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42:ぬくもり
東京駅が軍によって完全に征圧され、全ての火薬が外に運び出された頃。一階の事務室では、睡蓮は椅子に座らされ、龍進から傷の手当てを受けていた。
彼は自ら用意した濡れタオルで、彼女の右腕についた血と泥を拭い落とすと、ピンセットでヨードチンキが浸された脱脂綿をつまむ。
「少し染みるが我慢をしてくれ」
「はい……」
細い腕が握られ、傷口が丁寧に消毒されていく。
両膝と頬の傷も同様に処置されると、彼は睡蓮の手足を見て、後悔と悲しみが混じったような、複雑な面持ちで呟いた。
「鬱血している。だいぶ強く縛られていたのだな。ひどいあざにならなければいいが」
そんな顔を見て、睡蓮は己の中から無性にこみ上げてくる感情に戸惑っていた。何故か、涙が出てきそうになる。
それを無理矢理押しとどめて言う。
「旦那様の手当もさせていただけないでしょうか」
「自分でやるから大丈夫だ」
「いえ。婚約者としてのお役目ですから」
「……じゃあ、頼む」
彼女はそう言うと、自分の代わりに彼を椅子に座らせた。あちこちが破れた上着を脱いでもらうと、彼が自分にそうしてくれたように、龍進の傷口についた血と泥を拭い、ピンセットで消毒をしていく。若榴との斬り合いの跡と思われる大きな傷跡にはガーゼをあてて、包帯で丁寧に巻く。
落下する自分を支えていた彼の左手は、肉が見えかねないほどひどく皮が破れ、血にまみれていた。手当の間、かなりひどい痛みを感じているはずなのだが、彼は少しも表情を変えることはなかった。
処置を続けながら、彼女はずっと抱いていた疑問を龍進に投げかける。
「一つお伺いしてもよいでしょうか?」
「なんだ?」
彼の双眸を見上げて、尋ねた。
「なぜ、旦那様は私をお助けになったのでしょうか」
「…………」
「私は咎人。舞踏会で婚約者を演じるという役目を終えた以上、旦那様が私を助ける理由はございません」
彼の瞳がほんのわずかに揺らいだ。
「そもそも、私があのまま地面に落ちていれば、そこで事件は解決していたはずです。爆薬の炎が屋根まで届くのは時間があったはずですし、その前に、旦那様はあの軍人を捕まえることが出来ました」
「それ、は……」
「私は咎人として旦那様の手で処分される運命にありました。ですが……」
それから、睡蓮は、一瞬、言葉を詰まらせて続けた。
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