エンドロールを最後まで

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昭和の最後に建てられた、小さな町の小さな映画館。 大きな映画館では上映しないようなマイナーな映画を上映する事で、ニッチな映画好きの間では密かに有名だった。SNSなどが普及し中小規模の様々な娯楽施設が廃れていく中、そんなマニア達のお陰で細い息を繋いでた。 俺もその内の一人に入る。 何処にでも居る平々凡々な独身中年サラリーマンの俺は、中学生の時に映画にハマって以来、かれこれ三十年以上この映画館に通い続けている。 勿論、他の新しい映画館にも足を運んだ事はある。 しかし、雰囲気や過去見た映画の思い出を引っ括めてこの映画館が好きだった。 ギシ、と音をたてて薄っぺらいクッションの椅子に座る。スクリーン正面の最上段の席だ。ここからは、100ある全ての客席を見下ろす事ができる。 残業してメシ食って、適当に時間潰して。 入場したのは22時開始のレイトショー。 客の入りは疎らだった。 空いている方が集中出来て良い。狙い通りだ。 100ある客席のうち、埋まっているのは20程度だろうか。殆どが俺のようにフラリと一人で来ている中年で、カップルは2、3組しかいない。 場内は禁煙の筈だが、客の中にヘビースモーカーでもいるのだろうか、微かに煙草の香りがする。 時に甘いお菓子の香りだったり、時にキツ過ぎる香水の香りだったり、その時々によって様々な匂いがこの部屋に漂っていた。 上映が始まる。 「懐かしの映画特集」という映画館のイベント企画に合わせた、もう何十年も前に公開された古い古い邦画だ。 俺はそのスクリーンに見入った。 見ている間、登場人物になりきってそのストーリーの中に入り込む。今日の主人公は、有名な作曲家だった。音楽を通して出会った女性と留学先で想いを通わすも、音楽への思いの強さゆえ残酷な結末になってしまう…。 上映中、俺は俺である事を忘れその作曲家になりきっていた。涙が止まらない……。 誰も彼も、スクリーンの前では平等だ。 共有するのは作品と空間だけで、それに対する思いや感想は様々だろう。 本編が終って、半分以上の人が立ち上がる。 ぞろぞろと出ていく影を他所目に、俺は流れ始めたエンドロールを見ていた。 スポンサーや協力会社に加え、出演者や協力者の名前がスクリーンの上を流れていく。 それはまるで俺の人生の中での人との関わりのようだった。流れていく時の中で、一瞬しか関わらない人間もいれば、長く関わる人間もいる。 皆、同じように俺の人生のエンドロールに名前を刻まれていく。 そのエンドロールを最後まで観る客は、俺一人。 上映が終わり、場内が明るくなる。 この映画を作り上げてきた人達の名前を最後まで見て満足した俺は席を立った。他にも五人ほどが席を立ち、ぞろぞろと出ていく。 作品と空間を共有していた彼らとは、映画館を出たら何の関わりもない赤の他人だ。勿論名前も知らない。顔も思い出せない。一瞬を、共有しただけ。 映画を見る度に、もう何百人、下手したら千人以上の人と作品と空間を共有している事になる。 そんな彼らも、エキストラとして俺の人生のエンドロールに刻まれていく。 どんなに長くなっても、俺はそれを最後まで見るだろう。「俺」の人生を、共に作り上げてきた人達を。 観客は、俺一人なのだから。
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