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 月夜の晩は妖たちの力が弱まり、安倍彰浩ら陰陽師の力が増す。そのため、いくらか楽に妖を退治できるーーはずなのだが。 「オンキリキリ」  真言を唱えながら、霊力をたっぷり込めた呪符を撒き散らす。だが、呪符は瞬時に灰と化す。それどころか浄化した側から呪詛が復活する有様だ。 「なんという呪詛の強さ……」  思わず苦笑が漏れる。こんなものにただの人が触れたら大変である。たちまち瘴気に当てられて倒れてしまう。日が昇ってしまえばここは牛車が行き交う大通りだ。大惨事になる前に退治したいのだが。 「くっ……どうしたらいいんだ……」  ぱしっ、と呪符を叩き落とされた。  若手陰陽師の中で最も優秀と言われる安倍彰浩だが、のっそりと地中から姿を現した大きな人型の妖に手こずっていた。  人ではない証に、それの手は地面につくほど長く、鋭い爪を備えている。緋色だろうか、赤に見える体毛はふさふさとして毛足が長い。顔形も動きも、人より猿に近いだろう。  そもそも地面から人がにょっきり出てくるはずはないのだが。  さらに厄介なことに、この長い毛を本人が毟るとそれは子分となり、本体の命令に従い彰浩に襲いかかってくる。それらをいちいち祓っていたら霊力を使い切ってしまうので、異界から式神を呼び出して退治してもらっている。 「一丁前に、烏帽子をかぶって直衣なんか着ちゃってさ。いいご身分だよね」 「彰浩の持っているものよりも、仕立ても生地も良さそうですね。こいつを倒したら衣が残ると思うので貰ってはどうですか」  月の光を浴びて穏やかに微笑む青年は、銀の鎧を着てその背に濃い青の髪の毛を垂らしている。目鼻立ちがくっきりした美形である。ガチャガチャと音がするのは腰や腕に多数の装飾具をぶら下げているからで、これはほとんどが主人を助けるための道具である。  本来は慈悲深いと言われている式神だが、白銀に輝く神剣を振りながらさらりと酷いことを言う。 「蘭星はいつも発言が酷いな。俺に対する優しさが欠片も感じられない」 「そうですか? まぁこう見えても神の端くれですからね、優しくはありませんよ」 「そうだね、神ってのは意地悪だからね」 「意地悪というのも違いますが、ま、甘やかすことはありませんね」  軽口を叩き合いながら、彰浩の手は止まることなく印を結び呪符を投げ続ける。烏帽子を被った猿はぎゅいぎゅいと耳障りな鳴き声を出しながら手をブンブン振り回して彰浩を叩き潰そうとする。片腕は封印の術で動きを封じることに成功したが、もう片方の手と二本の足は自由なままだ。鋭い爪が時折彰浩を引っ掛けては投げ飛ばす。軽々と投げられる彰浩を素早く捕まえるのは蘭星だ。 「まったく……あの爪は厄介ですね。彰浩、神弓を使った方が早いでしょう」 「ん、そうだね」  懐に手を突っ込み、数珠を取り出す。それを宙に投げて特殊な印を結ぶ。目の前に、青白く輝く大きな弓が浮かんだ。異界から召喚したのだ。 「彰浩、今回力を込めたのは白虎です。風の力なのであの妙な猿も一撃で退治可能ですが……あなたの霊力の残りが少ない。無理のないように」  わかった、と頷く彰浩少年の額には汗がびっしり。  異界で式神が神力をこめた弓だ。構えるだけで体力と霊力を吸い取られ、人間の体には負担が大きい。 「オンキリキリ!」  真言を唱えながらギリギリと弓を引く。月の光の加護が加わって力強さが増す。危険を察した猿が、咆哮をあげながら彰浩に突進する。このままだと衝突は避けられない。 「彰浩、今です!」  蘭星の落ち着いた声に導かれて弓を放つ。 「あ!」  猿が、矢を力任せに薙ぎ払った。猿の腕は焼けたが、致命傷にはならない。 「くっ……もう一度……絶対、仕留める!」 「彰浩、無茶をしてはいけない!」 「だけど俺がやらなきゃ!」  再び弓を構えるが、それより早く猿が怒りの一撃をお見舞いし、彰浩の体が吹っ飛んだ。飛んだ彰浩を受け止めたのは蘭星、彰浩の手から離れた弓矢を受け止めたのは、白い衣に白い髪の美しい少女だった。 「う、白い髪……白蘭、かな」 「はい。異界からきてくれたようです」 「彼女……たたかえる、の……?」  もちろん、と蘭星は微笑む。 「そ、か……あとは、任せる」  蘭星は、がくりと気を失った彰浩をしっかり抱きかかえた。それを見た白蘭の眉が跳ね上がった。怒ったらしい。 「……おとなしく、退治されなさい」  華奢な少女が弓矢を構えると、弓がぐぐっと巨大化し、装飾も豪華だった。これが、この神弓の本来の姿だ。 「逃しませんよ。月夜に私たちに遭遇したのが運の尽きです」  彼女の両の手首には、幾重にも細鎖が巻かれている。それが青白く輝き出す。と、月の光が帯となって彼女と蘭星に降り注ぎーー否、彼らが月の光を吸収しているのだ。  ぎゅいぎゅいと騒ぐ猿が、白蘭に攻撃を仕掛けるが、結界に阻まれて傷一つつけられない。 「許しません」  ちらりと視線を投げた先では、ぐったりした彰浩を抱えた蘭星が防御壁を展開している。が、守護は彼の不得手とするところ、やりにくいのだろう。 「蘭星、この呪具を使って。わたくしの守護結界が使えます」 「心得た」  指から小さな輪っかを一つ抜いた白蘭は、ふわりとそれを蘭星に投げた。蘭星がそれを掴んだ瞬間、強力な結果が出現した。 「当代白虎は守備に優れているときいていたが、すごい堅牢だな……」  どん、どん、と、猿が結界に体当たりをはじてる。白蘭の柔らかな眉が不快そうに歪められた。 「野蛮な者は好みません……失せなさい」  弓が放たれる寸前、猿は横っ飛びに大きく飛んだ。 「逃しませんよ!」  飛び跳ねて逃げる猿を、弓矢が追いかける。 「滅!」  ぎぃやああ、と闇夜に獣の断末魔が響く。 「蘭星」 「心得た」  彰浩を白蘭に託した蘭星が、駆け出す。程なくして蘭星の、 「封!」  という声が響いた。 「月の力に助けられましたね」  妖は退治したがーー腕の中の若い陰陽師の傷は深い。  
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