第19章 鍵のかかった部屋

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「純架ちゃんにとっては、こっちの社会に適応するのも仕事のうちでしょ。スマホを使いこなせるようになるのもその一環だから全然気にしなくていいと思う。そりゃ、俺が自分のスマホで読みたい漫画勝手に事務所のカードで買ったら大目玉だけどさ。純架ちゃんが何したとしても、あの所長が。文句言ったり怒ったりするとこは正直想像つかないよ」 それは。…当人であるわたしも、確かに。そう思う…。 高橋くんて、基本的にわたしに甘いんだよな。別にこっちに来てからだけじゃなく、思い返せば集落で初めて会ったときからずっと。とか考えながらおずおずとスマホの表面にゆっくりと指先を走らせる。 もともとは単に誰に対しても絶対に怒ったり苛ついたりしない、生まれつき心が頭抜けて広いだけの人なのかと思ってたけど。見たところ神崎さんにはさすがに職場の上司と部下なだけあってそこそこ辛辣なときがあるから、やっぱり寛大な心が適用されるのも時と場合によるらしい。ってことが次第に明らかになってきた。 それを見て神崎さんが純架ちゃんだけ依怙贔屓されてずるい。不公平だ、とかむくれるような性格じゃなくてよかった。まあ、向こうからしたらわたしは弱者も弱者すぎて。対等に張り合う気になるような相手にもなり得ないことはもちろんわかってはいるが…。 「あとね、必ずとは言わず気まぐれにでいいから。例えば一日一枚何でもいいから好きな写真撮って、ちょっとコメントつけるとか。それもスマホ使う練習になると思う。…こういうのどう?日記の無料アプリ」 自分のスマホでアプリストアを検索して見せてくれた。わたしは頭を寄せて、そこに表示された説明書きを真剣に読み込む。 「ふぇ。難しくないのかなぁ、わたしには。写真撮って記録に残すとか。いちいち戸惑ってわけわからなくなりそう」 「へーきへーき、慣れだよこういうのも。データ容量充分あるから、カメラ機能も気軽に使う習慣つけた方がいい。失敗したり要らなくなったらいくらでもあとで消せるし。メモ代わりにもなるよ」 そう言って、一緒になってわたしのアプリストアを開かせて検索、選択したアプリを取るところまで手順を教えてくれた。 「何となく触っててもある程度使い方わかるのがスマホのいいとこ。パソコンはさすがにこうはいかないけどね。…スマホとかタブレットに慣れたら今度はPCでの仕事の仕方教えるけど。そっちは集落でも少し使ってたんだよね?」 「はい。…でも、本当に決まったデータ入力だけだったから。改めて基本から全部教えてもらった方がいいかも…」 そんなやり取りを経て、その場でとにかくいくつかのアプリをスマホに入れた。 その後、高橋くんもわたしがスマホでまごついてることがあればいつでも親切に助け舟を出してくれるが。 結局アドバイスとしては、このとき神崎さんが教えてくれたゲームと電子書籍サイトと日記アプリでとにかく抵抗感をなくし、普段から気軽に手に取って遊び倒す。ってやり方が一番身につく早道になったと思う。 おかげで今ではわたしもJK並みのスマホ中毒になりかけてる気がする。毎日いくつかのソシャゲアプリのデイリーをこなす日課は欠かさないし、購入したコミックは紙の実物なら積み上げたらぎょっとなるほどの分量に達した。 日記アプリも最初にびびったほど難しいことは全然なくて、こっちに来てから目に入るもの耳で聞くもの全てが目新しいことだらけだからネタはいくらでも見つかった。 他人に見せるほどでもない備忘録みたいに、何気に写真撮ってメモ書きつけるっていう習慣がスマホの練習にもなったしあとでまとめて見返せるのもいい。 東京に出てきたばっかの頃はこんなの珍しがってたんだなぁ、とすっかり都会者になったみたいな気分で今でもたまに当時の記録を遡って楽しんでる。 二人頭を寄せ合ってそんなやり取りをしていたところに、不意に玄関ドアが開く音がしたかと思うと次の瞬間、高橋くんがリビングにせかせかと入ってきた。 「あれ。…朝から何処行ってたんすか、所長?猫探しの下見?それとも、例のストーカー調査の打ち合わせっすか?」 あとで聞いたところによると、ストーカー対策の依頼の場合打ち合わせは特に慎重にしないといけない(いつ何処で犯人の目にとまるかわからない)ので、朝一で依頼者の通勤の途上、自宅と会社の中間(つまり、どちらにも近くない)地点で待ち合わせるとか。昼休みに勤務地近くでかつ同じ会社の人が滅多に来ない店で落ち合うとか、いろんなパターンがあるらしい。 けど高橋くんはそうじゃない。と至極生真面目な顔つきで首を横に振ってみせた。 「猫探しは午後に現地に行って飼い主さんから直接詳しい話を聞く約束になってるから。そっちはもしかしたらカンちゃんに任せるかも。何たって猫探しのエキスパートだからな、最近は。立て続けに二匹見つけたって立派な実績もあるし」 「ええ〜、また俺そっちっすか。ずっと留守番中そればっかだったのに…。今度は所長が担当してくださいよぉ。好きでしょ、猫」 思いっきり不平を言われて高橋くんはしょうがないなぁ、とばかりに苦笑した。
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