今夜はきっと特別な日で

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ

今夜はきっと特別な日で

大学で初めてできたカレシとは卒業と同時に別れた。 いろんな思いも思い出も。言葉にするとたった一文なんだなぁ。 別れてから、今日でまるっと4か月になる。 絶対受からないと思ってた会社に入社できたから、なんとか頑張ろうと。おたおたしてた最初の3か月は。 覚えることたくさんでも、毎日どこか楽しくって。 でももちろん、バタバタと落ち着かなくって。 ・・・寂しい、とか考える余裕も無かった気がする。 思い出したら寂しくなる、って避けてた気もするけど。 会社の3つ年上の先輩に。 「今度メシいかない?」って誘われたのはその頃。 にこって笑ってくれたその表情に。あ、そうか。新しい恋しちゃえばいいんだ!って思えた。 この数週間で何回かランチに行った先輩とは。付き合ってるのかな?って微妙な関係。 でも今夜はたぶん。 はじめてのお泊りだなって飲み会。先輩のアパート近くだそう。チェーンの居酒屋さん。全部屋、個室。 ほら、あれ。お手洗いにと部屋出ちゃうと戻れなくなっちゃうタイプのお店。 え?そんなことない?迷っちゃうのはわたしだけ? 「このカクテルが人気なんだ」 と勧められたお酒は綺麗なピンクオレンジ色。 「甘くって、美味しいです」 けど結構アルコール度数は高いな。つい流し目に先輩を見てしまう。 手っ取り早く酔わせる気? ちょっとだけ、責めたい気持ちで見たのに。 にやっと見返されて。 どうやら承諾の意味にとられた気がする。 大きな手が伸びてきて。 「いつも思うけど。きれいな手だよな」って包まれて。手の甲を親指で撫でられる。 この。 恋の始まりのような甘い雰囲気って。 嬉しいような恥ずかしいような変な気持ちにさせるよね。   ・ 「・・・いや、もう数年。彼女とか居ないな」 お酒がすすむとそんな話になっちゃって。 だけど。先輩のセリフはあまりにも嘘っぽい。 このあとわたしを。家にお持ち帰りする気らしいもの。 ”今は”確かに居ないんだろうけど・・・。 最近までは居たような気がする。わたしとの初のランチ頃まで? ふっと浮かんだそれは、先輩の態度から確信してしまってて。 ・・・恋愛経験少なくっても。女の勘って働くのかな。 わたしのほうは、正直だよ? そう。正直に答えたのが最初の一文。 「あぁ。遠恋になっちゃったの?」 説明も面倒で。うふふって笑って済ませた。 確かに。大学時代と比べたら住んでるところは遠くなったけど。 モトカレが引っ越したトコまでは、公共交通機関使って徒歩込み1時間かからない。遠距離恋愛というには、近すぎる距離。 どうしてるかな?ってモトカレの顔が浮かぶ。 食事のマナーが良かったよなぁ。とても美味しそうに綺麗に食べる人だった。 今更ばかばかしいね・・・あぁ。どうやらお酒飲みすぎたみたい。 体面に座ってる先輩は、あんまりマナー気にしない人。 刺し箸や寄せ箸は、食事のたびに毎回見かける。本当に付き合うってなったらやめてほしい、かも。 「先輩ってぇ」 まだ、わたし。目の前の男のこと、そう呼んでる。 「あ?」 先輩もけっこう、お酒まわってるのかな? 煙草に点ける気のライターは、カチリカチリと音がするだけで。 炎、ちろって散ってますね? いちお、個室だけど、さ。灰皿あるから禁煙室じゃなさそうだけど。 わたしに吸ってもいいか?って聞かないんだね? 意識は煙草にいくけど。 ええとそうだ、と。言おうとした事、思い出す。 「椅子引いてくれないですよね?」 イスヒク? 先輩の声は出てなくって。咥え煙草の唇が、なんとなくそんな感じに動いただけ。 メニューも取ってくれなかったな。 最初に一緒したのは、それほど気取らないパスタの店で。味は結構気に入ったんだけど。冊子は先輩が座った側にまとめて立ててあって。 いっぺん席に座ってからまた、立ち上がって手を伸ばしてメニュー取ったっけ。ほぼ同時に手を伸ばされて。取ってくれるのかと思ったら、自分の分だけ持ってかれちゃった。 店員さんが運んできたお水も、おしぼりも。あきらかに先輩のほうに置いていってるのに。わたしのほうへ寄せてもくれなかった。 おんなじメニュー頼んだのに。先に運ばれてきた料理を自分が先に手を挙げて置かせちゃった。 結構・・・いろいろびっくりしたんだよね。 ・・・あぁ。やっぱりわたしかなり酔ってる。 こんなこと聞いたりするつもりじゃなかったのに。 「なんだ?いすひくって?」 やっと点いた火は。煙草の先に。 あぁ、このままこの人煙草吸うんだなぁ。 ひとことの、断りもなく。 なんだろう。それ見ていたら。 「ごめんなさい!わたし。大変な用事思い出しました!!」 ふたりぶん、払っても多分お釣りがくる一番の高額紙幣。急いでテーブルに置く。 「また誘ってください。ほんと。今日はすみません!!」 「は!?お前っ」 「失礼しまぁす。串、盛り合わせです」 ってロールカーテン開いたのは、自動ドアかよって位ぴったりのタイミング。 文句を言いかけた先輩は、料理を持ってきた店員さんの手前、黙った。 それなりの年齢のその女性は、紙幣とわたしをちらちらっと見て。 「お手洗いでしたら、右手です」 ・・・皿を置いて、案内をするふりして。店の入り口へ連れて行ってくれた。うん。この手のお店ってわたしすぐ迷うし。出るときに、連れがまだ居るか確認されるのも怖かったから、助かった。 「つ、連れはまだ飲みますので」 「はい。本日はありがとうございました」 ・・・なんかトラブルだと思ってくださったんだろうなぁ。店側だってそんな客には早く帰ってほしかったんだろう。またどうぞって言われなかったなぁ。 きっちりお見送りされて。 最初に見つけたタクシーに手を挙げた。 ”一番近い駅まで” あんまり裕福な財布じゃないから、そう言おうと思ったけど・・・。時刻表によっては駅で追いつかれちゃわないか?って不安になって。 「あのう・・・×××までいくらくらいでしょう?」 自宅の近くのモールを言ってみる。 それほど高くはなさそう。 「じゃ、そのへんまで」と伝え、シートに体を預けて、ほうと息をつく。 なのに。 すぐにタクシーは信号につかまって。 見つかったら、追いつかれる!? つい慌てて後ろを振り向く。 たぶん追いかけては来ない。先輩はわたしに執着はしていない。 そうわかってても少し怖い。 話しかけてこないタイプの運転手さんでよかった。知らん顔をしてくれてる。 ・・・思い出すのはこの数回の。 先輩との、デート。 段差で手を引いてくれないし。 荷物を持ってくれないし。 車道歩いても内側と変わってくれないし。 歩幅を合わせてくれないし。 扉を開けてもくれないし。 開いた扉を押さえていてもくれなかった。 付き合うってなったらやってくれる?のかな? 多分違うよね。だって・・・。 モトカレは。最初の・・・付き合う前のお出かけからそうだったもの。 なんとなく。 男性はみんなそうするんだと思ってた。 大学で同じ学部だった彼女たちは知っていたんだろうな。 誰でもが、そんなことしないんだってことを。 近道らしい住宅街へ入ると、街灯の明かりが減って・・・。 窓ガラスに映るのは自分の顔。 つい頬に触れる。・・・何かというとモトカレは。わたしの頬を触っていたっけ。 いつもにこにこと「好きだよ」って言ってくれる人だった。    タクシーは広い道へ出て。ガソリンスタンド通り過ぎる。 またまわりは明るいから。窓ガラスにわたしの顔はもう映らない。   ・ 「へぇ。優しいのねぇ」 あんまり仲良くもなかった女友達の。声が蘇る。 ・・・やっとわかった、あの声の感情。 惚気だと思われてたんだなぁ。嫉まれていた訳か。 初めてのカレシに浮かれてたわたしは。けっこうおしゃべりで。 大学の食堂。声が大きかったんだろう。 隣のテーブルを囲んでいた同じ学部の人たち。 ・・・そのひとりがわざわざ声をかけてきた。 「多比良クンってそんなことしてくれるんだ。へぇ。優しいのねぇ」 たしか割とすぐにベルが鳴って。会話は続かなかったんだけど。 ・・・あの時もっと。詳しく聞いておけば良かったんだろうか。 モトカレとは、ほぼ3年付き合った。 YESの返事をした途端に抱きしめられて。 初めての映画館で暗くなったらすぐ頬にキスしてきたし。 スキンシップの多い人だった。 なのに。一緒の夜を過ごすまでは、1年近くかかって。 ネットの記事にそういうことしない男性もいるっていうのを見つけて。 がっかりしちゃった自分に驚いたっけ。 ・・・だから。優しく抱きしめられた夜には嬉しかった。 泊まるのは、わたしの部屋が多かった。 最後の1年なんて。ほとんど同棲状態だったな。だって帰らないのよ。 一緒にいたい。帰りたくないって真顔で言うんだもの。 笑ってしまった・・・。 カレは、週に1回か、2回。自分のアパートを掃除に行く感じ。 でも。 一緒にずっと居てもぜんぜん気にならない人だった。いつも穏やかで。 カレにむかっとするのは、わたしがレポート書いてる時とかくらい。 そんな時にばかり。頬にちゅっ、とかしてきて邪魔するんだもの。 だけどカレは。わたしが怒ってもちっとも気にしないの。 いつだって笑ってうやむやにしちゃうの・・・。 その、笑顔が浮かんできて。 また。 つい自分の頬を触ってるって気付く。 「卒業したら本当に一緒に住もう。 就職先からちょうどいい地点で、住むところを探そう」 同棲同然になってからは。何度もそう言ってくれていたから。 わたしもなんとなくそうしようかなと簡単に考えていた。 わたしの第2志望の企業と。カレが内定もらった企業は割と近くって。 何度も一緒に、賃貸マンションを見に行った。 ケンカした時用にそれぞれの個室確保したいって言ったら。すぐに謝るから必要ないって大きな声で言われて困った。 帰宅時間がずれるかもしれないし、寝室は別がいいわよと言ったら。1Kの部屋にしようかなと言い出して困った。 結局、2DKの部屋を借りることになったんだけど。 「ひと部屋は荷物置きだからね。俺に怒っても部屋に鍵かけて籠るの禁止だからね」くどいくらいに繰り返すカレが可愛くて困った。 ・・・一緒に住むんだと思ってた。 第1志望の企業から、採用通知が届くまで。 カレは「おめでとう」とすごく喜んでくれた。 受かるわけないって思ってたから、わたしも嬉しかった。 だけど、第1志望の企業へは。 契約したマンションから通うのは難しい。 今、住んでるところからなら通える。 「あすこ、ひとりでも家賃大丈夫?」と言ったわたしと。 「どうやって通う?」と聞いたカレ。 最初っから。話は嚙み合ってなかった。 「なんとか通えないかな」 とっくに調べてたわたしは首を横に振る。あのマンションから通うなら、交通機関はバスだけ。しかも乗り換え。始業時間には間に合わない。 「1時間で会いに行けるわ。毎週会える」 一緒に住まなくてもいいでしょ? 「俺は毎日、顔が見たいんだよ」 カレは寂しそうに笑った。 わたしだってそうよ?でもこの会社は諦められない。 「遠距離恋愛なんて、俺には無理だ」 遠距離って・・・そんな遠くないわ。毎週会いに行くわ。 「毎日会えないなんて・・・寂しくてだめだよ」 話は平行線のまま。何度も同じ言葉を繰り返す。 とうとうカレが言った。 「第2志望の会社では、いけないの?」 今から考えると、カレだって。それほど重い口調で聞いてない。 わたしがその言葉に激高していなければ。もっと話し合う余地はあったはず。 だけど、就活で疲れてた。身の丈以上の会社に入れるって浮かれてた。 ・・・言い訳だけど。 どうして一緒に住むために、わたしの希望をあきらめろと言えるのよ! わたしは意地になってしまった。 「一緒には住まないわ!」 睨むように見上げるわたしを見下ろして。カレは呟いた。 「俺は一緒に住みたかったんだ」 その言葉がすでに過去形だったことに。わたしは気づいてなかった。 一緒に住まなくっても、すぐに会いに行ける距離なんだもの。 最後までカレと別れる気なんてまったく無かった。 あんなこと、言われるなんて思ってもみなかった。 「・・・どうしても、俺と一緒に住む気がないんなら。 だったら・・・別れよう」 どうしてそうなるの?!って思ったけど。イライラしていたわたしはいいわと返事した。 別れを切り出したのはモトカレのほうだったのに。わたしよりずっと辛そうだった。   ・ 「そのへんで降ろしてください」 モールの手前でタクシー降りる。運賃上がるぎりぎりだったみたい。 すぐにメーター下げてくれた。いい運転手さんでよかった。 お礼を言って。 部屋へ帰って。 モトカレと選んだキートレーにカギを乗せる。 モトカレから買ってもらったスニーカーが目に留まる。 冷蔵庫からペットボトルの水を取り出す。モトカレが苦手だった硬水のブランド。 「それを飲むと俺、おなかをこわしちゃうんだよ」って笑ってたっけ。 いつだって、寝坊するのはわたしで。 カーテンを開けてくれていたモトカレが浮かぶ。 キッチンで目玉焼き作ってくれていた姿。「お皿出して」って笑う声。 お風呂掃除はじゃんけんで負けたほう。なのに、わたしが負けても手伝ってくれてた。 ・・・どうしてわたしは引っ越さないでいられるんだろう。 大学時代に借りたままの部屋は、会社に通うのにちょうどよかったから引っ越さなかった。 ・・・だけど、ここにはモトカレとの思い出しかないじゃない。 消せなかった携帯番号を探して。 出てきた名前を見つめる。 もうこれ以上遅くには、電話はできないな。っていうぎりぎりの時間。 そういうとこ、カレは気にする人で。 この時間だって「遅くにごめん」と必ず伝えてくれていた。 なんて謝ろう。会いたいってまず伝えて。 あなたしか、いないんだ。あなたじゃなきゃ、もうダメみたい。 フレックス勤務制度を利用したら、カレの借りた家から今の会社に通うのだって無理じゃないかもしれない。始業時間より30分あとのバスならあるのにって悲しかったのを思い出す。 テレワークもここ数年で増えたって、違う課の女性たちが話してた。 引っ越していってもいい? ずっと一緒にいたい。あの時のあなたの気持ちが今、わかる。 スワイプする指はドキドキと震えてて。 ほんの一瞬の空白の音に怖くなる。 あなたはなんて言ってくれるだろう。 呼び出し音を待っていたわたしに。 聞こえたのは無機質な・・・着信拒否の声。 コノデンワハオツナギデキマセン。 彼はもうとっくにわたしのことを切っていた。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!