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涙
「そうでした。そのことも話をしたかったのです」
ついでといってはなんだけど、ジョフロワとカフェにいたことも言い訳しておきたい。いいえ、違った。説明しておかないと。
「彼は、アムラン王国の大商人エルキュール・ロートレックの甥のジョフロワです。彼らは、このラングラン侯爵領に商売で立ち寄ることがあります。主に翡翠の取引をする為です。その彼らに、慈善病院の援助してもらおうと思いつきました。そして、彼らは援助することを快く引き受けてくれたのです。援助してくれているジョフロワの誘いを無下には出来ませんので、食事をしたりお茶を飲んだりしています。とはいえ、まだ一度だけですが。ああ、そうでした。今回の流行り病の件は、彼とは無関係です。彼からきいた話ではありませんし、彼から要請を受けたわけでもありません」
やましいことはないのよ。
そう暗に伝える為に、フェリクスの翡翠色の瞳を見つめたまま言いきった。
「きみは、流行り病の話を真に受けているのだな?」
「真に受けている? どうしてそんなことを?」
ジョフロワのことについて話をした直後に問われた内容は、困惑するしかない。
(流行り病のことが嘘だというの? だとしたら、いったいだれが何の為に嘘の情報を流したわけ?)
フェリクスの問いは、あまりにも非現実的すぎる。
「いや、いい。きみの問題だが、きみがしゃしゃり出る内容ではないな」
「なんですって? 他国とはいえ、助けを求めているのですよ。フェリクス様、苦しんでいる人や困っている人がいることを、わかっていらしゃるのですか? それとも、他国の人だから無関心だし、無関係だと?」
立ち上がって怒鳴っていた。
彼があまりにも無慈悲だから。
「他国だから、だ。アムラン王国のその村や町の民たちは、訴えるところ、助けを求めるところを間違っている。まずは自分たちの領主、領主がクズならば地方役人や官僚、それがダメなら王都に求めなければならない。もしもきみがしゃしゃり出れば、政治的にアムラン王国につけ入る隙を与えてしまう。ジラルデ帝国は、癒しや加護の力を使って人心を掴み、操作しようとしているとな。アムランの医療技術は、わがジラルデ帝国より進んでいる。それに、流行り病に対して敏感だ。この問題は、きみの問題ではない。アムランの問題であり、かの国が対処すべきだ」
「そ、それは……」
彼と出会ってから初めての長い台詞は、腹が立つほど冷静に、ぶっ飛ばしたくなるほど無表情で淡々と語られた。
ああ、そうだった。最初のあの強烈な手紙も、長台詞で綴られていたっけ。
とにかく、その初の長台詞は、頭からバケツの水を浴びせられたかのような衝撃を与えてくれた。
たしかに、フェリクスの言う通りかもしれない。流行り病ともなれば、癒しや加護の力や慈善活動以前に、領主や地方や国が対処すべきこと。
いくら国境に接しているからといって、わざわざ隣国に助けを求めるのは筋違いな話。しかも、国じたいではなく領地にである。
「話は以上だ」
なにも言い返せないでいると、フェリクスは立ち上がって背を向け窓を開けた。
草と陽光の入り混じったにおいが、執務室内にふんわりと侵入してきた。
両方の拳を握りしめていた。手が真っ白になるまで。
いつものように、わたしの存在を否定しているフェリクスの大きな背中。
それを見つめる視界がにじんできた。
(ここで、彼の前で涙を流すものですか)
大きな背中を睨みつけつつ、油断すると頬に伝いそうになる涙を必死にこらえていた。
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