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第一話 帰郷
「王子様に会ったことがある」というのがアニエの自慢だった。
それは、アニエが十歳のときのことだ。
彼女が生まれ育ったマルムの町は、たくさんの森に囲まれた小さな田舎町だった。そのひとつに「モリスの森」という白樺と杉の森がある。年中薄暗くて鬱蒼としたちょっと不気味なその森の奥地には、ユニコーンが棲んでいると言われていた。
アニエはユニコーンに会いたくてモリスの森によく遊びに行っていた。もっとも、ユニコーンが棲んでいると噂される奥地は立ち入り禁止区域で、幼いアニエにはそこまで行く勇気はまだなかったけれど。
そんなある日のこと、森に遊びに行ったままアニエは三日間も行方不明になったことがある。
三日目の朝、森の入り口で倒れているところを発見されると、気持ちよく寝ていたのに、とでもいうように彼女は大きなあくびをしながら目を覚ました。そして、にっこりと微笑んでこう言ったのだ。
「私、森の王子様に会ったの」
町の人々は妖精にいたずらでもされたのだろうと笑いあった。
アニエはむっとした。
でも、反論はできなかった。
なぜなら不思議なことに、王子様がいた、ということ以外ほとんど覚えていなかったからだ。行方不明だった三日間のことも何もかも。
思いだせるのは、きらめく長い髪が揺れていたこと。
白く輝く花が咲いていて、甘い匂いがしていたこと。
「帰ろう」
手を差し伸べられた。
その手は意外と小さかった。
その手を取ろうとした、そのとき――
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