悪魔を退治したあとに

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悪魔を退治したあとに

 今日で僕は転校する。せっかく住み慣れたこの町とも、もうお別れだ。ホームルームが終わり、クラスメイトに別れを告げる。いつもと変わらない放課後の校舎。下校で賑わう校庭を抜け、校門をくぐろうとしたとき、聞き慣れた声が僕を呼び止めた。振り向くとそこにはマキが立っていた。 「ほんとにサヨナラなんだね」 「そうだね」 「寂しいね……」 「まぁ、そうだね」  今にも溢れ出しそうな感情。それを抑えようとするあまり、気づけばそっけない態度を取ってしまっていた。せっかく見送りにきてくれたのに――無言のまま足元を見つめる僕に、彼女は手紙を差し出してきた。 「君と過ごした時間は短かったのか、長かったのか? それは分からないけれど、近くでずっと君を見てきたんだ。だから、君以上に君のことを知ってる」  そう言うとマキは、手紙をグイッと押しつけてきた。 「お節介かもしれないけれど、私なりに君のダメなところを探してみたんだ。君にとっては発見かもしれないよ。私が君をカッコよくしてあげたいんだ。だから、手紙をよく読んで、ダメなところが直せたなら、その時は私のこと、迎えに来てよ」  もはや言い残したことはないといった様子の彼女。くるりと背を向け歩いていくその姿が校舎に吸い込まれる。目の前には屈託なく笑う彼女の残像だけが残った。  夏は知らぬ間に過ぎ去り、気づけば肌寒い風。見上げるとそこには高い空が広がっていた。まっすぐ家に帰る気にもなれず、帰り道にある公園のベンチに座り、彼女からの手紙を手に取る。そこには僕に宛てた助言が書き連ねられていた。 『君のダメなところ。他校の男子たちとケンカしているのか、いつも顔にアザばかり作ってるところ。男は強くなきゃね。もっと鍛えて、悪者なんか倒せる男になりなさい』  そうだね。僕は決して強くない。マキの言う通り、いつも体のどこかに傷を作っていた。それを心配そうに見つめる彼女。できるだけ悟られまいと気を使ってはいたけれど、バレバレだったね。強くならなきゃな。 『君のダメなところ。誰にでも優しいところ。優しい性格は君の長所だね。ただ、誰にでも優しい男は、女子からはモテないよ。ほんとに大事な女の子にだけ、優しくできるようにならなきゃね』  なかなか難しい課題だ。人によって性格を使い分けられるほど器用な人間じゃない。きっと僕は、誰からも嫌われたくないんだ。だから、できるだけ人には好かれようとしてきた。優しく接していれば嫌われることはない。そうやってどんどん臆病な人間になっていったのかもしれない。 『君のダメなところ――君のダメなところ――君のダメなところ――』  その後も手紙の中の彼女は、僕を優しく叱ってくれた。よくもまぁ、ここまで僕のことを見てくれていたものだ。そのどれもが的確で頭が上がらない。彼女の言うとおり、僕にとって発見ばかりだった。  そして、ようやく最後のダメ出しを迎えた。 『君のダメなところ。私を寂しくさせるところ――』  彼女の筆はそこで止まっていた。その続きは書かれていない。余白から彼女の本意を汲み取れと言いたいんだろう。皆まで言わなくてもわかる。自分の気持ちに素直になれってことだな。  じゃあ本音を言うよ。ダメなところなんて直さなくとも、今すぐにでも君に会いに行って好きと伝えたい。できることなら君を抱きしめてみたい。将来のことなんて誰にもわからないけれど、「ずっと一緒にいよう」って約束したい。それほどに僕は、君のことが好きだ。初めて会った日から今日まで、その気持ちに揺らぎはない。正直な気持ちを彼女に伝えられるような男になれ――そう言いたいんだよな。  でも、せっかく彼女なりの想いをこうして伝えてくれたんだ。それには応えたい。ダメなところを直し、理想の男になって、マキを迎えに行こうと思う。  ただ、君が見つけてくれた僕のダメなところ。ひとつだけ間違いがあるんだな。  僕が顔にアザを作っていたのは、他校の連中とケンカしてたからじゃない。もともと僕は派手なケンカをするような人間じゃない。元凶は、僕の家の中にいる。いつも酔っ払っていて、まともな姿を見たことがない。見知らぬ女を家に連れ込み、気に触ることがあると、目につくものを片っ端から壊していく悪魔。平和だった家庭も壊し、母との関係も壊し、僕から何もかもを奪っていった。そんな悪魔が家にはいる。そして、そんな悪魔と血が繋がっていると思うと、吐き気がする。  君が望むとおり、僕はダメなところを直して、君に会いに行く。だから、まずは家に帰って、悪魔を退治しようと思う。刺し違えたとしても、この世から悪魔を消し去ってやる。たとえそれが、君の望む答えと違っていたとしても。  でも、もし、僕が悪魔に打ちのめされ、亡骸になってしまったときには、君が僕の第一発見者であって欲しい。そして、僕のことを優しく包み込んで欲しい。きっともう、君のそばから離れることはないから。  無邪気に駆けていく下校中の小学生たち。遠くでうねる町工場の機械の音。切なさを連れた秋風の香り。僕はそれらを全身に吸い込んでみた。高くなった空をもう一度見上げたあと、くたびれた通学カバンからペンを取り出す。そして、最後のダメ出しの、()と書かれたところをマキ(・・)と訂正し、 『君のダメなところ。マキを寂しくさせるところ――は、もう直したよ』  と書き込み、丁寧に手紙を折りたたむと、胸のポケットにしまった。
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