
しかし、私は私自身の変化に気づいていた。
何に対しても興味が湧かなかった私だが、少しだけリゾート旅行に行ってみたいと思うようになったのだ。
今まで私には縁が無いと思っていたのに。
キラキラと輝く美しいホテルと、弾ける笑顔の親切なスタッフ。
今のところは異次元の世界に感じる空間だ。
そんな場所に足を踏み入れる瞬間を頭の中に思い描く。
「ドキッ」とした。
「行ってみたい」と思った。
もしかすると客として宿泊を体験したら、今度は「ここで働いてみたい」とスタッフ側に回りたくなるかもしれない。
私の一生に一度あるかないかの「キッカケ」を掴める予感がした。
先輩を誘ってみようかな?
私の話に乗ってくれるだろうか?
前を見ると、まだ先輩は『横澤クン』を引きずって左手の海を見ていた。
「アタシさ、第一発見者なのよね」
「へぇ」
私の間の抜けた声が波間に溶けていった。
(了)
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