第十章 怜音の本心

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 当時「自分が納得できること」を何より大事にする理屈っぽい子どもだった怜音は、学芸会のシナリオに噛みついてしまった。演目は『ブレーメンの音楽隊』だったが、ストーリーにおかしなところが多くそれが彼女には許せなかったのだ。  動物たちが組体操で『バケモノ』を演じ盗賊たちからごちそうを奪い取るシーンは、結局動物たちも盗賊と同じことをやっているじゃないか。そもそも『ブレーメンの音楽隊』というタイトルがついているのに、ブレーメンに行かず音楽もやらないのはおかしいじゃないか。立ち上がり、自信満々でストーリーの『おかしいところ』をあげつらった気がする。  変えられない台本に文句をつける彼女のことを、クラスメイトたちは最初面白がっていた。だが、そのせいで休み時間がつぶれそうになったとたんいっせいに手のひらを返した。 「亀井はワガママだ!」  誰かの叫んだ言葉が怜音の心を折った。よろよろと席についた彼女は、あることを学んだ。思ったことをそのまま口に出すのは『ワガママ』なのだ。  そうして亀井怜音は色を消すようになった。いつも空気を読み、人の求める答えを先回りして、決して目立たず、はみ出さず、前に出ることをしなくなった。理屈っぽかった彼女は、望まない選択をする時に自分を納得させることも上手かった。ゴールがどこにあるのかは関係なく、そこに行く筋道さえ整っていれば満足できた。  そうして数年が経ち、怜音自身の意志は溶けてなくなった。彼女はその場に合わせて『それっぽいこと』を時折口にするだけの、おだやかでつまらない人間に変わってしまったのだ。  その積み重ねの先に今の怜音がいる。周りから浮かないように息をひそめて生きてきたかいもあり、それ以来『ワガママだ』と責められることはなかった。そもそも、実里のような数少ない友人を除いて彼女を気にかける者はいなかった。それでよかった。出過ぎたまねをして、その場の全員を敵に回すよりもずっとマシだった。そう思っていた。 「オレは、台本の良し悪しなんか全然わかんないからさ。すげえこと考えるやつがいるんだなって、その時思ったよ」  真山はしみじみと言った。あの時の怜音の話を聞いてそんなことを思う人間もいたのだ。もしかしたら、あの教室の中でも「全員が敵」というわけではなかったのかもしれない。それに早く気づけていたら、もっとのびのびと息が吸えていたのだろうか。他人に対する行き過ぎたおびえのせいで、無駄な遠回りをすることになってしまった。  そこまで考えてやっぱり違うかと思い直す。売り言葉に買い言葉で始まった今回の撮影は、これまで話したことのない相手との作業がほとんどだった。それをここまで進めることができたのは、やっぱり怜音の『これまで』のおかげだ。人の顔色を読み、望んでいるものを先回りし続けたからこそ、徳紗や今田、真山たちに手を貸してもらえた。そう考えれば、色を消し続けた日々も無駄ではないと思えた。押し黙っていた怜音はぽつりとつぶやく。 「真山くん……ありがとね」  今ならこだわりすぎる自分のことも、色を消していた自分のことも、両方を受け入れて前に進める。何だか、ずっと引っかかっていたものが少しだけ軽くなった……そんな気がした。 「あ、ああ……。何かよくわからないけど、よかったな」  目を白黒させる真山に軽くうなずくと、怜音は池の方へ顔を向けた。徳紗がカリカリしながら手を振っている。 「亀井さん! いいかげん、こっち来て手伝ってよ」  怜音は苦笑いを浮かべると駆け出した。 「ごめん、すぐ行くよ」
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