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2、力なら有る
羽澄俊(ハスミジュン)は、見慣れぬ光景に茫然自失となった。辺りは一面が暗いのだが、足元では無数の光が煌めく。目が慣れると、それらは概ねが石の形をしており、自ら発光しているのだと知った。
頭上に目をやれば、より不可思議な光景がある。そこは夜空と思われるのだが、月や星々は見えず、その代わりに巨大な白線が描かれていた。まるで静止した稲光、もしくはパズルピースの境目であるかのようだ。
少なくとも、地上で拝める光景ではなかった。
「ここは、どこだ……?」
「気がついたかね。意識はハッキリしているか?」
「誰だアンタ!?」
羽澄の正面に、見知らぬ老人が佇んでいた。思わず身構えてしまう。続けて、敵意を隠すことも忘れて、相手を強く睨みつけた。
しかし老人は、涼し気な笑みを浮かべるばかりだ。羽澄の向ける儚い敵対心に、全く取り合おうとしない。
「我が名はレヴィン。まずは落ち着き給えよ、こちらに害意はない。むしろ味方だと言えるそうだ。君に対し、得難い支援を検討しているのだから」
「何者だよアンタは」
「それよりも、私は上手く擬態できているかね? 君に不審がられぬよう、姿かたちを変えているのだが」
レヴィンは総白髪の長髪に、純白のローブ姿という風貌だ。しかし体つきは筋肉質で、老いるどころか逞しさすら感じさせる。本当に老人かは分からない。
「ふむ、察するに及第点という所か。私の容貌は、君達からすると『大層醜い』らしいのでね。工夫させてもらったよ」
「それよりも質問に答えろ。アンタは何者だ、神様か何か? そんで、ここはどこだよ。死後の世界か?」
「どうやら好奇心旺盛らしい。1つずつ答えよう。まず私は信仰の対象ではない。そしてここは死後の世界でないが、君たちの言う『現実』ともかけ離れた場でもある。おそらく『異界』と呼ぶに相応しいのだろう」
「全然分からん……何言ってんだよ」
「ひとまずは、こう捉えておけば良い。特殊な環境下で、特異なる存在を相手にしている、と」
老人は、指先を煌めかせると、虚空をなぞった。すると1つの光景を映し出した。そうして見えたのは、夜更けの屋外で、血溜まりに突っ伏す青年の姿だ。首は大きくひん曲がり、ツムジが足首の方を向く様はグロテスクだ。
良く見積もって瀕死。順当に見れば亡骸である。
「これは、オレだよな……。死んじまったのか?」
「死に至る寸前だ。長くは保つまい」
「うわ……。自分の死体を見るとか。気持ち悪いってもんじゃないな」
「何やら君は、無我夢中になって走り出したな。不自然と言い切れるほど、唐突に。一体何が起きた?」
「そんなのオレが聞きたいくらいだ。何だか幻聴が聞こえてきて。それが怖いっつうか、とにかく、ジッとしてられなくなった」
羽澄は冷静になると、あの状況が不審に思えた。前触れ無く押し寄せた幻聴は、声に全く聞き覚えがない。そもそも、人の声だったかすら怪しく思う。
そこでレヴィンは、鷹揚に頷いた。更には全てを理解したと言う。この取り留めもない話を嗤うこともなく、たった1度で把握してみせたのだ。
「なるほど。思いの外、明快な理由であった」
「本当に分かったのか? だったら説明してみろよ」
「つまりはこういう事だ。意志薄弱の状態で、『異界の口』に訪れたせいだな。その為、イービルから検知されやすくなった結果として『マギカ素体』狙われた。幻聴は、奴らのささやかなる攻撃だ。特に君の場合は『マギカ・コア』を魂に眠らせている。それが撒き餌にも似た機能を果たし、魑魅魍魎なるイービル共が気の逸るままに押し寄せる事態と……」
「情報量ッ! なんだその専門用語の雪崩は!」
解説は丁寧な口調だった。しかし、理解出来るかは別問題だ。
「受け入れがたいか。だが安心したまえ、いずれ理解できるだろう。君は『特別な存在』という事だけ、覚えていれば十分だ」
「いずれ理解って……いつまで付き合わせるつもりだよ」
「それはさておき、本題だ。君は件(くだん)の事件をどう感じている?」
「件の? どれだよ」
「君を破滅へと導いた、あの事件についてだ」
再び指先がきらめくと、眼前の光景が変わった。
今度は街中で、深夜の路地裏。そこには数名の若者と、地面に倒れ伏す男の姿が映し出された。
途端に羽澄は、胸の痛みに襲われた。忘れたくても忘れがたい光景であったからだ。
「君はあの日、いわれの無い罪を背負った。いや、背負う羽目になったと言うべきか」
「やめろよ……」
「現実から目を逸らすな」
構わず羽澄は目と耳を塞いだ。しかし不思議な力が作用して、脳裏に直接響くようになる。それらは断片的に、そして哄笑を織り交ぜながら、幾重にも重なってゆく。
――お前の妹、穂乃香って言ったよな。14歳だっけ? その歳で手足引き裂かれて殺されるとか、可哀想にな。
――お前んちの親父やババアも、自宅ごと焼け死ぬなんて。
――脅しじゃねぇよ。そういう『不幸な事故』が起こる事だって有り得るだろ。
――キッチリ犯罪者を演じてこいや。
方々から哄笑が鳴り響き、やがて遠ざかっていく。その不可思議な体験が過ぎ去るのを、羽澄は荒い息を吐きながら見送った。
「卑劣な男だな。君に罪をなすりつけては、現場から逃走。手下とは口裏を合わせて証言。こうして冤罪が作られたと言う訳だ」
「やめろって言ってんだろ!」
「どうした。君の過去を振り返っただけじゃないか」
「放っといてくれよ、もう。オレにどうしろってんだ」
「君という存在に興味が湧いた。ぜひとも真意を教えて欲しい」
羽澄は横を向いたままで沈黙した。しかし老人に遠慮など無い。
「君はなぜ、言われるがままになった。重罪である事は分かっていたはずだ。気軽に背負えるものではあるまい。事態の深刻さを見誤ったのか?」
「それは……」
「自分が犯した罪であるなら分かる。償うのが筋だ。だが、君は事件に一切関与していなかった。突然呼び出されて、そして擦り付けられたに過ぎない。それなのに何故」
「仕方がなかったんだよ!」
羽澄は、心の荒ぶるままに叫んだ。こうなると自制が利かなくなる。涙も、叫び声も、溢れるに任せるだけだ。
「家族を守るために、それしか方法が無かった! 警察も学校も当てにならないし、頼れる人なんて誰も居なかったんだよ!」
「罪を擦り付けた男は、権力者を父に持つようだな」
「街の奴らは皆、あの親子の言いなりだ! もしオレが無実を主張したら、今度は家族が危険に晒されるんだよ!」
「なるほど。自らを生贄とすることで、家族を守ったと」
「そうだよ。人生を棒に振るだなんて、最初から分かってた」
「では聞こう。君の家族とやらは、幸せになれたのか?」
「えっ……?」
老人の言葉が、羽澄の中で刺さる。まるで鋭利な刃物が侵入してきたかのよう。あまりの切れ味に、切られた痛みがジワジワと遅れてやってくる。そんな感覚があった。
「君は家族の為に自らを犠牲にした。人生の意義を棄てるだけでなく、遂には自殺までも敢行した。その結果、家族は幸福を得られたのか? この先、笑顔に包まれた暮らしを送れると?」
「それは……違う気がする」
「友や仲間はどうだ。君の行いに敬意を抱いたか? 勇敢であると褒め称えたか?」
「それも違う」
「では、君の振る舞いは間違いであったと言える。選ぶべきでない悪手だったと」
「じゃあ何だ、家族を皆殺しにされた方が良かったって言うのかよ!」
「いいや。君は戦うべきだった。悪逆の徒に従う事無く、正義を知らしめるべきだった」
正論だ。確かにレヴィンの言葉は正しい。
しかし羽澄は呆れたように笑いだした。レヴィンの説教は非現実的で、およそ達成不可能。正しくとも無意味な言葉で断罪するのは、もはや暴力である。
若干16際の若者であっても、世間については理解していた。人間世界は『正義が勝つ』ようには、出来ていないと。
「お前のは、子供の理屈じゃないか……。世の中には勝てない喧嘩ってもんがあるだろ! 負けると分かってて戦えるもんか! 自分だけじゃなくて、家族まで危険に晒されるってのに!」
羽澄はその場で崩れ落ちた。そして、眩く煌めく小石を、握りこぶしで叩く。頬を伝って流れる涙も、涸れる気配が無い。
「オレだって力があれば、強かったら、戦ってた。でもオレなんかが歯向かっても、何にもならないんだ。虫けらみたいに、簡単に踏み潰されてお終いだ……」
「世の中は、常に力の論理で成り立っている。それは人間世界も変わらぬらしいな」
「法律だの権利だなんて綺麗事は、肝心な時には役に立たない! でも社会なんてそんなもんだろ、何もかもが強いやつの為に出来てんだ! オレみたいなクソ弱い人間は、這いつくばる事しか出来ない!」
「力なら有る」
「えっ……?」
「1つ教えてくれ。君は自分の境遇について、どう感じている?」
「それは、その、呪われた運命だと思ってる」
「違う。それではまだ途上だ。なぜ呪われたなどと?」
「アイツに目をつけられて、罪を背負って、島送りにされたから」
「まだまだ。そこに何を感じる?」
「何をって……」
「大切なことだ。誤魔化さず、魂の声を聞け」
羽澄の心は、既に丸裸である。流した涙が、地に叩きつけた拳が、彼の心の壁を粉砕していた。
そうして吹き出て来るのは、極めて純粋な感情だった。腹の奥底から、濁流の如き鼓動が押し寄せてくるのに合わせて、酷く真っ直ぐな言葉が飛び出した。
「このままじゃ終われない。犯罪者にさせられて、家族からも見捨てられて、何もかも奪われたんだ。このままで終わるつもりは無いッ!」
その時だ。羽澄の身体が輝き出す。自ら発光している事に、彼は否応なしに気付かされた。特に、赤黒く光る自分の腕には、寒気すら覚えてしまう。
「なるほど、それが君の種か。『傲慢』辺りかと思いきや、まさか『憤怒』だったとは。やはり話してみなければ分からんものだ」
「何だそれ。1人で納得すんのは止めろよ」
「いや済まない、気に触ったなら謝ろう。では前置き通り、得難い支援を授けようじゃないか」
「支援……うわっ!?」
羽澄の手元に、光球が現れたかと思うと、棒状に伸びては実体化した。それは一振りの剣であり、羽澄の掌で鋭い輝きを放つ。
磨かれた鏡のような刀身を誇る、美しい剣だった。両刃型で厚みのある両手剣なのだが、大して重くない。むしろ身体の一部であるかのような、不思議な一体感がある。その大きさに反して、片手で振り回す事さえ簡単であった。
「何だこれ、剣……?」
「癖のある武器だが、君なら使いこなせると思う。上手く扱ってくれ。銘は、そうだな。龍鳴剣(リュウメイケン)とでも呼びたまえ」
「名前なんてもうでも良いよ。それよりも、コレが何だって言うんだ」
「申し訳ないが時間切れだ。長々と説明するだけの猶予がない」
「時間が無いって?」
「じきに君の命が尽きる。そうなってからでは遅いのだ」
なおも言い募ろうとする羽澄を、レヴィンは相手にしない。最低限の説明責任を果たそうと、矢継ぎ早に告げた。
「その剣で悪意を討ち滅ぼせ。戦うべき相手なら剣が教えてくれる」
「悪意って、何だそれ!?」
「倒すと決めた相手は躊躇わず斬り倒せ。それによって君が新たな罪に問われる事はない。安心して大暴れしてくれ。細かな理屈ならば追々知る事になるだろう」
「ちょっと待てよ!」
「力を得た君が果たして、どんな正義を遂行するのか。楽しみにしているよ」
レヴィンが言い終えると、辺りには痛烈な閃光がほとばしる。羽澄は、瞳が焼け付きそうな痛みから、思わず両目を閉じた。
その痛みが収まった頃、恐る恐る目を開いてみた。すると視界には月明かりが飛び込んだ。波が打ち付ける音も聞こえてくる。
「ここは……?」
身を起こして周囲を見渡した。街灯の光が、暗い海で停泊する船を照らし出す。記憶が確かなら、ここへ訪れる際に乗った船だ。
そこまで見て、ようやく現実世界だと認識した。
「いやいや、オレは崖から飛び降りたハズじゃ……」
見上げてみると、崖の淵が見えた。首を大きく曲げなければ視界に入らず、相当の高さがある。建物にして5階か、それ以上だと目測した。
「あそこから落ちて、無事……? そんなまさか」
羽澄は次に足元へと目を向けた。アスファルトは一面が血溜まりで、赤黒く染まっている。白色の街灯が血の脂を照らすので、より凶々しく感じられた。
自分のツナギ服も鮮血で濡れている。やはり他人事と見做す事はできなかった。
「これ、オレの血なんだよな。こんだけ出血しても助かるもんなのか?」
羽澄がその場で立ち尽くしていると、横から話しかけられた。そちらは夜闇に覆われており、姿かたちが見えない。それでも声だけは明瞭だった。
「どうしました。大丈夫ですか?」
「あっ、はい。特に怪我とかしてないみたいです」
「大丈夫ですか? 本当に、大丈夫ですか?」
相手の口調が、徐々に乱れていく。発音もどこか不明確だ。
そこで不意に風が吹き、羽澄の頬を撫でた。思わず身を凍らせてしまう程の、不気味な気配を伴って。
「さっきも言いましたけど、痛いところは無いし、平気です。凄く運が良かったのかもしれません」
「大丈夫ですか。大丈夫ですか。大丈夫ですか。クケケ大丈夫ですかかかカカカッ」
「あの……?」
相手の口調は乱れて破綻。声も急激に異質なものへと変わりゆく。
異質なのは声だけではない。ヌタリ、ヌタリという足音も不気味だ。羽澄にとって馴染みのない響きだが、ともかく靴の音でない事は確信した。
そうして現れた姿を、羽澄が忘れる事はないだろう。
その人物に衣服はない。代わりに全身は、無数の鱗と、緑色の皮膚に覆われている。顔面も人間の物から大きくかけ離れており、有るべき位置に耳が無い。そこには、球型の眼が左右に1つずつ備えられていた。
「ヒッ! な、何だよお前は!」
「クケケケ、大丈夫ですか。マギカ・コアの小僧ちゃん。大丈夫ですかカカ?」
「来るな! あっちに行けッ!」
「イェへへへ。オレにもやっと運が巡ってきたぜ。極上のマギカが、食べ頃になって据え膳とはなぁ! これで王の仲間入りも夢じゃねぇぜ!」
化物は、汚らしい笑い声とともに飛びかかってきた。
反射的に羽澄が避ける。男の身体を潜るようにして。それでダメージはないものの、態勢は激しく崩れた。
羽澄は尻もちを着いて後ずさる。次の攻撃は避けようが無い。もはや詰みの状態であった。
「大人しくしろよクソガキちゃん。きっちり殺してやるからよぉ!」
「やめろーーッ!」
嗤いながら駆け迫る敵。羽澄は咄嗟に手を突き出した。すると突然、その手が赤黒く輝き出した。発火にも似た煌めきは、形状に鋭さを増し、やがて一振りの剣と化した。
羽澄はもちろんの事、敵すらも予期せぬ事態である。剣の切っ先は緑の身体に突き刺さり、鱗まで容易く貫いてしまう。
続けて、化物の全身が紅蓮の炎に包まれていった。
「ギャアアア! 熱い、熱いいぃぃ!?」
耳障りな断末魔の叫び。それが止むと、敵の身体は燃え尽きた。骨どころか、灰すらも残らない。
「一体、何がどうなってんだよ……」
辺りは既に静寂を取り戻していた。波の音と、フクロウの鳴く声が聞こえるばかりだ。
羽澄は、しばらくの間、茫然自失に陥った。あまりにも非現実的な出来事が、立て続けに起きたせいだ。
「とりあえず、オレは生きてるって事で良いのか?」
いっそ、幻覚や妄想と片付けた方が楽だった。打ち倒した怪物の身体も、貫いた剣も消えているのだから。
生々しく残されたのは、落下時に残した大量の血だけだった。地面も、羽澄のツナギも、赤黒く染まっている。
「クソッ。どこから現実で、どこからが夢なんだよ!」
もう何も聞きたくない、考えたくはない。羽澄はあらゆるものを拒絶しながらも、寮への道を辿っていった。彼の身体はどこも異常無く、足取りもスムーズである。その事実がまた、恐ろしくも感じられた。
心情はどうあれ、羽澄は無事生き延びた。彼が死んで終わるはずだった物語は、奇縁の手助けにより、大きく様相を変えていく。
果たしてこの先、どのような運命が待ち受けているのか。それを知る術は無いのだが、平坦な道でない事だけは明らかだった。
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