プロローグ

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プロローグ

 資源は豊潤、気候はよし。 世界一平和で豊かと言われるアルバン帝国の皇室の昼食は意外にも質素であった。 かぼちゃのポタージュに、白いロールパン。 それから菜園で取れたサラダに魚のソテー。 デザートはフルーツが出る時もあれば出ない時もある。 食事も着飾るものも必要な時に必要な分だけ。 現皇帝グレゴリオスのそうした暮らしぶりは民の好感を得るのも当然で、治世は五十年以上続いている。 「エドナよ」  昼食を食べ終え、フォークをテーブルにそっと置いたグレゴリオス皇帝……いえ、お父様が私を見た。 「なんでしょう?」 「突然だがな、わしはもう引退しようと思う」 「本当に突然ですね? 理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」 「この国の皇帝となった十代の頃から……わしはこの国を良くするためがむしゃらに突っ走った。気づけば還暦もとうにすぎておった」  お父様はうんと物思いに耽るようにひとつ頷くと、隣で静かに座っていたお母様の手を取った。 「そろそろ、アンナちゃんと余生を楽しみたいんじゃあぁ!」 「まっグレゴリオス様ったら」  話の途中にも関わらずお母様の「やだーもうっ!」からはじまって、二人はイチャイチャしながら自分達の世界に入っていった。 どこからか蝶々がやってきて二人の間をハートの形に飛んでいった気がする。  そう、この二人は帝国一番のバカップルなのである。 壁際に控えている使用人達がまた始まった……と言いたげな顔でチラリと私を見たので、私は咳払いをして二人を現実に引き戻した。 「それで、お父様がおっしゃりたいのはつまり私に婿を取れということですね?」 「さすが話が早いの。お前ももう十八歳じゃ。そろそろ結婚するのもいいだろう」 「それで、お相手はどなたですか? 結婚の段取りはどのように?」 「あら、エドナちゃん良い人はいないの? お父様もお母様もエドナちゃんが幸せならどんな人でもいいのよ」  私が淡々と話を進めようとしたからか、お母様が少し焦ったように遮った。 その瞳は暖かいヘーゼルの瞳で、髪は豊かなブラウン。 アルバンの職人が染めたマリーゴールド色のドレスが良く似合っている。 秋を思わせるような雰囲気のお母様は見た目だけでなく、心も穏やかで温かい。  お父様のように、私もお母様が大好きだ。 だから、無用な心配はかけたくない。 「お母様。私は皇室の一人娘ですから、相手はどなたでも受け入れる覚悟でいます。それに私に恋愛は必要のないことですから」 「あら? 恋愛が必要ないなんて、どうしてそんな悲しいことを言うのかしら」  その理由は簡単だ。なぜなら……。  恋愛なんて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしいものだから。です!! ふー、つい四回も言ってしまいました。  私にその感情を植え付けたのは、お父様とお母様が最初だったと思う。 二人のラブラブっぷりはもはやアルバン帝国の名物になっていて、催事では平気で国民の前で公開チューをするし、いつでもぴったりベタベタと寄り添い手を繋いでいる。 世界のグレゴリウスとまで言われた偉大なお父様のデレデレにとろけきった顔。 私は子どもの頃からそれが恥ずかしかった。  私も恋をしたらそうなってしまうのでしょうか? 私が民の前であんな姿を見せたらどう思われるか……考えただけで恐ろしいです。 あっ、ついあんな姿等と言ってしまいました。  ……と、それが私に恋愛が不要な理由だけれど、二人の仲の良さに水を差すわけにもいかないのでただ「ふふ」と微笑んでおいた。 お母様は首を傾げながらも「ふふ」と微笑み返してくれた。 「そんな事もあるかと思ってな、家柄よし、性格よし、見目もよしのわし一押しの婿候補を用意しておいた」  どこからかお父様が二枚の肖像画を取り出し、タロットカードを並べるような手つきでテーブルに置いた。 そして、これから大予言をするかのごとくおどろおどろしい面持ちで口を開く。 「一人目は……お前もよく知っておろう。代々皇族に仕えておる騎士オズワルド家の嫡男ジーク……」  お父様がジークの肖像画を開く。 顔見知りなのになぜ肖像画を用意したのかは謎だ。 たぶんだけれど、形から入りたいのだと思う。  五歳年上のジークは幼い頃から私の世話係をしてくれているので兄のような存在だ。 少し寡黙だけれど優しくて面倒見が良く、艶やかな黒髪とキリッとした目鼻立ちがかっこいいと女性使用人達の間で人気だ。 平和なアルバンでは披露する場は少ないけれど剣の腕も立つ。 「そして二人目は、隣国ヴェニットの第二王子リオル殿……」  お父様はもう一枚肖像画を取り出した。 「確か、ヴェニットは自然が豊かで観光業が盛んな国ですよね? 内政が揺れている印象でしたが」 「ああ。しかし、第一王子が国王につくことが決まったそうじゃ。それも時期に落ち着くじゃろう」 「そうでしたか……」  リオル王子の肖像画に貼ってあるお父様直筆のプロフィールには、エドナと同い年、身長が高い、モテる。お父様は好き。と書いてあった。 ……もっと大事な情報があるのでは? と思いながら絵姿に目を向ける。  透き通るような淡い金の髪にエメラルドの瞳が綺麗で、真ん中で分けた少し長めの前髪と泣きぼくろが色気を醸し出していた。 なんというか、肖像画の第一印象は……モテると書かれるだけあって軟派な感じだ。 「リオル王子は外交の手腕も優れておってな、彼が外交官になってから貿易が右肩上がりらしいぞ」 「そういえば、最近ヴェニット特有の食物もよく見られますね」  国の要ともなる人物がなぜアルバンに? と一瞬考えたけれど、クーデター防止に王位を継がない王子を他国へ飛ばしてしまうことは珍しくないから、そういう事なのかもしれない。  この容姿ですと優秀な外交官というのが少し嘘のようにも感じられますが……。 「エドナよ。実は二人を城に呼んであってな、これから会ってみるといい」 「お父様……」 「なんじゃ?」 「お呼びしているのなら、なぜ肖像画を用意したのですか?」 「ふっふっふ……」  お父様は私の質問には答えず、ミステリアスに笑いながら立ち上がってお母様の肩に手を当てた。 そしてお母様をそっと立ち上がらせ、「ふぉっふぉっふぉ」と笑い続けながらゆっくりと出口までエスコートする。 二人が部屋を出て行ってからもお父様の笑い声は遠くから聞こえていた。 「姫様、お着替えの準備を。お二人には広間でお待ちいただいておりますので」  お父様の笑い声が聞こえなくなった頃、壁に控えていた使用人がそっと私に声をかけた。
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