あの頃の僕ら

2/5
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/41ページ
修二は、親の顔を知らない。 家族との思い出も無い。 楽しい思い出もイヤな思い出も、心の片隅にすらひとつも無かったりする。物心が付いた頃、彼は、児童福祉施設で暮らしていた。岩手県宮古市田老町にある『若葉の里児童園』である。施設で暮らしている児童の数は、7〜8名。年の頃は皆、修二と同じくらいであった。その場所で、修二は、拓磨と未季に出会った。 最初に施設を訪れたのは、修二であった。或る年の夏の日の夕べの頃である。 修二は、比較的に我儘な性格なのだが、他人の思惑などは殆ど気にも止めない一面もあった。例えば、食事の時間に好き嫌いをして食べられないでいる児童を見掛けると、決まって彼は話し掛ける。 「‥‥‥そんなにイヤなら、俺が代わりに食べてやろうか?」 そう言って、彼は、誰かの残り物を黙々と食べ始める。その時の修二の顔は、至って無表情なのである。彼には、好き嫌いが無かった訳では無いのだけれど、しかしながら、それでも、食べ物の好き嫌いをして、食べ残したモノを捨ててしまっては、食べられる為に殺されてしまう生命に対して失礼であり、冒涜であると言うのが、修二の言い分である。それにも増して‥‥‥。 彼は、常にイヤな表情を誰かに見せる事を何よりも嫌っていた。誰かが辛そうな表情を浮かべている時など、決まって、修二は相手に話し掛ける。その様な修二の行為に対して困惑してしまう児童もいたりするのだけれど、それでも修二の存在感に勇気付けられている児童も少なからずいた筈である。 それとは裏腹に、拓磨は、内気で大人しい性格の持ち主であった。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!