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女運がない ②
番至上主義の獣人世界では、諸所の事情により番が見つからなければ20歳で結婚する義務がある。
迷惑な義務だが仕方ない。
理由は割愛するが国としてそんな方針を打ち出されたら、そこで生きる国民はルールに縛られるものだ。
義務まで1年を切った。
俺の元には今、番を名乗る女達が押し寄せている。
番はこの世でただ1人。唯一の存在だ。
まかり間違っても複数がいるなんて事はない。
番に会えばすぐに分かるほど、魂を揺さぶる香りを纏っていると言われている。
つまり、番だと嘘をついても匂いでバレるってことだ。
本来ならば。
自慢じゃないが俺は優良物件だと思う。
騎士団長の肩書きと公爵という身分。
金も権力も国王の次にある。
番の見つからなかった義務目前の女達にすれば、嘘をついてでも結婚したい相手なんだろう。
本日は押し寄せる女達との交流会。
俺が選べば結婚相手が決まる。
選ばなければ次の女達との交流が待っていた。
そうやって、義務を遂行するのが番のいない獣人貴族の常識なのだが。
私が貴方の番よ!
いいえ!私が貴方の番です。
嘘おっしゃい!私こそが番なんだから!
会った瞬間から女達の圧が怖すぎる。
目が血走っているし、逃すまいと我先にアピール合戦が凄まじい。
小競り合いからヒートアップした女達は、俺そっちのけで取っ組み合いの大喧嘩に発展していた。
俺は、この中の勝者と結婚するのだろうか。
止めることなく女達の争いをぼんやり眺める。
皆美しいのに、美しさから程遠い行動や形相。
着飾ったドレスは破け、泥に塗れていた。
紅茶の入ったカップは飛び交い、髪を振り乱して互いを引っ掻きながら蹴り飛ばしている。
見てたら気分が悪くなってきた。
この3人とだけは絶対に結婚したくない。
人の家の庭園で暴れ倒す猛獣に背を向けた。
誰もが番だと言い張り、人の家でキャットファイトを繰り広げる。
そんな感じのループを6回ほど繰り返し。
7回目以降の交流会は永久に中止した。
実のない事ほど無駄な事はないのだから。
しかし。
交流会を辞めた俺を他の獣人貴族は嘲笑う。
鼻が効かないくせに番を探すつもりか、と。
何とでも言うがいい。
お前らは番以外と結婚したとしても、死ぬまで番が見つかる可能性がある。
だから妥協もするし、誰でもいいのかもしれないが俺は違うんだ。
慢性鼻炎と診断されて5年。
鼻が全く効かなくなって5年。
番を名乗る嘘つき女にたかられて5年。
大抵の貴族は俺の鼻の事情を知っている。
診断当時、獣人世界で初の症例として話題になったおかげで、番至上主義からこぼれ落ちた半端者だと、俺はこの5年間侮蔑の目で見られていたのだ。
義務だから我慢していたけれど。
番だと偽る女達は俺をバカにし過ぎている。
鼻が効かなくとも、番が分からなくとも、嘘をつかれている事くらい分かる。
熱の篭らない瞳や嘲笑が見え隠れする言動と態度に、どれだけ失望したことか。
家格や容姿などどうでもいい。
誠実ならば、誰でも。
望んでも俺の地位や立場がそれを許さない。
王都にいれば、貴族連中がハイエナのように狙ってくるだろう。
時間は有限。
決意は即行動だ。
俺は俺の未来のために。
番でなくても互いを尊重し合い、心穏やかに過ごせる相手が欲しかった。
目指したのは、近くに原生林が手付かずのまま残されている、最後の秘境と呼ぶに相応しい場所。
ここまで来れば、俺の地位や権力、病名を知る人は居ないと思ったのだ。
その思惑は当たる。
誰にも煩わされる事のない日々。
疲弊した精神に必要な安らぎを得ていたある日、俺は変な女を見かけた。
俺と同じ義務前の年齢に見えるのに、相手がいないどころか探す素振りもない。
人の事を言えた義理でもないが、モーションかける男を片っ端から冷たく振っていた。
小さな村だ。
彼女の特異さは目立つ。
聞くつもりはないのに、彼女と男達のやり取りが耳に入って来る。
そして彼女が誰にも靡かない理由を知った。
彼女は異世界からやって来た人間という種族。
にわかには信じ難いが、確かに獣人にあるはずのケモ耳や尻尾はなかった。
毛のないつんつるてんの身体は種族特有で、番という概念もないらしい。
付け加えると、好きになった相手に番が現れて、2度ほど結婚の約束を反故にされていた。
彼女は断言する。
この国の獣人じゃないから義務など知らない。守る必要もない。
番至上主義の獣人に言い寄られても、捨てられる不安が消せないから結婚はしない。
一生1人で生きて行く。
と。
番至上主義の獣人にあるまじき病を患った俺は、治る見込みのない慢性鼻炎に絶望していた。
彼女は彼女で、結婚相手に番のせいで2度も裏切られている。
これは運命だと思った。
俺は迷わず彼女に結婚を申し込む。
俺と彼女はどちらも獣人世界のはみ出し者だ。
同じ傷を持つ者ならば、お互いのよき理解者として人生を共にする事が出来るだろう。
初めは打算が強かったけど、接していくうちに純粋に愛を求める彼女の姿勢に惹かれていく。
頑なな彼女の心を溶かしたい。
不安を取り除いてあげたい。
俺ならばそれが可能だから。
俺を選んで欲しい。
努力の甲斐あって、徐々に彼女の気持ちもこちらに傾きかけていたのに。
ここでも俺の番を名乗る女が現れたのだ。
ただし、王都の貴族連中と違って、その瞳、その態度、その真剣さが本物だと言っていた。
動揺しなかったか、と言えば嘘になる。
番が番を求める強靭な本能は獣人ならば誰でも知っていた。
鼻の効かない俺でも常識だと分かるくらいに。
彼女は俺の戸惑いを見逃さなかった。
それを3度目の裏切りと受け取ったのだろう。
諦念の浮かぶ目を俺に向ける。
全てを悟った絶望の眼差しだ。
咄嗟に開こうとする俺の口を塞ぐように、その目はすぐに逸らされた。
お幸せに。
小さな呟き。
しまった、と思った時には既に遅かった。
彼女は俺を置いて走り去っていく。
違う。そうじゃないんだ。
追いかけたいのに、すぐにでも憂いを取り去ってあげたいのに、俺の番が全力で邪魔をしてくる。
腕に縋り、泣き喚き、己の全部を使って足止めしようと躍起になっていた。
俺は彼女が好きなんだ。
でも番を振り解く事も出来ない。
匂いが分からないのに。
番だと認識出来ないのに。
もしここで俺が彼女の方を求めてしまえば、この番は遠からず命を落とすことを知っていた。
番至上主義とはそういうことだ。
番を失えば、失った番に未来はない。
はみ出し者のくせして獣人の理に縛られる俺の躊躇が、彼女に見切りをつけさせた。
辛い決断、古傷を抉る判断を、俺が彼女に与えてしまったのだ。
本当に好きなのは彼女で間違いない。
愛してるのも、心が求めるのも彼女だけれど。
ごめん。
追いかけることが出来なくて。
ごめん。
鼻が効かなくても番を選んでしまうんだ。
獣人でごめんね。
許さなくていいよ。
俺はこの罪を背負って生きていく。
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