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  「ねえ見て? あの子、みっともない格好」 「卑しい賤民よ。見ない方がいいわ、不潔が伝染るから」  くすくすと嘲笑する女たちの声。街の通りを歩くだけで、心ない言葉を言われてしまった。けれど、こんなのは慣れたものだ。  リナジェインはこのアンデルス皇国で最下層の身分階級である賤民として生まれ、これまでもずっと謗りを受けながら育ってきたのだから。  はるか昔、飢饉と戦争で国が荒れていたころ、政府は国民の不満を中枢から逸らすために、あえて差別される階級を作った。それが――賤民だ。人々はずっと、賤民を見下して疎んできた。 「やーい! ぼろ雑巾!」 「田舎に帰りやがれ!」  小さな子どもが小石を投げつけてきて、頬から血が滴る。 「――痛っ」  都市の人たちは、大人も子どもも差別意識が強い。  まとわりつくような奇異の眼差しに、少しばかり萎縮しながら、石畳を歩いた。 (兄さん……きっと見つけるから、どうか無事でいてね)  向かう先は、皇都で有名な占い店。  名のある貴族や皇族も傾倒するという占い師が運営する店だ。リナジェインは行方不明になった兄ユーフィスの消息を確かめるために、遠方の田舎からはるばる出てきたのだ。 「ちょっとあなた、待ちなさい」  街道の途中で、若い女に話しかけられた。リナジェインのような下賎の身では一生袖を通せないであろう上質なワンピースを着たその女は、凍えるような目つきでこちらを見下ろして言う。 「身分は?」 「……賤民です」 「やっぱりね。なら、さっさと皇都を出ていってちょうだい。目障りなの。あなたみたいな賎しい人間が、私たちと同じ道を踏み歩かないでよ」  そのとき、紅を差した真っ赤な唇に、氷のような嘲笑が掠めた。なんて意地の悪い笑みだろう。 「も、申し訳ありま――」  上の者から命令されたら、賎民は歯向かうことなく従わなければならない。こちらに非がなくとも、咎められたら謝らなくてはならない。それが暗黙のルールだ。  染み付いた癖で、謝罪を口にしかけるが、それを噤んだ。内心では動揺しつつも、それを悟られないように平然を装い淡々と答える。 「――お言葉ですが、私には皇都に踏み入る正当な権利があります。皇帝陛下がひと月前に施行された"入都許可令"をご存知ありませんか?」 「何よ、それ……」 「身分に関係なく、誰もがこの皇都に入ることができるということです。政令により認められた権利を侵すことは、あなたにもできないのでは……ありませんか」  少し前なら、賤民は皇都に入ることを許されておらず、不法に侵入したら重罰が下された。しかし、現皇帝の図らいにより、賤民の入都は許された。  だから、ここでこの人に邪魔される筋合いはないのだ。リナジェインは不服そうな女を尻目に、「では、失礼します」と頭を下げて、横を通り過ぎた。 (あああ、助かった……。もうやだ、都会怖い……)  胸に手を当てて、ゆっくりと息を吐いた。彼女はなんとか見逃してくれたが、タチの悪い相手だと、更に難癖をつけて絡んでくることもある。今回は運に恵まれたようだ。  リナジェインがこうして皇都の公道を歩けているのは、紛れもなく入都許可令のおかげだ。現皇帝は、これまでの皇帝と違った。  賤民のことも人間として見ており、救済するための様々な政策を行っている。賎民にとって、彼は暗闇に差し込む唯一の希望だった。  ◇◇◇  占いの店は、質素な木造の建物だった。数ヶ月分の給与に相当する代金を支払い、待合室で待つこと十分。  簡素な個室に呼ばれ、ベールを被った中年の女が、水晶に手をかざして鑑定を始めた。  女は厚みのある唇をそっと開き、玲瓏と告げた。 「あなたのお兄様は生きておられます」  その言葉に、心底安堵する。 「本当ですか!? で、では、どこに行けば兄は見つかりますか?」 「宮殿に行きなさい。さすれば、いずれ再会を果たされるでしょう」 「宮殿……」  そこは、賤民にはあまりに無縁の場所だ。皇族と大勢の使用人らが居住し、高貴な身分の者のみが出入りを許される。  自分なんかが一歩でも足を踏み入れたら、即捕まって首が跳ねるかもしれない。  しかし、選択の余地はなかった。兄を助けられるというなら、どんな危険だって顧みない。行くしかないのだ。 「分かりました。ご助言、ありがとうございます」  すると、占い師は最後にこう言った。 「――そこであなたは、この国が太陽に選ばれることになるでしょう」 「た、太陽ですか……?」  太陽の言葉が指すのは、この国の皇帝だ。    そのときは、彼女の言葉の意味は分からなかったが、宮殿に行ったことで、リナジェインの人生は大きく変わることになる。
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