化けの皮ごと

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化けの皮ごと

 日本橋の裏通りにある、アール・デコ様式の小さなビル。その二階にはささやかな事務所がある。    この『鬼塚探偵事務所』は、帝都の人々なら一度は耳にしたことがあるくらいには有名だ。――なんせ、現場を1度見るだけでピタリと犯人を言い当てる名探偵だという評判があるのだ。彼の名前が新聞に載るのも1度や2度ではない。  けれど評判の割に探偵事務所はいつだって閑古鳥が鳴いていた。それは所長であり探偵である鬼塚知成が、とてもやっかいな性格をしているためだ。  この探偵、仕事は選ぶし、態度も悪いのだ。「退屈な依頼に興味はない」と門前払いされる客が後を立たない。そのくせ呼ばれてない現場には、嬉々と出向いて警察を嘲笑うのを楽しみにしているものだから、警察関係者からも蛇喝のごとく嫌われていた。  彼らは知成のことを、口を揃えて『迷惑探偵』と呼んでいる。  そんな事務所に、珍しく客が来ている。  薄い桃色の着物を着た可愛らしいお嬢さんだ。歳は15を越えたくらいだろうか。あどけない面差しをした少女は、不安そうな表情の老いた使用人を引き連れて、ためらいなく探偵事務所の扉を叩いたのだ。   「ようこそ鬼塚探偵事務所へ」    窓際の豪奢なデスクに頬杖をついた男が、視線も向けずに出迎えた。  薄い茶色の長髪を青いリボンで結った男だ。どこか異国情緒を感じる面立ちに、物憂げなグレイの瞳がよく映えている。明け方の月のような、儚い美貌を称えていた。    ――とっても綺麗な男の人だわ。    少女は思わず息を飲んだが、「ご依頼ですか?」と駆け寄ってきた背広姿の女に声をかけられて、はっと我に返った。    少女は虎ノ門付近に屋敷を持つ商家の娘で、名前を吉野川春子と名乗った。  神妙な面持ちで「調べて欲しい人がいるんです」と言う彼女を前に、背広の女はデスクでふんぞり返る探偵の様子を横目で窺った。  普段、素行調査など請け負わないと依頼人を追い返す探偵は、今日ばかりは大人しく新聞を流し読みしている。その様子に胸を撫で下ろすと、素早くソファーに案内した。   「絶対おかしいんです」    ふかふかのソファーにちょこんと腰かけた年若い少女が、手の中にあるコーヒィカップを睨み付けながらそう切り出した。 「おかしい、というのは?」  自分の分のコーヒィカップを片手に対面に座る背広の女が首を傾げる。  一見線の細い男のようにも見える彼女――五百蔵なつめは、探偵ではなく助手だ。そして探偵・鬼塚知成の妻でもある。肝心の夫は後ろのデスクで頬杖をついて欠伸をしていた。およそ人の話を聞く態度ではない。 「姉の……婚約者のことです」  ぎゅ、と春子が薔薇色の唇を噛みしめた。 「姉は数年前から結婚を約束した人がいました。でも、彼は以前小川町で起きた大規模な火災に巻き込まれ、歳の近い妹さんと共に還らぬ人となりました。腕の1本しか戻って来ず、妹さんに至っては遺体も何一つ残りませんでした。それ以来、姉は可哀想なほどに塞ぎこんでしまって……でも、最近になってその婚約者が生きていたことがわかったのです」 「それは良かったじゃないですか」 「でも、全身に火傷を負った恐ろしい姿で、ですよ? 確かに隻腕だし、背格好も似てはいるけれど……あれじゃ本人なのかなんてわからないと思います」 「けれど、その火傷の方はお姉さんの婚約者を名乗ったと」 「はい。姉も『本人だ』と認め、姉自身が強く希望したため、数年前の約束通り、来月末に籍を入れることになっています」 「……ここに依頼に来た、ということは貴女は火傷の方がお姉さんの婚約者だとは思っていないという事でしょうか?」 「勿論です!」  春子は力強く頷いた。綺麗に整えられた指で顎に触れ、思案するように眉間に皺を寄せる。 「顔も声も変わってしまっているので本人だって確認できないですし……あと、なんというか、姉に対しての態度が……」 「固いとか、義務的であるとか?」 「いえ、逆に‘‘優しすぎる’’のです」 「良いことじゃないですか」  なつめは後ろクロスワードパズルに取り組む夫を見た。この男は勤務態度こそ最悪だが、妻に甘い夫の代表のような男である。 「他所の家はどうか知らないですけど、ウチと相手のお家は結構……亭主関白なところがあって。婚約も家同士の契約って感じで、姉と婚約者さんの間には距離があったと思います」 「でも、お姉さんは婚約者の訃報を聞いてかなり気落ちされたんですよね?」 「それは私も意外に思ったのですが、姉には気持ちの優しいところがありますし、普通、将来の伴侶が死んだと聞かされたら動揺するものではないでしょうか」 「それは確かに」  なつめは漫然と頷いた。 「妹の私から見て、この縁談は不審な点が多すぎます。両家の不和を招く無作法者と謗られることを承知でお頼み申し上げます。鬼塚様の類い稀なる観察眼を、どうかお貸しくださいませ」  口調を正して深々と頭を下げる春子に、なつめは「知成さん」と探偵を呼ぶ。  ――どうするつもりなのですか。ちゃんと返事をしてください。  そういいたげな目で探偵を睨む。  年端も行かない少女が誠心誠意を込めて頭を下げているのに、良い大人に無礼な態度を続けさせるのは気が咎めた。 「いいよ、受けよう」  新聞を放り出した知成が頷く。 「私の目は類い稀なる特別製でね。一目みれば君の姉の婚約者の事など、一から十までお見通しさ」   「…………あんなこと言っていいんですか?」  上機嫌に跳ねる春子の背を見送りながら、なつめはため息をついた。  純真な少女を騙しているような罪悪感がある。知成はまったく悪びれた風もなく「もともとそういう約束だったしゃないか」と肩をすくめた。
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