7.笑顔

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7.笑顔

「ロジェってかなり甘えん坊なんだね」  チュッと額にキスをして私の髪を撫でた。 「今日は泊まる気でいるから大丈夫。駅の近くに美味しいハンバーガーが食べられる店があるから、明日一緒にブランチしよう」 「お、いいね」  私は天馬のほおにキスを返すと、笑顔を見せながら髪をまた撫でてきた。天馬はハンバーガーを食べた後、豊洲に行こうと提案してきた。ロジェに会いたいでしょう、と笑う。そういえばあの子はまさに恋のキューピッドなのだ。ちゃんとお礼を言いに行かねばならない。きっとまた彼は尻尾を振りながら、私の顔を舐めてくることだろう。 『業務報告は以上かな。で、プライベートの調子はどう?』  電話でノアが挨拶がてらそう聞いてきた。ようやく慣れてきた東京のオフィスの部屋には街を一望できる大きな窓がある。私は立ち上がり窓の向こうの街を見ながらノアに惚気てみせた。 『恋人とラブラブだよ。昨日も一緒に出かけたんだ。古本屋巡りにハマってるんだけど、君も来日したら訪れてみたらいいよ』 『ああもう、口を開いたら安高天馬のことばかり。いつか本人に会ってみたいものだね。評判もすこぶる良いし」  そんなことを言いながらノアは電話を切った。天馬はいま、主に情報収集・分析と資料作成をしている。最近では先輩コンサルタントに同伴してクライアントを訪問しているのだが、マネージャーいわくかなり素質があるようだ。無形商材の営業はなかなか難しいのだが、やりがいがあると天馬は目を輝かせている。  私は電話を置き、部屋を出て執務フロアを見渡していると天馬がクライアント先から戻ってきた。グレーのスーツに黒髪を後ろに流し、背筋を伸ばして歩く彼。入社して間がないとは思えないほど堂々としている。  一年前、のんびり犬の散歩をしていた青年の面影は全くない。だがそれはオフィスでの彼の顔だ。いまだにプライベートでは可愛らしい、あのままの天馬なのだから。ふと天馬がこちらを向き目が合う。 「ゼネラルマネージャー、何かご用でしょうか」 「ランチは済んだかい? ちょうど食べに行こうとしてたんだ。よかったら安高くんも一緒にどうかな」 「……じゃあ遠慮なく」  よそ行きの顔にも惚れてるなんて言ったら、天馬は二度とランチを一緒にしてくれないだろうから心の底にしまっておこう。 「もう今週は二度目だよ、ランチ」  並んで歩くとコソッと天馬が呟くので、私は思わず笑う。 「誰かさんが一緒に住んでくれたら、こんな真似しないのにな」  天馬はまだ一人暮らしをしている。週末は私の部屋に泊まるが日曜日の夜に帰ってしまうのがたまらなく寂しくてこうしてランチに誘ってしまうのだ。だが最近、不動産情報を天馬が見ていることに気がついてしまった。もしかしたらそろそろ考えてくれているのかもしれない。 「豊洲もいいなあ、天馬と住むなら」  お目当ての店に向かいながらそう言うと、天馬は笑う。その笑顔は上司に向けてではなく、恋人に向けたものだ。 「僕の給料じゃ、無理だよ」 「出世払いしてもらおうかな。それまでは私が負担するからさ。ロジェの散歩行くのも楽だろ?」  週末はたまに彼のお姉さんのマンションを来訪し、ロジェの散歩をさせてもらっている。もともと人懐っこいロジェは今やすっかり私にべったりと甘えてくる。同じ名前だからかなと天馬が笑うと、話を聞いたお姉さんまで声をあげて笑っていた。天真爛漫な彼女は天馬によく似ていて、かつ私たちのことも祝福してくれている。 「新しい店ができてたから、行ってみる? ピザが美味しいって評判みたい」  なんだかんだ言いながら、スーツ姿の天馬は嬉しそうだ。やっぱりランチに誘って良かった。 「うん。行ってみよう」  東京支店の赴任が済めば、スイスに帰国する予定だ。そのことを思うと胸が押しつぶされそうになる。だけどきっと私たちはうまくいく。何の根拠もないけれど、天馬の笑顔を見ていると、そんな気がするんだ。 【了】
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