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1.
「チャンスは残り三回です」どこか楽しげに声は告げた。
獣人――犬狼族の男で、痩せて背の高いボルゾイ系の容姿は日本人には珍しい。仕立ての良いスリーピースの背広をきっちりと着こなしている。
嗅覚判定士資格認定試験の実技試験。会場である河都大学共通B棟の講堂は、静かだが重苦しい緊張の匂いで満ちている。彼はその試験監督官だ。
その手許に置かれた判定台の上では、受験者である柴本が選んだ臭紋キューブが、紫外線灯に照らされて蛍光色を放っている。
試験に用いられるキューブは、正しい答えのものには無臭の蛍光塗料を染み込ませることが決められている。もし不正解ならば、立方体の色は白から変わらない筈だ。全一〇問のうち、またひとつ正解したことを示していた。
**********
「――とまぁ五問目までは順調に進んだのさ」
夕食の席で、同居人はいつものように昼間に遭遇した出来事をわたしに語って聞かせてくれた。彼の話を聞いて書き留めるのは、共同生活を始めて以来ずっと続いている。
書いたものはこの家の家主であり、海外赴任が長引いて日本に帰れていない眞壁さんに近況報告としてメールで送るのが常だ。出来映えに応じて家賃がタダ同然になる他、遠い国の珍しいお土産が送られて来ることもある。
ビールを片手に語りに熱を入れる同居人、柴本光義は便利屋だ。さまざまな頼み事を請け負うことを仕事にしている。
ウェブ上の口コミを見る限りでは、評価はおおむね高いようだ。その確かで丁寧な仕事ぶりは、テーブルの上に並んでいるご馳走からも想像がついた。
帰り道で行きつけの魚屋に立ち寄り、尾頭つきの真鯛を買ってきたらしい。
捌いて身は刺身と焼き物、頭と骨は吸い物に。新鮮な刺身は歯ごたえがあり、噛むと独特の甘みが染み出てくる。醤油を付けて口に入れると何とも言えない心地だ。吸い物もまた、生臭みは気にならず、それでいて旨味はしっかりと引き出されている。
人間であるわたしは目の前の男のような鋭い嗅覚は持たない。が、並んだご馳走の素晴らしさはよく分かる。
「ぷはーっ!」麦芽とホップだけで作られた高級なビールを美味そうに呷る。
試験結果はどうだったのか、聞くまでもなく見当がついた。
それにしても、その監督官の人って意地悪だよね。思ったことを口にすると
「そうか?」空になったコップにビンから手酌で注ぎながら同居人は首をかしげた。
だって、あと何問まで間違えられますよなんて言い方、いやらしいっていうか陰湿っていうか……。
「まぁ、そう言うなって。どこまで出来たか教えてくれるってのはありがたいさ。で、おれはこう返したわけよ――」
ビンの中に残ったビールは半分くらい。惜しむようにちびりと舐めながら、同居人は話を続けた。
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