1話 地縛霊まどろみさん

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1話 地縛霊まどろみさん

2月初旬、俺、仲正晃(なかまさあき)はついに後期の試験で都内にある帝農大学の文学部行動科学学科に合格した。 ここで落ちたらと大学浪人する覚悟もしていたが、俺は晴れてこの春から大学生になれるのだ。 俺の実家は地方にあり、大学からは遠い。 そのため、下宿先を見つける必要があったが、合格決定も高校卒業後ギリギリになってしまったため急を要した。 しかし、この時期に下宿先を見つけるのはとても難しい。 最初は大学の寮に問い合わせてみたが既に部屋はどこも満室。 近くにある学生用のシャアハウスも当たってみたが壊滅状態だった。 マンションやアパートを借りるとしても、都内の一人暮らしは家賃が高く、いい物件は少ない。 仕送りの金額を考えたら、家賃にそれほど費やすことも出来なかった。 「お客様、物件のご希望条件はございますか?」 駅近で見つけた小奇麗なチェーン店の不動産会社に入り、座席に案内されると受付のお姉さんが尋ねて来た。 俺はお姉さんにしっかり伝わるように、満面の笑顔を作り、はきはきとした声で答える。 「木造よりも鉄筋コンクリートのマンションの2階以上で、部屋の広さは1LDK以上がいいですね。日当たりのいい南向きでトイレ、バスは別。フローリングの寝室は6帖以上。洗濯機は室内に置きたいです。後、ベランダは広くて、防音対策とかされているといいですよね。Wifiとかもすぐに繋げたいので工事済みだと助かります。最後に今から家具家電を揃えないといけないので、既に揃っている物件とかもでも助かります」 お姉さんの顔はやや強張っていたが、プロとしてその笑顔は崩さなかった。 「それでお家賃のご希望はございますか?」 「はい。出来れば3万以下。頑張っても5万が限界ですかね」 数秒間沈黙が続いた後、お姉さんは一度深呼吸をして真っ直ぐに俺の顔を見つて言った。 「ご来店ありがとうございました」 彼女の笑顔は眩しかった。 結局のところ、俺の希望とする物件はなさそうだ。 けれども、このままネットカフェ暮らしとはいかないし、入学までには下宿先を決めたい。 部屋をシェアしてくれる知り合いもいないと俺は途方に暮れていた。 そんな時に目に入ってきたのは、古びた昔から町にある個人経営の不動産屋だった。 俺は意を決して、店の中に入る。 条件をもう少し下げれば、どうにか下宿先が見つかるかもしれないと思ったからだ。 店に入って最初に目に入ったのは、口にドーナッツを咥えた若い女子社員だった。 他に社員らしき人物はいない。 個人経営のためか、女性は制服ではなく、私服にピンクのカーディガンを着ている。 彼女もこのタイミングで俺が入ってくるとが思わなかったのか、わたわたと慌てふためいていた。 ひとまず彼女は、口の中に入れたドーナッツを飲み込み、お茶で流し込んだ後、やっと俺に言葉をかけて来た。 「いらっしゃいませ。こちらにどうそ」 女性は慣れない様子でひとまず目の前の椅子に案内した。 俺は勧められるまま、椅子に座る。 「今日はどのような物件をお探しですか?」 全く落ち着かない状態で、あれやこれや慌てて準備をしながら女性は質問してくる。 この不動産屋はちゃんと客が入っているのか疑わしいほど手際が悪かった。 「帝農大学の近くで、家賃5万以下の物件を探しています。出来れば、木造アパートではなくコンクリートのマンションがいいんです。最低でも1DK以上。出来れば南か東向きでがいいのですが……」 最初の不動産屋の対応に懲りた俺は、俺なりの控えめな要望を出した。 その女性もその条件は厳しいでしょうねと言って、いろんな物件を調べ始めていた。 その中のほとんどが築30年以上の2階建て木造アパート。 広さは1Kから広くて1DKの6帖以下の部屋。 ひどいところはシャワー室のみでトイレがむき出しだった。 「あ、いいところありますよ。大学から若干遠くなりますが、ここなら自転車でも通える距離です」 彼女はそう言って、物件情報を紙に起こして見せてくれた。 「鉄筋コンクリート造りの2階。広さは1DKはありますね。部屋は8帖。トイレとバスも別。東南向きの築20年と言ったところでしょうか。家賃は管理費込みで5万5千円。Wifiもすぐに繋げられる環境ですよ。ついでに前の住人の方が置いて行った家具家電も希望ならそのままつかっていいみたいです。ここの大家さんとはうちも付き合い長いので、5千円ぐらいなら下げてもらえるかもですね。しかも、敷金礼金もゼロ。これはかなりの好物件ですよ!」 まさかそんな物件があったのかと俺は驚いて、すぐにも契約したいと答えた。 内見はいいのかと尋ねられたが、俺に迷いはなかった。 これほどの好物件をここで取り逃すわけにはいかない。 入学式まで時間もない事だし、すぐにでも住みたかった。 女性はわかりましたと答えて、すぐに大家さんに家賃相談の電話を入れてくれた。 そして、戻って来ると女性はある条件を出してきた。 「お客様は帝農大学の学生さんですよね?」 「はい。この春から入学します!」 「なら4年間はこちらに住むと言うことでよろしいでしょうか?」 女性は少し変わった質問をした。 確かに俺の学科は4年制で問題なければ4年間は同じ場所で暮らす予定だ。 しかし、そんなことをわざわざ不動産屋が聞いて来るとは思わなかった。 「出来ればですね、その4年間は同じ部屋を借り続けて欲しいそうです。最低でも次の更新、2年間は継続して契約してくれるなら、条件をのむと言っています」 俺は少し考えたが特に問題があるようには思えなかった。 確かに、大学からは少し距離はあるが、実家から高校に通っていた距離よりもずっと近い。 部屋の条件も良さそうだし、2年間なら問題なく住めそうだ。 「大丈夫です。それでお願いします!」 俺は威勢のいい声で、目の前の女性に答えた。 ここで悩んでいる暇はない。 俺はすぐさま決断をして、その契約をのんだ。 しかし、それが悲劇の始まりであったことに、この時の俺はまだ知らない。
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