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第一話
キュル……キュル……キュル……
乾いた反響音が、深夜の冷たい空気を震わせる。
人気の無い街路は、死者を誘う冥府の入り口を想起させた。
徐々に強さを増す反響音が止んだ時、一つの影が路の先に立っていた。
淡い街灯に映し出されたそれは、ひとりの紳士だった。
ダークなチェック柄スーツに中折れ帽、黒い手袋の先には大型のキャリーケースが握られている。
先ほどからの反響音は、キャスターの放つ摩擦音だったようだ。
特筆すべきは、その人物の容姿だった。
痩せ細った顔は青白く、目は窪み、およそ生気と呼べるものは見当たらない。
ただ一つ──
両眼の奥に揺らめく怪しげな輝きだけが、その男の存在感を強調していた。
どのくらい、そうしていたか……
やがて遠方から、微かな足音が聴こえてきた。
慌ただしく、そして小刻みに響くその靴音は、明らかに女性のものだった。
徐に、紳士の口角が吊り上がる。
そして持っていたステッキを握り直すと、キャリーケースを小さく小突き始めた。
コン……コン……コン……
強弱は無く、ただ一定のリズムで叩き続ける。
コン……コン……コン……
しばらくして、闇の向こうに白く揺れるものが見えた。
それは次第に大きく、そしてある形を取り始めた。
若い女性だ。
白いロングコートに、ツバの広い婦人帽を被っている。
コートの胸元を握り締める姿が、緊張の度合いを示していた。
警戒するように周囲を見渡しながら、足早に歩を進める。
突然、何かの気配を感じ、女性は足を止めた。
恐る恐る振り返った表情が、一気に豹変する。
色を失った顔に、大きく見開いた目──
全身が驚きと恐怖で硬直し、一切の呼吸が停止した。
「……あうっ!?」
言葉にならない声が、咽喉から漏れる。
彼女が目にしたもの……
それは、漆黒のマントに身を包んだ怪しげな人物だった。
黒いシルクハットの下で光る二つの眼光。
真っ赤に染まったそれは、明らかに人のものでは無かった。
何も言わず、身じろぎ一つせず、ただじっと女性を眺めている。
「あ……あなた……は……?」
女性は、やっとのことで言葉を絞り出した。
【我は……這い寄る混沌……】
頭の中に声が響く。
男とも女とも、人間とも動物とも、有機物とも無機物とも判別できぬ声だ。
「……這い……こん……とん……?」
震える声で女性が呟いた途端、黒マントの人物が動いた。
バサっとマントを広げると、有無を言わさず女性に覆い被さる。
「……ひぃっ!!」
短い悲鳴が、あたりに木霊した。
女性を包んだマントが異様な形に蠢く。
時折ヌチャ、ヌチャと音をたてながら、不規則な蠕動運動を繰り返した。
もはや、女性の声はしなかった。
見る者に嫌悪感をもたらすその光景も、ほどなく終焉を迎えた。
動きを止めた人物が再びマントを広げた時、そこに女性の姿は無かった。
黒マントはブルンと一度肩を揺すると、そのまま静かに後退し始めた。
いや、歩くというより、吸い込まれると言った方が適切かもしれない。
静かに、音も無く、離れていく。
そして、次第に暗闇と同化し……
……消えてしまった。
一部始終を見ていた紳士の顔に笑みが浮かぶ。
満足そうに息を吐き出すと、くるりと背を向けた。
そして、相変わらずの乾いた反響音を響かせながら、何処ともなく姿を消した。
キュル……キュル……キュル……
************
俺の名は、ナイトメア神父。
教皇庁お抱えの闇祓いだ。
俺は今、お上の命により、ロードアイランド州プロビデンス郡フォスターに来ている。
人口五千人にも満たない小さな町だ。
この町で、この数ヶ月の間に十三名もの行方不明者が出ていた。
人口が少ない為目立つ数字ではあるが、これだけなら警察の範疇と言える。
だが問題は、そこでは無い。
最初の失踪事件には、目撃者がいたのだ。
その場面と遭遇したのは、偶然にも警ら中の警官だった。
夜間、微かな悲鳴を聴きつけた彼は、一目散に現場に駆けつけた。
そこで目にしたのは、黒装束の不審な人物に襲われる女性の姿だった。
その人物は黒いマントを羽織り、同じく黒いシルクハットで顔を隠していた。
そして、そのマントからは女性の頭部が突き出していた。
首から下はマントに覆い隠され、何やらブヨブヨと異様な動きをしている。
女性の表情は、苦痛というよりは、むしろ恍惚感に酔いしれているようだった。
その異様な光景に、警官の全身は総毛立った。
だがすぐに気を取り直すと、警棒を大きく振り上げた。
「おいっ、コラ!」
声を上げ突進する。
そしてあと数メートルまで近付いた時、それは起こった。
突如、二人の姿が消失したのだ。
たった今まで目の前にいたのに、掻き消すように消えてしまった。
警官は狐に摘まれたように、その場に立ちすくんだ。
いくら見回しても、周りに人気は無い。
痕跡を探してみたが、何も見つからなかった。
暑に戻った警官は、すぐにこの事を報告した。
そしてその日以降、女性は行方不明となった。
失踪する理由は勿論、他に目撃者や痕跡も無い。
あるのは警官の目撃談だけであり、異常な事件としか言いようが無かった。
この日を境に、原因の分からぬ行方不明者はさらに増え、今や十三人にのぼっている。
もしかしたら一連の失踪には、人ならざるモノが関与しているのかもしれない。
怪物か、妖怪か、それとも……悪魔の仕業か?
そんな噂が、町中を駆け巡った。
マスコミがこぞって押しかけ、州警察まで駆り出されたが、いまだに解決していない。
事態を重く見た教皇庁は、調査のため俺を派遣する事にしたのだった。
黒マントにシルクハットねぇ……
俺は心中で呟いた。
まるで、サーカスのマジシャンだな。
俺の知る限り、そんなふざけた様相の悪魔は存在しない。
だが、もし警官の見たものが真実なら、普通の人間とも思えない。
人を連れ去り、一体何をする気なんだ?
隷属か?何かの実験か?
それとも……まさか……!?
「……ここか」
瞑想しながら歩いていた俺は、一軒の家の前で足を止めた。
赤煉瓦造りの古びた屋敷だ。
俺が、今回の調査対象と定めた人物……
著名な小説家──チャールズ・ミラン・ダルボットの邸宅であった。
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