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「ねぇねぇ直人」
「ん?」
「私さ、前に海外旅行行きたいって言ってたじゃん?」
「ああ、そんな話してたなぁ」
「今度の休暇にさ、有給も取って十日間ぐらい行こうよ」
「はあ? なに言ってんだよ、そんなの無理だろ。仕事も立て込んでるのに。前も結局無理だってことになったじゃん」
「ふーん、そっか。そうなんだ」
彼女は直人をジッと見た。その目は眼光が鋭く、相手を威圧してくる。
「な、なんだよ」
情けない声が出てしまう直人に対して、恋人の紗良はニヤッと笑う。
「いいんだけどね別に。いいんだけどさ、私は。でも、本当にそれでいいのかなって」
「な、なにが?」
「泥まみれにはなりたくないでしょ?」
背筋がゾクッとした。紗良は知っているんだと直感でわかった。金髪の後輩とのことを。自分の唾を飲み込む音が大きく響いてきて、唇が微かに震えた。
「……いや、な、なんだよそれ」
「泥まみれ、いやだもんね。顔にも服にも全部、泥が付いてさ。いやだよね?」
彼女の目を見られない。視線を外した直人は、紗良に従うようにスマホを操作する。
「あー、そうだ、海外旅行行こう! 来月、行こう。ここんとこずっと働き詰めだったし。海外だろ? ヨーロッパだっけ行きたいって言ってたの。行こう行こう」
「ほんとに? やったー、ありがとう」
直人の言葉に紗良は表情を変えて喜んでいる。子どものように無邪気に。
「直人、約束だよ。ゆびきりだよ。破ったらどうなるか……」
彼女の目は笑ってはいない。彼はぎこちない頷きをするしかなかった。
「絶対に離さないからね。一生、そばにいるから」
彼女の嬉しそうな顔が直人の胸の中に収まる。逃げられない、彼はそう思った。
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