あの山の白女

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 空の橙色はどんどんと暗さを増していた。  はやく帰らないとお母さんに怒られてしまう。そんな焦燥にかられながらも、奏斗は必死に大志を探した。秘密基地の小屋に戻った奏斗は、裏口から中に入ってみる。しかし、大志の姿はなかった。  日中の出来事を思い返す。もしかしたら、またあの洞窟に向かったかもしれない。そう考え、さらに森の奥に進むことにした。  洞窟に向かう途中、木を掴んでいた手が滑り、急な坂を滑り落ちた奏斗は、盛大に転がり落ちてしまった。Tシャツに付着した落ち葉や土を払い除けて起き上がろうとした、その時だ。  人の叫び声のような甲高い音が、辺りに響き渡った。  その音は、進行方向の先、洞窟の方から聞こえたような気がした。  大志の声だろうか。もしそうだとしたら、彼の身に何が起こったのか。  まさか、と思いつつも、あの白女の怪談が、はっきりと脳裏に蘇った。  男に恨みをもって死んだ女の怨念により生み出された妖怪。その妖怪は、山に迷い込んだ男を無差別に襲う。巨大な女、目はない。大きな口で、男を喰い殺す。  木々の葉が触れ合う、ざあざあという音が、妙に耳に強く入り込んでくる。寒気が背中を走った。今になって、恐怖心が膨れ上がる。だけど、大志を見つけなければという責任感が、恐怖よりわずかに勝った。意を決し、洞窟の方へと足を進めた。  洞窟の中から何か生き物の気配を感じ、さっと、近くの木の幹に隠れた。  頭洞窟を見やる。暗さのせいで、奥の方は見えない。  すると、洞窟の中から、ぬっと影が現れた。やがて、夕日に照らされてその輪郭は明確になり、その人影の正体が判明した。あの別荘の住人の男だ。  奏斗は緊張から解放され、ほっと、息をついた。そして、中年の男に近寄ろうとしたところで、止まった。  彼の白色のポロシャツに、どす黒い赤色の液体が染みていた。さらに、目を凝らすと、彼の持つ鎌の刃も赤色の汚れが付着していた。すぐに血が連想された。  あの男にばれたらやばい。奏斗は直感した。  彼との距離は数メートルほどしか離れていない。息を殺すため、左手で口元を覆う。  中年の男はあたりを見渡すと、再び洞窟の中へと入っていく。すると、何かを引きずるように背中を向けながら洞窟から出てきた。  その光景に、奏斗は目を疑った。  中年の男は白いワンピースを着た女の足を持って引きずっていた。引きずられる女性は、抵抗する気配もない。長い髪は地面を這い、黒い蛇にも見えた。よく見ると、白のワンピースには、首元辺りから腰にかけて、赤色の液体が染みこんでいた。  先刻、大志が見た白女とは、この人のことだったのかと、奏斗は思った。大志の目撃は嘘ではなかったのだと。  中年の男が女を離すと、女は仰向けのまま、ぴくりとも動かなかった。 「このクソ女、俺の目を盗んで逃げやがって、やっぱり手錠は一度も外すべきじゃなかった」  憤怒の声を男は漏らした。激しく髪をかきむしり、女を数回、踏みつけた。その衝撃で女の顔がこちらを向いた。見開いた目と視線があったような気がして、思わず声が漏れそうになる。 「この女のせいで、子どもも殺すことになっちまった」  そう吐き捨て、男は再び洞窟の中へと入っていく。  嫌な予感が、奏斗の全身を覆った。  すると、男は、また同じような格好で別の人間を引きずって出てきた。先ほどよりも小さい。  それが大志だと、奏斗はすぐに分かった。  大志のTシャツにも赤い染みが広がっていた。メガネはなくなっており、脱力しきって動かない。  その変わり果てた親友の姿を見て、「大志!」と反射的に叫んでしまった。  中年の男が、ぱっとこちらを睨む。  鋭い眼光と目が合う。 「まさか、君も来ていたとは」  返り血を浴びた姿の男は、まるで別人に感じた。大きく目を見開き、にじり寄ってくる。  男がぎゅっと、鎌を握りしめたとき、奏斗は一気に走りだした。  来た道を、全力疾走で戻っていく。後ろから「待て!」と、怒号が飛んでくる。その声はだんだんと近くなっているような気がした。  がむしゃらに坂を上った。上りきって秘密基地の方へと向かう。その途中で後ろを振り返った。  あと二、三歩近づかれると触れられそうな距離まで男は迫っていた。  鬼気迫る形相で奏斗を睨みつけ、鎌を今にも振り下ろそうとしている。  このまま走り続けていても、やがて追いつかれる。基地へとつながる小道を走りながら、奏斗はふと、ある一か八かの賭けを思いついた。  あれしかない。奏斗は、ひたすらに基地めがけて走り続けた。男の気配は、もうすぐ背後まで差し迫っていた。後ろ向いた瞬間追いつかれる。そう感じるほどの距離感だった。  小道を抜けて道が広くなる。ついに小屋が視界に入った。  奏斗は、走る方向を変え、正面の空きっぱなしになった入り口を目指した。後ろを見る。やはりすぐそこまで男は迫っていた。  そして、男が言葉にならない奇声を上げたと同時、奏斗は小屋に向かって、思いきり飛び跳ねた。走り幅跳びのような格好で転がり込むように小屋の中に着地する。  後ろを振り返る。男の姿はなかった。  一発勝負の賭けが吉と出た。日中、鉄太をひたすらに掘っていた落とし穴、その穴に、男を落とすことに成功した。  しかし、穴は1メートルほどの深さしかない。起き上がってまたすぐに追いかけてくるだろうと思い、再び走り出そうとするが、足首に激痛が走った。その場を這うことしかできずにいたが、何秒経っても男は起き上がってこなかった。恐る恐る穴へと近づく。  穴の中には、男が、逆くの字になったまま動かなくなっていた。  背骨が、いや、首の骨も折れているのだろうか、背部と頚部は明らかに過剰に背屈しており、表情はあの鬼の形相を保たままだった。  奏斗は、呼吸を整えながら、ぼうっと、その男をしばらく見下ろした。  足を引きずりながら山を下っていると、こちらに向かってやってくる軽トラが目に入り、その場に倒れ込んだ。  車から降りた老人が、「大丈夫か、」と言いながら駆け寄ってくる。  その言葉を聞き、緊張の糸がぷつりと切れ、奏斗の意識は途絶えた。        
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