蘇生薬

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蘇生薬

 オックス・リーを最後に殺せるのは、願わくば俺でありたいと思っている。まだまだ殺す気はないがね。そもそも彼はとっくの昔に亡くなってるだろうって。いいや、オックスは生きている。彼の出演した映画が残り、鑑賞され続ける限り。映画から派生した彼の物語が一人歩きして、語り続けられる限り。  俺は雑誌の編集長として、定期的にオックスの特集記事を組む。美談だって醜聞だってかまわず載せる。雇っているジャーナリストや映画ライターをフルに使って、知られざるエピソードを探し出す。オックスがより鮮明にこの世に形を留められるように。  美談は良しとして、なぜ醜聞を載せるんだ。彼の名誉を守るつもりないのか、という批判はごもっとも。だが、醜聞は時に美談よりも人間の解像度を高めるこがある。  美談は『マトリックス』で言うところの青い薬だ。青い薬のみご所望の読者は自分の信じたいオックス・リーだけを信じ続けていればいい。対して醜聞は赤い薬だ。銀幕でのイメージが覆るとしても人間としての彼を深く知りたい人はどうぞ。もちろん醜聞が嘘か真実かは確約できないが、少なくとも美談よりは彼をさらに知る手掛かりになるだろう。読者諸君、好きなほうの薬を飲めばいい。どうぞご自由に。  歴史を経た映画は古いというだけで、現代人には見ない理由になる。そんなことでオックス・リーの偉業が忘れ去られるなんて、俺はイヤだね。だから俺は特集記事を組む。編集長権限を利用して、美談、醜聞、赤い薬、青い薬の入り混じった記事を組む。新たな言葉と写真で、あの時代を現在に蘇えらせる。今、ここまで執拗に特集を企画する編集者は俺だけだろう。だから最初に言っただろ。最後にオックス・リーを殺せるのは俺だけだって。オックスの蘇生薬は俺にしか作れないんだ。  ある雑誌編集者の談話。                     了
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