水瀬帝国の二人の王子

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水瀬帝国の二人の王子

【あのさ】 【さんま】 【マジで話があるんだけど】 【土星】 【今のは“どうぞ”のとこだろ】 【ロケット】 【とにかく話がしたい】 【いくら】 【来週の水曜、時間取れない?】 【イカ】 【帰り一緒に飯食おう】 【ウニ】 【逃げるなよ】 メッセージアプリにはポコポコとリズミカルに吹き出しが表示される。 あまり返事に間が空いてしまうと、向こうのペースで会話が進んでしまう。自分の都合の悪い話を聞きたくないのなら、話させないのに限る。 バカみたいな私の返信に律儀にルールを守りながら話を続行してきた彼に申し訳なく思いつつも笑いが込み上げた。 とりあえず【ようかん】ともうバカバカしい会話を終わらせたくて送ると【勝った】という文字。 こういうところが好きだなぁと思う。 続けて殴りたくなるようなドヤ顔をしたパンダのスタンプが送られてきた。次会ったら本人を殴ろうと決めてスマホを横にぽいと放る。 このバカバカしいやりとりをしていた相手は、水瀬蓮(みなせ れん)。 私が勤める水瀬ハウス工業に同期として入社した男で、名前から察せられる通り水瀬ハウス工業の経営者一族。いわゆる水瀬帝国の御曹司。副社長の息子であり、社長の甥である。 インターンシップにこそ参加はしていなかったものの、そこで既に副社長の息子が同期になるらしいと噂になっていた。 入社式で彼を見た時には色々な噂を聞いていたせいか、『はじめまして』というよりも『ようやくお会い出来ましたね』という自分でも謎の感情になった。 そのせいか、水瀬の御曹司として遠巻きに見ていた同期とは違い、むしろ初対面にしては馴れ馴れしい感じで話しかけてしまって彼をドン引きさせたのは今や黒歴史だ。 水瀬ハウス工業は建築事業と都市開発事業を二本の柱としている。 建築事業の中でも住宅系と建築系に分かれ、住宅系はその名の通り戸建てやマンションなどの企画、設計、施工、販売。 一方の建築系は商業施設や医療施設、法人施設の企画や設計、施工からリフォームまで行っている。 私、佐倉莉子(さくら りこ)は建築事業部の営業課に所属している。 一日中歩き回って営業をかけ、不動産会社や金融機関を回って情報を交換したり、担当した現場へ行き進捗状況の確認をしたり、施主へ訪問してアフターケアに努めたりと、なんともハードな部署だ。 人と会う仕事なだけに、忙しいからと身だしなみに手を抜くわけにはいかない。朝は家を出る一時間半前には起きてしっかりメイクをする。 最近パッケージに惹かれて買ったリュミエールの新作の赤いリップに合わせて、目元やチークは少し控えめに色を乗せる。 社会人も四年目になるのに未だに新卒に見られてしまうのは、業種的に年配の男性が多いせいなのか私が童顔なのか。 少しでも年相応に見られるようにアイラインを休日よりもキツめにいれるのが私のオフィススタイル。 髪は暗めのブラウンに染めたセミロングの髪を毛先だけ巻き、耳より少しだけ高い位置で無造作にひとつで結びトップを引き出す。 九月下旬にしては少し肌寒い今日はジャケットを羽織ろうと決め、インナーには合わせやすい七分袖の白いブラウスに薄いグレーの細身なテーパードパンツを合わせた。 玄関の姿見で全身を確認した後、デザインよりも履き心地を重視したシンプルな黒いパンプスを履いて家を出た。 マンションから最寄りの駅までは、どれだけ早足で歩いても十五分はかかる。真夏の暑い日や、冬の冷たい雪の日、オールシーズン雨の日なんかも失敗したと感じる日は少なくないけど。 それでも私が払える賃料で築浅、三階以上でオートロック、さらにトイレとバスは別で洗面所も欲しいと欲張った条件を満たすには、朝晩往復三十分以上歩く以外に方法はなかった。 いつかの同期会でその話をしたら、なぜかげんなりした顔の水瀬は眉間に皺を寄せた。 駅から家までの間にコンビニはあるのか、終電まで人通りはあるのか、街灯はついているのかなど、矢継ぎ早に質問を投げかけてくる様子はまるで箱入り娘が初めて一人暮らしをするのを心配する父親のよう。 そんな私たちのやり取りを、同期の橋本くんは可笑しそうに見ていた。
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