ひきこもり瑞祥妃は黒龍帝の寵愛を受ける

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 後宮内でも外朝にほど近い質素堅実な宮。質素と言えど、壮麗で雄偉なこの宮は黒龍殿(こくりゅうでん)と呼ばれているこの国で二番目に位の高い者が住む宮だ。  龍湖国は白黒対の龍が治める国なので、白龍帝と黒龍帝の二人の帝が皇帝として立つ。  建前上は同等の存在とされているが、皇帝が二人いては混乱を招くため白龍帝を第一位、黒龍帝を第二位の権力者と定めていた。  いっそ国を二つに分けてしまえばいいのだろうが、二つの龍の血は混ざりあい皇族に受け継がれている。  二分しても両方の国で白龍帝と黒龍帝が現れることになり、争いの火種が増えるだけなのだという。  故に二人の皇帝を立てるしかないのだが、人の世とはままならぬもの。  人の欲や情に流され黒龍帝が謀反を企てたという話は歴史を顧みるといくらでもあった。  そのため、黒龍帝は国の第二位の権力を持ちながら不幸の象徴のように扱われている。  昨今に至っては、巷で話題の物語に黒い(みずち)が水を淀ませるという描写があり尚更印象が悪くなっている様に思えた。  そんな不人気の黒龍帝・王黒呀(おうこくが)の宮に、月のない闇の中紅玉は人目につかぬよう忍び込んだ。  黒呀にある頼みを聞いてもらうためなのだが、衛士もいるはずなのにここまで止められることもなく来れたことに何とも複雑な気分になる。 (これも瑞祥の娘としての力なのかしら? でも私を認識した衛士の一人は幽鬼だのなんだのと呟いて青い顔をしていたから別の理由もありそうだけれど)  何にしても複雑な気分ではあった。  煌びやかさはなくともよく見れば凝った意匠の彫刻が施された扉を前に、紅玉は深く息を吐く。  これからこの宮の主に頼むことは通常女人から口にすることではない。  頼みを口にした時点で敬遠されてもおかしくはないが、自身が考えうる最良の策は“これ”だと思ったのだ。  意を決し、もう一呼吸置いてから声をかけようとした直後、(へや)の中から低く鋭い声が発せられた。 「誰だ?」 「っ!……妃嬪が一人、李才人と申します。夜遅くに申し訳ありません、ですがどうしても貴方様にお願いしたき事があるのです」  思わぬ問いかけに息を呑んだが、すぐに取り直し望みを口にした。  ここで追い払われてはどうすることも出来ない。  とにかく頼みを聞くだけはして欲しいと願いながら返事を待った。 「……まあ、よかろう。許す」  入室の許可にほぅと息をつき、面紗を落ちぬよう整えてから失礼の無いよう細心の注意を払って扉を開ける。  中に入り、扉を閉め一歩進んだところで膝をつき頭を垂れた。  周囲から厭われていても相手は白龍帝に次ぐ権力者。才人という最下級の妃が気軽に声をかけていい相手ではない。  房に入ることは許されたが、言葉を発することは許されていない。  紅玉は頭を垂れたまま黒呀に声をかけられるのを待つしかなかった。 「……」  無言の中、見定めるような視線を感じ汗が滲み出した頃、やっと黒呀の方から言葉が紡がれる。 「して、願いとはなんだ? 地位は高くとも疎まれているこの黒龍帝に何を願う?」  自嘲の笑みを感じ取り、紅玉は思う。 (ああ、この方は諦めておられるのだわ)  周囲に厭われ疎まれることを是としないまでも、否定しようと思わないほどには諦めているのだ、と。  それを少し悲しく思うが、同時に悪女と呼ばれようとも否定してこなかった自分と似ているように思え親しみのようなものを感じる。  だからだろうか、口にするには勇気がいるだろうと思っていた願いを紅玉はするりと言の葉に乗せることが出来た。 「……ふた月後の中秋節(ちゅうしゅうせつ)の催事にて、私を選んで欲しいのです」 「………………は?」  数拍の間を空け返ってきたのは戸惑いの声。  分かっている。このようなこと、女人から頼むなどはしたないと思われても仕方のないことだ。  だが、自分が白龍帝の皇后にならずに済み、それでいて地上へ恵みをもたらすという使命を果たすにはこれしかない。 「御前にて(おもて)を隠したままとは申し訳ありません」  今更ながら顔を隠していたことを謝罪した紅玉は、面紗をめくりあげ(おもて)を――その黄金の虹彩を黒呀に見せた。 「っ⁉」 「お頼み申し上げます。此度の中秋節にて黒龍帝である貴方様は自身の皇后をお決めになるでしょう? その黒龍皇后に、私を――この瑞祥妃を選んでくださいませ」  息を呑む黒呀に、今度は子細を省かず願う。  そう、齢二十となる黒呀は次の中秋節の催事にて伴侶を決めることが定められていた。  家族の団欒を楽しむ日でもある中秋節は、生涯を共にする妻を迎えるのに相応しいと数代前の皇帝が決めたらしい。  そのような催事の前にまじないが消えたのも天命であろう。  疎まれていたとしても黒龍帝は龍湖国のもう一人の皇帝。建前上だけとは言うが、瑞祥の娘を娶る人物としては申し分ない。  白龍皇后になりたくない以上、黒龍皇后となるしかないのだ。でなければ残るは国外逃亡という手段しかなくなる。  それに、白龍帝より下位に置かれている黒龍帝には後宮がない。つまり、黒龍帝の妻は皇后一人だけなのだ。  もちろん愛妾を囲っていた黒龍帝もいるが、今代の黒龍帝である黒呀にその様子はない。  唯一の妃として娶ってもらえるかもしれないというところも、紅玉にとっては魅力的であった。  そういった理由から、紅玉は型破りなことは重々承知で黒呀に求婚したのだ。  黒呀は切れ長な黒曜石を思わせる漆黒の目を驚きで見開き、薄い唇をうっすらと開かせている。  驚きも露わなその表情には愛嬌すら覚え、紅玉はつい可愛らしいなどと思ってしまう。  流石に殿方へ向けるには相応しくない感情だと心中に押し込め、改めて黒呀の姿を見た。  緩く一つに纏められ肩にかけられている真っ直ぐな黒髪は、身じろぎに合わせて毛先がさらりと揺れる。  線の細い面差しではあるが、確かな男を感じる力強さもある。  白龍帝は色気だだ漏れの妖艶な男性だが、黒呀は内面に色を秘める部類の美丈夫らしい。  二人が並び立てばさぞ映えるだろうと思える顔立ちであった。  流石は対の皇帝というところなのかもしれないと、紅玉は感嘆の吐息を零す。  龍の血を継ぐが故の人とは思えぬほどの美しさ。  その(かんばせ)が驚きから困惑へと変わった。 「少し待て……まず、何故瑞祥妃が下級妃なのだ?」  相当惑っているのか、額に手を当て形の良い眉を中央に寄せる。  黒呀は一つ一つの仕草が繊細で美しく、紅玉はつい彼に見惚れてしまう。 (白儀様より、このお方の方が私は好ましいわ)  単純な好みの問題だが、求婚した相手が好みの男性だというのは喜ばしいことだろう。 「数年前に瑞祥の娘を迎え入れたという話は聞いた。立后は成されていなかったが、いずれはそうするつもりで四夫人に収まっていると思っていたのだが……」  問いかけというよりも情報を整理するかのように言葉を紡いだ黒呀は、ひとしきり呟いた後にまた紅玉を見た。 「その黄金の虹彩。瑞祥の娘なのは間違いない……ならば何故才人なのだ?」 「それは――」  改めて問われ、紅玉は事情を話す。  まじないをかけていたこと、後宮入りの際の白龍帝の言葉、そして本日ついにまじないが解けてしまったこと。  白龍帝の初めの言葉や、この二年後宮で過ごし見聞きした女の諍いのせいですっかり白龍皇后になりたくないと思ってしまったことも含めて伝えた。 「人を呪う悪女と噂される私ですが、まじないが解けてしまったからには遅かれ早かれ瑞祥妃であることは知られてしまうでしょう。そうなっては嫌でも白龍帝の皇后にされてしまいますから」  だから貴方に求婚したのだと、紅玉は膝をついたまま黒呀を真っ直ぐに見上げる。  淀みない視線に黒呀は苦く笑いため息を吐いた。 「ああ、噂の悪女とはそなたのことだったのか。そのような噂を放置するとは……まるでどこかの誰かの様ではないか」  自分と同じだと思ったのかもしれない。  優しさを宿した困り笑顔は、先ほど紅玉が彼に親しみを覚えたときのものと同じに思えた。  それを密かに嬉しく思う紅玉は、だがふと疑問に思ったことを問う。 「李才人と聞けば皆悪女と申しますのに……貴方様は後宮のことを気にしておられないのでしょうか?」 「……まあ、あまり興味はないな」 「今の後宮にいる妃の中からご自分の皇后をお決めになるのに?」  黒龍皇后は白龍帝の後宮から選ばれる。  国中の美姫や才女が集められるのが後宮だ。身元も確かな者しか妃として扱われないため、白龍皇后に次ぐ地位の女性には後宮妃の中から選ぶのが相応しいのだ。 「……望んだ娘を選べぬなら誰を選んでも同じと思っていたからな」 「それは……」  淡々と話す黒呀の言葉は望む娘がいるということだろうか。  そして選べぬということは、すでに白龍帝のお手付きになっているということだろうか。  そのような悲しい恋をしている相手に自分は求婚しているのかと、紅玉は胸に重石を乗せられたかのような気分になる。 (ああ、でもそれならば納得ね)  黒呀が愛妾を持たない理由。それはその叶わぬ恋を胸に秘めていたからなのだろう。  気が落ち込み、紅玉はしばらく黙り込んでしまった。  だが、同じく無言であった黒呀からの視線を感じふと顔を上げる。 「っ!」  何か、強い感情を乗せて自分を見つめる黒曜石の目に息を呑む。 (これは見定められているのかしら?)  何にしても、今は気を抜いていいときではないのだと思い出す。 「私は兄と敵対するつもりはない。本来ならそなたは兄の皇后となるべき娘だ」  静かに語る声は淡々としているというのに、強い眼差しは変わらず紅玉を射抜く。  その眼差しのまま立ち上がった黒呀は、夜着である薄い袍の裾を払うようにして紅玉へと近付いた。 「それでもそなたは兄ではなく私の妃となりたいと申すのだな?」  すぐそばで見下ろされ、圧を感じる。  自分の願いは黒呀の望むものとは違うのかもしれない。  だが、紅玉とて生半可な覚悟で求婚をしたわけではない。  黄金の目に確固たる意志を込め、見上げた。 「はい、黒龍帝である王黒呀様の妃になりとうございます」  はっきりと告げると、怖いほどだった黒の瞳に甘さが宿る。  ふっと優しい微笑みとなった黒呀は手を差し出し紅玉に立つよう促した。  素直にその手を取って立ち上がった紅玉に、黒呀は男らしく力強い笑みを向ける。 「了解した。次の中秋節の催事にて、私はそなたを唯一の妃として娶ろう」
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