月無き夜の逢瀬

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新月の夜、私は久々に雨戸を開ける。 風鈴を取り出し、押し頂くようにして窓辺へと掛ける。 月も無い夜は風も吹かず、のっぺりとした黒が空を覆っている。 漸く夜半を過ぎてから、ゆるゆると空気が動き出す。 ちりん、と涼やかな音が響き渡る。 それは窓辺からだけでなく、街の至る場所から響き来るようにも感じられた。 風鈴の音に促されるようにして部屋を出た私は、光も無き街の中を独り歩み行く 背後からふわりと花の香が漂い来る。 私は足を止る。 花の香が次第にその濃さを増す。 足早に歩み寄って来た西條さんは私の手を取り、そして指を絡める。 ひやりとした掌の感触は何とも言えず心地良かった。 私は力を込めて彼女の掌を握り締める。 弾むような声音が私の耳朶を擽る。 「月の無い夜は良いですね」と。 私は頷き、こう言葉を返す。 「その通りですよ。 あの光があると、風鈴の音をしみじみと愛でることなど出来やしません」 西條さんは嬉しげに頷く。 私の掌を握る力が増す。 月の光は何とも騒がしい。 あの光は世を照らすのみならず、騒がしい音色もまた振り撒いてしまうのだ。 人によっては、それは風雅とも思えるのだろう。 けれども、暗がりの中の細やかな響きを愛でる者にとって、それは疎ましいものに過ぎぬのだ。 風鈴を持ち帰ったあの夜から、私は月の光が騒がしくて耳障りなものと感じるようになってしまった。 月が僅かでも空に在る夜は、その光の一切を目にしないよう、カーテンだけでなく雨戸も閉め切るようになってしまった。 月の光を遮った部屋の中、膝を抱えるようにして眠りに就く。 ようやく人心地付くのは、月がすっかり姿を消した新月の夜くらいなものだ。 その夜になると、私は久々に雨戸を開け放ちって夜を部屋の中へと迎え入れる。 濃紺の硝子の風鈴を窓辺に吊し、緩やかに吹く風がそれを揺らす時を只管に待つ。 夜風が風鈴の音を奏でるのは夜半となってからが殆どだ。 その時には、街のあちこちから風鈴の音が響いてくるように思えてしまう。 それは、あの日に神社の境内で耳にした音だ。 きっと私以外にも風鈴を持ち帰った者がいるのだろう。 西條さんとの逢瀬はその夜だけだ。 風鈴の音のようなふわりとした声を愉しみつつ、私は漸く夜と重なることが出来る。 花の香はその濃さを増し、私の身体に染みていく。
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