【二章】番いのαから逃げた話

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「よぉ。おかえり」 「………ただいま」 事務所の扉を出て駐車場に向かうと、田舎の風景には似合わない派手な柄シャツを着こなすデカい男が俺を出迎えた。 この人は芦屋貴文(あしや たかふみ)さん。……新野さんの友達で、俺の協力者になってくれた恩人の一人。 「どうせ特売に行くつもりだったんだろ?必要そうなもん適当に買っといたぞ」 「卵は?」 「あ……悪い、完全に抜かってたわ。あとでスーパーに寄ってやるよ」 どうぞ、と車のドアを開いて俺をエスコートする。 俺には自動車メーカーや車種のことも分からないけど、芦屋さんに大事にされている車なんだと思う。外も中もいつも綺麗だ。 車にゆっくり乗り込む俺を芦屋さんは支えるようにそばにいるし、自分で車のドアを閉める前に芦屋さんよってパタンと閉められてしまった。 「よろしくお願いします」 「おう。けどよぉ、いい加減そのクソ丁寧な挨拶どうにかしない?」 「でも」 「宜しくかありがとうでいいんだよ、俺は敬語を使われるのに慣れてないんだ。ついでに笑顔で言ってくれりゃ満点だな」 これからいつものように、俺が住む家に送ってもらうのに礼を言わない方がおかしいだろ。 それに……職場の女性陣がアンタが俺の番いじゃないのかって噂してるんだよ。その空気を読んだ俺がいち早く否定すれば「紹介してくれない?」て聞かれそうな流れだ。 あんまり妙な噂をされたくない気持ちから芦屋さんに馴染めないのは仕方のないことだ。 「眠いなら寝てな、着いたら起こすよ」 「親子丼…、たまご抜きでもいい…?」」 「あぁ。八木君の作る飯はうまいからな」 「…ん」 嫌味なく褒められるのは嬉しい。 それと同時に悲しくなる、あの人をの事を思い出すから 窓の外を眺めると、少しだけ眠い瞼が勝手に落ちた。 流れた時間に”まだ”が正しいのか、”あっという間”の表現が正しいのか分からない。 芦屋さんに公園で声をかけられた俺は車に乗せられて、新野さんの婚約者だった佐伯尊(さえき たける)さんの元へと連れていかれた。 まるでドラマが描いたような閑静な住宅に建てられた立派な家。 そして、案内された庭で優雅に紅茶か珈琲をすすっていたのは人形のように綺麗で美しい人だった。 ――先生の、【婚約者】。 いつか会うかもしれないと覚悟をしてなかったわけじゃない。 「……・、」 だけどいざ対面するとダメだった。 事前に車内で佐伯さんが待っていると芦屋さんに聞かされて、貴方が持つべきだった番いをにしてしまったことへの謝罪と、今から俺に浴びせられるだろう罵倒と非難への覚悟をして来たつもりなのに…。 喉の奥で言葉がつっかえている、情けない。 「おいタケ。いつまで流暢にしてやがる?あんなに会いたがってた八木君だぞ」 「もう、たまには雰囲気も大事にしてください」 重苦しい雰囲気を壊してくれたのは意外にも芦屋さんからで、声を聞いて佐伯さんが男だと知って驚いた。 「私はこれでも嬉しさを噛みしめてるんですよ?写真で見るよりもずっと可愛い、の番いに会えて」 「!?」 ねぇ?と見つめられて微笑まれたって俺に返せる言葉なんてないし、笑顔を浮かべても心の中では許されていないのも分かっている。 「なにが雰囲気だ。どうせ俺がいない間に無駄に俊哉を煽ってブチ切れさせたんだろ?八木君が可哀想だ、さっさと本題に入ってやれ」 「アッシーは相変わらずせっかちさんですねぇ」 「ガキをいじめんなっつってんだ」 やれやれと首を振る佐伯さんと、呆れた様子を見せる芦屋さん。 それでも固まることしかできない俺を見た佐伯さんは、天使のように慈悲深い笑みを溢していた。 【八木唯さん、貴方を貴方の番から逃がして差し上げます。】 とにかく俺は―――― 結局俺だけの力では逃げられなかった。 「あと紹介できる職場はここの工場ですね。ドのつく田舎暮らしになるので不自由するかもしれませんが、ちゃんと寮が完備されてます」 仕事と不自由ない生活があるのは芦屋さんと佐伯さんのおかげ。 佐伯さんに会ったのは後にも先にも、あの庭で会った一度きりの事だけど…。 「で、八木君の心は変わらないのか?」 「またその話…」 ちょっとしたおかずと味噌汁と卵のない親子丼。それらを自分と芦屋さんの目の前に並べてるおかげで心を動かさないように振る舞えた。 「ちっとは真面目に聞け、お前また痩せたろ?一度でいい俊哉と話し合う気にはならないか?」 「無理ですよ。だって新野さんは、佐伯さんと…」 「まぁ俺としても……本当にあの二人が籍を入れたってのは意外だったけどさ」 「……」 新野さんと佐伯さんの入籍。 ここに来て二カ月経った頃、芦屋さんは二人が入籍したことを俺にわざわざ伝えに来てくれた。 別にそのことで俺は気を病んだりしてないのに… 「。あんま薬が効いてないんだろ?」 「…………」 「心配すんな。俊哉は八木君を蔑ろにしたりはしねぇよ、むしろ」 「ですから大丈夫です。体重も落ちてないし、ちゃんと食欲もある。仕事にだって支障がないんだ」 少しだけ厄介なことに俺は、”番い欠乏症”という稀有な症状に悩まされていた。 番いから離れたショックで患った、一種のうつ病だ。 といっても深刻じゃない。不眠と慢性的な疲労も薬が解決してくれるし、心配しまくってる芦屋さんが過保護なだけだ。 「症状が落ち着けば、番い解消の処置も出来るって言われたんだ。そしたら貴方も俺の監視役から解放されます」 「監視じゃねーよ、子守だっつってんだろ」 チッと舌打ちする芦屋さんは茶碗を持って食事をとり始めた。
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