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15歳
「——って訳で、またトモヤの気まぐれに付き合わされてさぁ……」
閉め切られた美術室の空間に、絵の具と汗の匂いが漂う。
衣ひとつ纏っていない少年は、真剣な表情でキャンバスと向き合う少年に向けて延々と愚痴を垂れ流していた。
「こっちは夜までサッカーの練習でくたくたなのにさ、『金土は徹夜のぶっ続けでスマブラやるから全員集合!』とか言われて」
「……疲れてるから休みたいって断れば良かったのに」
「そんなことできるかよ!トモヤの誘いは絶対だから!」
「なんでうちの学校の人たちって、トモヤを絶対君主のように扱うんだろう。
余計図に乗ると思うんだけど」
「分かってねえなあ、カイリ!
アイツに嫌われたらこの島じゃ生きてけないんだって!
ほんとカイリくらいだよ、その辺のオキテに無頓着なの」
「……それより……あんまり動かないで、ミナト」
「あ——ごめん」
カイリは真剣な表情を崩さないまま、一心不乱にキャンバスと向き合ったままだ。
ミナトはそんなカイリを見て、呆れたようなため息をつきながらも、くすりと笑った。
「カイリってさあ。
俺のことなんだと思ってる?」
「モデル」
「ヌードモデルね。
全く……なんで俺、こんなこと安請け合いしちゃったんだろうね?
何時間も動いちゃダメって言うから、せめて口だけは自由に動かしたいのにさ、
喋り出すと手振りがついちゃうからその度にカイリに叱られてさー……」
ミナト——坂井湊と、カイリ——工藤浬はともに新作中学校の三年生。
ここ新作島は小さな離島であり、島民同士は全員が顔見知りだ。
子どもの数も少ないため、島にある中学校はここ新作中ひとつだけ。
小学校もひとつなので全員が幼馴染として共に育ってきた仲である。
その中でも学校の絶対君主とされるのがトモヤ——佐藤朋也で、一つしかない三年生クラスのボス的存在だった。
ミナトはトモヤと行動を共にするグループ——いわゆる『いつメン』に所属しており、クラスでは割と目立つ方の生徒だ。
社交的でサッカーが得意、顔もそこそこ良いため、トモヤが認めるいつメンの一人として小中と安泰な暮らしを送ってきた。
——というのは表向きで、実際はトモヤの我儘に付き合わされ、内心辟易としているのだが。
一方のカイリは、どのグループにも属していない。
カイリは中学二年生の夏、島の外から引っ越してきた転校生。
文武両道で顔も整っているが、島育ちのクラスメイトとは言動や価値観が異なることがカイリの孤独を助長した。
ただでさえ閉鎖的な空間に入ってきた『ヨソモノ』扱いであるところに、
皆が暗黙の了解としてやっているトモヤへのヨイショに参加せず、トモヤに媚びることをしなかったため、孤立するまでそう時間はかからなかった。
トモヤから好かれていないことは誰の目に見ても明らかだったため、カイリと親しくする者はおらず
ミナトもトモヤの目がある手前、カイリに話しかけることは避けていた。
そんな状況が変化したのは、二年の冬の頃。
放課後、グラウンドに残って一人サッカーの練習をしていたミナトは
日が落ちた後も美術室の灯りだけがついていることに気がついた。
誰かの消し忘れかもしれないと思ったミナトが帰り際に美術室へ立ち寄ってみると、そこで一人キャンバスに向かうカイリの姿を見つけた。
これまではトモヤやいつメン達の視線を気にして接触を避けてきたが、
東京から越して来たというカイリの話をずっと聞いてみたいと思っていたミナトは
今ならば周囲を気にせず話せると考え、「お疲れー」と声をかけながらカイリの側に近づいて行った。
「なんの絵描いてんの?」
何気なくキャンバスを覗き込んだ時——ミナトは言葉を失った。
キャンバスには、新作島の美しい海が描き出されていた。
丘の上に建つ新作中の窓からは、グラウンド越しに海が見える。
いつも日が暮れるまでグラウンドで自主練をするミナトも毎日目にしている、美しい夕陽に照らされたオレンジ色の海。
今はすっかり日が沈んで外は真っ暗だが、カイリのキャンバスではまだ海が煌々と輝いていた。
繊細なタッチと美しい色合い。
本物の景色よりも美しいとさえ感じた。
普段はトモヤやクラスメイト達に合わせ、人気のゲームや流行りの音楽、女性アイドルの話題などで盛り上がっているミナトだが、
カイリの絵を見て初めて芸術というものに心を打たれる体験をした。
その新鮮な感動を忘れられなかったミナトは、以来自主練の後には美術室を覗くようになり、そこで絵を描くカイリと会話をするようになった。
自分が周囲の目を気にせずリラックスして話せるお陰もあってか、カイリの方も腹を割って話をしてくれるようになり、
この半年の間で二人は互いのことを沢山語らい合った。
サッカーのこと、絵画のこと、互いが生まれ育って経験してきたあれこれ——
穏やかで理路整然とした話し方をするカイリと居ると、普段は張り詰めさせている心の緊張が解けるのをミナトは感じた。
そしてこの半年、二人が語らう間にもカイリは様々な風景画を描き、その全てにミナトは感嘆の声を漏らしてきたのだが——
「そーいえば、カイリって風景以外の絵は描かないの?」
ふと口から出た言葉だった。
いつも風景の絵ばかり描いて飽きないのかと思った、それだけだった。
「ほら、島にいる猫とか海を飛んでる鳥とかでもいいしさ。
そういう絵も見てみたいなーなんて」
「……生き物は動くから。動かれるとデッサンが狂って描けないんだよ」
「ふーん。確かに猫や鳥に大人しくしとけなんて言えないよなあ」
「——人間相手なら『じっとしてて』って言えるから、描けるよ」
「マジか!」
ミナトはパッと顔を輝かせた。
「じゃあ次は人物の絵を描いてよ!
カイリの描く人物画、見てみたい!」
するとカイリはじっとミナトを見つめた。
「……な、なに?」
「ミナトがモデルになってくれるなら、描いてもいいよ。人物画」
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