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憧れの王子様
ここは東京は青山にある株式会社タブレ。
事業内容は、リノベーション分譲、およびコンサルティング。
簡単に言うと、マンションや戸建てを仕入れてからデザイン性と機能性を追加した大規模な改修工事を行い、新たに売り出すというもの。
最近はメディアでも多く取り上げられ、古いものに手を加えることでのお洒落感を前面に押し出したことで需要が大幅に拡大し、右肩上がりに業績を伸ばしている。
そんなタブレで、契約社員として事務全般をこなすのが私。
大西遥香(おおにしはるか)。
小学校からずっと女子校育ちで、半分本気で白馬に乗った王子様を待ち続けてた。
愛経験はほぼ、ないに等しい23歳。
し〇むらで買った激安スーツを身に纏い日々の業務をこなす。
電話の応対や来客対応。それから書類の作成からコピーやお茶くみ、その他雑務と結構忙しい毎日だ。
「あーねぇ、あのさ。明日の朝までに契約書を作ってもらえるかな?」
取引先のリストを差し出しながら、私に笑顔を向けるのは、小野原駿(おのはらしゅん)さん、27歳。
同系企業からヘッドハンティングされてきた彼は、現在営業チームのホープとしてその手腕を発揮している。
成績はトップクラス。仕事はバリバリこなすのに、物腰はすごく柔らかで、誰にでも優しい。
例えるなら王子様。
二重瞼の目と鼻筋の通った高い鼻。
薄茶色の髪はふんわりくせ毛。
すらりと伸びた手足は、上質のスーツを品よく着こなしている。
白馬には乗っていないけれど、おそらく私が待ち焦がれた王子様だと思って。
一瞬で恋に落ちた。
なのに、王子が私を呼ぶときは決まって「あの」か「ねえ」。
入社して1年が経つというのに、未だに名前を呼んでもらった覚えがない。
もしかしなくても、私に興味がないみたいだ。
ため息を飲み込んで、王子の差し出したリストを受け取った。
「翌朝までですね、分かりました」
「じゃあ、よろしく」
王子が私にそういうから、おもわず二つ返事で引き受けてしまったのだけれど。
現在17時……残業確定。
「よし」と小声で気合を入れると、早速PCと向かい合う。
王子のためだと思えば頑張れるんだから、単純なもんだ。
オフィスの電気が消えていく中、私は必死でキーボードを叩く。
ふと気が付けば、がらんとしたオフィスには私ひとりになっていた。
無理もない。タブレでは無駄な残業はしないのがルール。
わが社の社長曰く、プライベートを充実させてこそ、いい仕事ができるのだそう。
裏を返せばいい仕事をしなければプライベートは充実できないということで……、
だから私は冴えない毎日なのかもしれない。
なんて落ち込んでみたりして。
会社を出たのはそれから数時間後。
薄暗い路地を地下鉄の駅を目指して歩く。
頼まれた契約書は全て揃えて王子のデスクにのせてきた。
捺印箇所には付箋を貼ったし。
金額は何度も確かめたし。
……たぶん完璧。
「遥香、ありがとう。お礼に飯でもどう?」
そんなこと言われたらどうしよう!!!
なんてありもしない妄想を膨らませて、私は自嘲気味に笑った。
「せめてもう少しだけかわいくなれたら、そんなチャンスがあるかもしれないのに」
そう呟いて私は、とある店の前で足を止めた。
レトロモダンを意識した南仏風の建物。
もともとはフランス料理店だったそう。
実はここ、タブレが手掛けたものだ。
「確か美容室が入るんだったよね」
アンティークの素焼瓦の発注に苦労したので、とてもよく覚えている。
店の周りをぐるりと囲む真っ白な外壁。
アーチ形の門の片方に埋め込まれたガラスには「ブラン」と記されている。
美容業界では名の知れた有名店らしく、社内の半数以上がその存在を知っていた。
ファッション誌でも毎号取り上げられるくらい絶大な人気を誇っていて、顧客には、モデルや芸能人もいるそうだ。
そんな店のオーナーからの依頼で、急遽チームが立ち上げられ製作にかかわった。
着工まで1か月、完成までは2か月という異例の早さだった。
「もう、オープンしたんだ」
黒鋼の鉄柵から覗き込んでみると、店のドアにはクローズのプレートが掛けられている。
店の明かりも落ちていて誰もいないように思えた。
それをいいことに私は、さらに顔を押し付けてぐるりと見渡した。
庭は細部にまで手が施されていて、思わずため息が出るほど素敵だ。
「まるでここだけ日本じゃないみたい」
片隅に植えられたオリーブの木が風に揺らされて、さわさわと音を立て始めた時。
「ねえ、あんた。何してんの?」
急に背後から声をかけられて私は、思わず声を上げた。
その途端、私の口は大きな手に塞がれてしまった。
――……怖い。
そう思って私の口を塞いでいる手を引きはがそうとしたけれど、全くびくともしなかった。
もがもがといいながら、その人物を仰ぎ見ると、涼やかな二つの瞳が真っ直ぐに私を見下ろしていた。
「うちの店覗いてなにしてんの?って聞いてんだけど……ああ、分かった。俗にいう不審者ってやつだ。正解」
「んんふ、うふんふうう」
違う不審者じゃない。そう言いたかったのに、きちんと言葉にならない。
「なんだって?全然なに言ってんのか分かんねえよ」
次の瞬間、反対側の腕を私の脇の下から回して、羽交い絞めにした。
「本気で警察に通報されたくなかったら、おとなしくオレに連行されろ。いいな」
そう言いながら、私に回してある腕に力を込める。
「ん、んんふうん」
通報も連行もどっちも嫌だった。
なのに全然伝わらない。
「だから、何言ってんのかわかんねえんだって」
(いやそれは口塞がれてるからだしっ!)
それでも私の口もとから手を離そうとしないのは、絶対わざとなんだろう。
「ほら、行くぞ」
ジタバタと抵抗したものの、無駄だったようで。
私はその人にずるずると引きずられたまま、店の中へと連れ込まれてしまった。
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