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お山のふもとから俺たちの家まで、歩くとおおよそ二十分ほどかかる。こじんまりとした恵比寿神社と稲荷の祠が祀られているのを横目に、おみと一緒にぼちぼち登っていく。
ずっと手を繋いでいたおみだけど、はしゃいでいるからか一人でふらふらと寄り道をし始めた。とは言ってもここは迷うような道では無いし、目を離さなければ大丈夫だろう。しかし初めて来る場所でもないだろうに。どうしてこんなにも物珍しそうにしているんだ。
「りょーた、おはな!」
「お花だねぇ」
「これたべられる?」
「うーん、食べない方がいいかなぁ」
やっぱり手を繋いでおいたほうがいいかもしれない。得体の知れない草を食べてお腹を壊したら大変だ。
「大丈夫かな……」
「そこはこれからお前がちゃんと見てやるんだよ」
「危なさそうだったら教えて」
「うーん、それは難しいなぁ」
「え?」
ふ、と隣を見ると。
修三さんはいつも通り穏やかに微笑んでいた。
「なんで、どうして?」
「そりゃあ、お前とおみとの生活だからだ」
「だからって……今まで好き勝手隣にいたくせに、なんで急にいなくなるんだよ!」
「私の役目はこれで終わり。役目が終われば居なくなる。そういうものだろう?」
「そんな……」
手を握ろうとしても、当然ながら虚しく空を切るだけ。ふわりと浮き上がった修三さんは、お山の頂上を指さした。
つられてそちらを見そうになったけれど、その隙に消えられても困る。必死に視線を修三さんに向けた。
「私はいつでも、あそこにいるよ」
「でも、そばに居てくれないと……」
「不安かい?」
「当たり前だろ! 俺は何も出来ない、どうしようもない人間なんだ。修三さんみたいにおみを育てられる自信はない!」
「大丈夫、私がお前を選んだんだ。自信を持ちなさい」
そんなこと言ったって。俺は本当に、本当にどうしようもない人間なんだ。自分で決めたこそさえ最後までやり通すことが出来ない。自信もないし、自虐的だし、後ろ向きな性格だ。
修三さんがいたからここまでやってこられたのに。
「もし、困ったことがあったらいつでも会いにおいで。私はいつでもお前を見守っているから」
「でも……こんな、急にお別れだなんて……」
「人生なんてそんなものだ。だからこそ出会いは美しく、奇跡的なものなんだよ」
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちてきた。しゃくり上げる声が大きくなって、地面に涙が染みを作っていく。
もう二度と会えないわけじゃないって分かっているのに。どうしてこんなにも、胸が痛いんだろう。
「お前は本当に優しくていい子だね」
「そんな、いい子じゃない……っ」
「いい子だよ。私の自慢の……孫、みたいなものだ」
「じゃあ、最後に俺のわがまま、聞いてくれる?」
「ん?」
本当の孫には、なれない。
俺には血の繋がった祖父がいるし、修三さんとは遠い遠い親戚でしかない。
それでも、俺にとっては大切な、大切な「家族」なんだ。
「じいちゃん、って呼んでもいい?」
呼び方だけで何かが変わるとは思っていない。俺との関係はこれからも変わらない。でも、俺にとって特別な存在だから。
せめてこれくらいのわがままは、許して欲しかった。
そう言うと、修三さんは驚いた顔をしたあと、恥ずかしそうな顔でくしゃりと笑った。
「もちろん。ああ、私はとんだ幸せ者だ。死んだ後に孫が出来るなんて」
そうして、じいちゃんはふわりと浮かび上がった。そのままお山の頂上向けて飛び始める。その瞬間、今まで当たり前に感じていた温もりが消えていく感覚がした。
ああ、俺はずっとこうして守られていたんだな。
「それじゃあね。困ったことがあればいつでも助ける。お前はお前らしく、頑張って生きなさい」
「うん。ありがとう、じいちゃん」
「みいぃ、りょーた? どしたの?」
なかなか追いかけてこない俺を心配したのか、おみが戻ってきていた。何もいないところを見て泣いているんだから心配もするだろう。
しゃがみこみ、おみの頭を撫でてやりながら空を見上げる。じいちゃんの姿はもう見えなくなっていた。
「ちょっとね。大切な人に挨拶していたんだ」
「どこかいたいの?」
「痛くない。痛くないよ」
「おなかすいた?」
「そうかも。おみは?」
「すいたー!」
抱きついてくる小さな体を担ぎあげる。耳元でおみのはしゃぐ声が聞こえた。
じいちゃん。俺、頑張ってみるよ。
おみを立派な龍神様に育ててみせる。
そうしたら、また褒めてくれる?
「おみ、お家に着いたら何食べたい?」
「なんでもたべるよ」
「よし、いい子だ」
「むふー」
こうして、俺とおみの生活が始まった。
*
「こら、おみ! つまみ食いは駄目だって言っただろ!」
「みええぇ……ちびちゃもたべたよ……」
「猫と張り合うな! あーもう、口の周りに餡子がついてる」
そんなこんなで、おみとの生活が一年以上過ぎた。最初はどうすればいいか分からず、悩むこともあったけれど。
なんとかここまでやってこられた。
「りょーたぁ、ごめんしゃい……」
「もう分かったから。ほら、ちゃんと座って食べよう」
「うぃ」
おやつのあんこ餅と熱々の緑茶を机に置く。叱られてぺしょんと項垂れていた尻尾がご機嫌に揺れていた。
気持ちの切り替えが早すぎる。
「りょーたのおもちおいしー」
「それはよかった」
「ねね、おさんぽしよー」
「いいね。俺、行きたいところがあるんだ」
「み?」
お重にたくさんのお餅を詰めて、たまには頂上まで行ってみよう。
たまには俺も甘えたいんだ。
「俺の大好きな人がいる場所」
「おみより?」
「おみは特別」
「きゃー!」
さあ、準備が出来たら出発しよう。
世界で一番優しい場所へ。
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