三十分の救済

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 ここは人里離れた埼玉県の片田舎、人口は北海道の夕張市の八千人にも満たない。  巻川は首に下げたタオルで、脂肪で膨らんだ頬に流れた汗をぬぐった。十月も下旬だというのに、六畳の部屋は彼の肥えた体から発する熱気で窓という窓が曇ってしまいそうになっている。着ている長袖のTシャツの背中もグッショリと濡れて、絞れば湿らせた雑巾のように汗が滴るだろう。  大学を休学して、かれこれ二週間もクマ型のパワードスーツの製作に没頭している。  「それも今夜で終わりだ!」と、彼は自分を励まし、最後のネジを廻して模造したクマの右手を固定した。  「よし完成だ!」  工学の知識と今まで貯金を使って完成させた《作品》を眺めて、巻川は満足げに溜息をついた。  壁時計を見れば、午後八時だ。  「十月二十日がお前の誕生日というわけだ」と、彼は独り言を言いながら、完成したばかりの《クマ》の背中をなぜた。  外見上はどこからどう見てもクマだ。とても大型バッテリーと小型モーターを装備した、合成樹脂の塊に見えない。  完成させたのは、金もうけのためで、コレで大金を手にする気でいる。  「もっとも、たくさんの死体を《製作》しなくちゃならないけどさ」  巻川は猟奇的に舌なめずりした。  なぜなら、彼なりの人生哲学で導き出されたのが《他人から金を奪うしか、楽に暮らす方法はない》という結論だからだ。  「それには冷酷さが必要だ! 今まで出会った、どの経営者も弱者から貪欲に労働力を絞ることしか考えちゃいない! まるで吸血鬼みたいな奴ばかりじゃないか! そいつらを喰って何が悪い!」  仲間は作らない。赤の他人を闇サイトで誘い込み、強盗をやらせてピンハネするという方法は、彼からすれば幼稚にしか思えなかった。  「そんな真似すればいつかはバレる、第一素人の強盗なんか、すぐ足がつくじゃんか、連中は自分のことは自分でやるように親から注意されてないのか?」  じゃあどうすればいいか? 彼は部屋をクマのようにうろついて独り言を口にした。  「人間以外の姿になればいい。今の時期ならクマが出没してもおかしくない!」  楽に仕事ができるように、クマの両手には鉄球が仕込んであり、これはソフトボールほどの大きさがある。  「証拠が残らないように狙った獲物は皆殺しだ!」  外側はクマの手でやられたように見えるように入念に作ったので、警察の鑑識をごまかせるはずだ。  ターゲットはもう、決めてある。  「まず隣のねえちゃんだ! あのカップルを血祭りにしてやる!」  隣人に、最近結婚した二十歳過ぎの娘がいるのだが、彼を馬鹿にして「バーカ! バカ!」と笑い声をたてるのだ。それもグラマーな美人がやるのだから、可愛さ余って憎さ百倍、こう彼は怒っていた。  「ミニスカ履いてたら足を眺めるだろうが! 腹が出ていたら目がいくだろうが! それがなぜいけない!」  何のことはない、いやらしい目で眺めるので嫌われているのだが、それが巻川には理不尽に思えて仕方なかった。  「だったら、露出が多い服を着るなよ、馬鹿野郎!」  忌々しいことに彼女は近所の評判も良く、誰からも好かれている。それさえ嫌悪する理由だった。  本音では妬ましいのだ。  彼は容姿に恵まれたすべての人間を妬んでいた。  「俺だってハンサムだったら、短足でなくて足が長かったら、人に好かれていたんだ!」  巻川は悲しげに自分の腹を見た。  まだ二十歳だが腹と胸に贅肉が垂れ下がって、お世辞にも容姿に恵まれた人間ではない。  だが鈍重そうな見かけとは違い、頭脳は明晰で、人一倍プライドが高かった。  「それを傷つけて喜びやがる!」  悪意に満ちた若妻の笑顔を思い出して、彼は屈辱に身を震わせた。  もっとも不愛想で、いつも不機嫌そうに歩き、挨拶もしない彼をだれもが嫌っていた。  どうしても人間関係がうまくいかない。バイトしても長続きせず、どこの職場でも孤立して、店主と喧嘩別れする。その繰り返しだ。
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