名月と妙な縁

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 いつも歩いている歩道橋に人が集まり、スマホを空に翳しているのを見かけて、俺も空を見上げた。見かけるといっても、スマホを持ち立ち止まる人にぶつかっただけだ。真正面から当たってしまい、謝ると彼は軽く笑って、スマホを空に向けた。その動きに目を取られた俺は、立ち止まる人々と同じように、空を見上げた。  美しく輝く月の光が目に沁み、涙が一粒こぼれ落ちた。太陽のように刺さるような光ではないのに、凛とした光が眩しかった。 「疲れた」  久しぶりに溢した独り言は誰の耳にも入らなかった。何ヶ月間も必死に働き、月を眺めて涙を流して初めて、俺は自分の疲れを認識した。  帰りたいけど、明日仕事に行きたくない。逃げ出したいから帰りたくない。明日も仕事があるから帰らなければならない。結論が出ないまま、俺は人混みを外れた。相反する気持ちを抱えながら、足は勝手に家へと向かっていた。 「……!」  アパートに向かう暗闇の中で、何かの声が鼓膜を震わせた気がした。意識が起き上がり、俺は瞬きを数回繰り返す。助けて……あまりにも疲れすぎて自身の口から飛び出してしまったのだろうか。静寂の道で立ち止まり、深くため息を吐いた。自宅まであと少しだ。ひとまず寝たら今日を終えられる。重怠い身体に鞭を打った。 「助けて!誰か……来るな!」 今度ははっきりと聞こえた。いや目撃した。スーツ姿の太った男が誰かに覆い被さっている。細い手首を握りしめ、赤ら顔でニヤニヤと笑っていた。その下には被害者と思われる人が叫び、足を乱して抵抗していたが、大柄な男の体はびくともしない。  襲われている現場を目にしても、疲労した脳は働いてくれなかった。大声で周りに知らせるべきか、警察を呼ぶべきかも判断できず、男を呆然と眺めながら、俺は一歩進めた。 「あ?何だお前」 いつの間にか近づいていた影に気づいた男はにやけ顔を仕舞った。その瞬間、不愉快な顔に俺はパソコンが入った鞄を振り下ろしていた。鈍い音が聞こえ、殴った振動が腕に響いた。 「何するんだ」 男は額を抑えて、怒鳴った。何だ……まだ、こいつはいるのか。 「軽かったか……。もっと強く振り落とした方が良かったかな」 「はぁ?」 俺はもう一度鞄を持ち上げた。 「ひぃ」 間抜けな高い声を上げて、男はよろめきながら走り去っていく。振り下ろす場をなくした腕から力が抜けた。 「あ、ありがとうございます」 「どうも。……大丈夫ですか?」 ふらふらと地面に座り込んだ人に手を差し伸べようと近づいた。満月の光が彼の瞳に反射する。金色の瞳、黒い髪……から飛び出す三角の耳、ひょろりと伸びた黒い尻尾が現れた。
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