1.祖父の暗号機

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1.祖父の暗号機

 遺産にはときとして思わぬものが紛れ込むことがあった。  祖父がミカン箱くらいの大きさの荷物を運び込んだのは、冷たい雪の降る二月の日曜日だった。僕は祖父がこっそりと部屋に運び込む現場を目撃して後をついていった。祖父は僕が見ていることに気づいていたが、それを気に留める風でもなく、僕に手招きした。  部屋の中は祖父が若いときから買い集めているアンティークで一杯だった。古びた木製のテーブルの上に置かれたさっきの箱から中身を出すのを手伝わされた。僕が触った感触ではきれいな木箱に入った何かの機械のように思えた。重さは10キロよりわずかに上回るだろうか。 「これ、なんなの?」 「開けてごらん」  祖父は白い手袋を僕に渡し触らせてくれた。ぎぎっと錆びた金具の音がして上蓋を開けると中にはアルファベットが記入されたタイプライターのようなキーボードが並んでいた。祖父は嬉しそうにこれが普通のタイプライターではないことを説明し始めた。  まず、キーの奥に同じ並びになっているランプがあり、キーを押すと点滅すること、そして、さらにその奥にはダイヤルがついていて、キーと点滅するランプのつながりを不規則にしてしまう暗号機になっていると説明してくれた。 「どうしてこんなものを買ったの?」  僕は家族が祖父の趣味に関してあまり理解を示していないことに薄々感づいていた。父たちが見たら「また変なものを買ってきて!」と、いやな顔をするに違いない。しかし、祖父は僕の質問の意味を取り違えた。 「これは第二次世界大戦のときに使われた暗号機で今では貴重なものなんだよ。エニグマ暗号機と言ってね。ドイツ軍が通信に使っていたものなのだよ。こんな程度のいい品物は滅多に出てこない。本当にいい買い物だったなあ」  そう言って新品の乾電池をセットしてスイッチを入れてキーを叩いた。押したボタンとは違う文字のランプが点灯した。そしてその瞬間、電磁石の音がしてダイヤルの一つがガチャリと音を立ててまわった。ダイヤルの中には電気接点が入っていて、これらが回ることで配線を組み替えて複雑な暗号を作り出すらしかった。  これがある限り通信の秘密は完璧に守られる。  しかし、長い戦争の間にやはり解読されてしまうという悲劇が待っていた。と、祖父は歴史の話を熱心な口調で僕に説明した。こうして祖父のアンティークコレクションがまた一つ増えた。  祖父の部屋に山積みされたアンティークが再び日の目を見たのは僕が中学三年生になった年の春だった。祖父が亡くなってから三ヶ月が経ち、残されたアンティークはほとんどが処分されてしまい、そのうち何点かは歴史的価値を買われてアンティークショップに引き取られていった。父たちは「ゴミ」と呼んでいたので多分、ものすごく安値で手放したのだろう。  僕はこれらのアンティークたちに祖父の愛着がこもっていると知っているだけに、ゴミみたいな扱いで引き取られていく姿が悲しかった。 「おいおい。これは大変だ!」  父の素っ頓狂な叫び声で騒ぎは始まった。  祖父のアンティークの目録がご丁寧にも封筒に入った形で見つかり、その中に誰の目にも値打ちがわかるもの、すなわち小判があったのだ。実際の目録には「慶長小判、傷なし」とか細かい項目が書かれていたが、アンティークには素人な父たちは小判とあるだけで大騒ぎとなった。なんと三百枚もあることがわかったのだ。財産分与に際して初めて出てきた財産らしい財産であった。
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