満月の夜に

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 ある秋の休日。かわいい盛りの三歳の娘と、近所の公園へ遊びに出掛けた。公園はたくさんの落ち葉が舞っており、娘が大喜びで遊び始める。娘と落ち葉を掛け合いっこしていると、娘が思い出したように保育園の先生との会話を教えてくれた。 「きのうね、『月を見てね』って、せんせいがいってたの」 「月? あぁ、今日は十五夜なんだよ。きっときれいなまんまるお月さまが見れるよ」 「やったー!!」  満面の笑みを浮かべ無邪気に喜ぶ娘を見ると、ほっこりとした気分になる。    満月かぁ……。ふと、忘れていた昔のことを思い出した。  あれは私が大学四年生だった時のこと。私が在籍していた研究室は、開拓され始めた小高い山の上の大学にあった。元々は別の場所にあったのだが、学園都市構想のもと移動させられたのだ。だから私も、通学を理由に学園都市内に建てられたワンルームマンションに住んでいた。  マンションは新築で綺麗だったが、周囲には本当に何もなかった。あるのは、大学の施設と碁盤目状に広がる道路と街灯、うっそうと茂る森とそれを切り開くための重機ぐらい。大学内に売店や食堂はあったが、近いスーパーや居酒屋までは歩いて一時間近くかかった。  ある日、研究室の悪友達と遅くまで飲み、街灯しかない道を一人で歩いて帰っていた。 「少し飲み過ぎたな……」  満月が青白く光る夜だった。涼しい秋風が、酔って火照った頬を撫でていく。  この時間になると、歩いている人はもちろん、車すら通らない。満月の光がなければ、街灯で照らされた道以外は暗闇に包まれてしまう。  普段なら寂しさや恐ろしさを感じるのだが、酒のせいか、それらを全く感じない。それどころか、街灯に照らされ白く浮かび上がる道が綺麗だとさえ感じていた。  そんな時だった。  ――ヒュ~ヒュ~ドンドン――チンドンドン――  どこからか陽気な音が聞こえてきた。祭り囃子のようにも聞こえる。  私は驚いて周囲を見渡したが、照らされた道以外は見当たらない。 「何の音だろう?」  酔っぱらっていた私は、恐怖よりも好奇心のほうが勝った。耳を澄まし、音がする方向へと足を向けた。  大学の隣に建てられた交流センターの横を通り過ぎる。そのまま音のする方向へと進んでいくと、区画整理真っ最中の工事現場へとたどり着いた。工事現場の中に鳥居が取り残されたようにポツンと佇んでいる。  ――あぁ、ここは研究室の窓から見える工事現場だ。  鳥居の周りをブルドーザーが走る様子が異様で、よく覚えている。  今は深夜なので人はおらず、ひっそりとしている。    ――そう、誰もいないはず。  しかし、音は鳥居の向こう側から聞こえてくるのだ。  これは不味い…………。急激に酔いが冷めていくのがわかる。急いで立ち去らなければと思うが、恐怖から思うように足が動かない。  音が大きくなった気がして、再び鳥居の方を見て血の気が引いた。鳥居の向こう側に幾つもの小さな灯りが現れており、それがこちらへと向かってきていたのだ。  逃げないと!!   そう思い、近づいてくる灯りに背を向け走ろうとしたが、焦りから足がもつれて転んでしまった。もたもたしている間に、音がすぐ後ろにきてしまった。  おそるおそる振り返ると、灯りに照らされ着物姿の狸やビール瓶ぐらいの小さな人が太鼓や笛を鳴らしながら踊っているのが見えた。  いや、人ではない――よく見ると、頭が牛や馬だったり、角が生えていたり、目が1つしかなかったり……。  これは……妖怪!?  目の前の光景が信じられずに、固まってしまった。  茫然と妖怪たちを眺めていると、一匹の狸が近づいてきた。狸は大型犬くらいの大きさで、月の光に照らされた毛が青白く光っている。 「これはこれはお若い御仁。驚かせてしまい申し訳ございません」  狸は低いながらもよく通る声で挨拶をし、深々と頭を垂れた。 「本日は満月なので、私たちはお月見をしていたのです。驚かせてしまったお詫びといってはなんですが、ご一緒にいかがですか」  親切心のように話しているが、この狸、目が笑っていない。獲物を見つめるような、鋭い視線を感じる。  一緒に月見なんてとんでもない! きっとそのまま食べられてしまう!  そう思ったものの、妖怪たちに囲まれ逃げることも出来そうにない。そもそも、逃げたところでさっきと同じように転んでしまうだろう……。 「で、でも……、折角楽しんでるところ、俺なんかが入って邪魔するのも悪いから……」  狸は目を僅かに細め私を見つめる。鋭い目つきにびくりと肩が震えた。 「どうぞこちらへ」  狸は私の発言を無視し、鳥居の向こう側へと促してきた。  しかし、動かない私を見て、狸は更に目を細め、腹の底に響くような低い声で怪しいモノ達に指示を出した。 「あぁ、御仁はだいぶんお呑みのようだ! お前達、御仁を浄火の前にお運びしなさい! くれぐれも丁寧にな!」  それ聞いた妖怪たちは、まるで御神輿を担ぐように私を持ち上げた。 「統領の御命令じゃ。御仁を運べ」 「丁寧に運ぶのじゃ」 「重い、重い」 「統領に怒られるぞ。手を抜くな」  妖怪たちは口々に何かを言いあっている。私はされるがまま、鳥居の向こう側に運ばれてしまった。  鳥居の向こう側には古びた拝殿があり、その前に炎が揺れていた。炎の色は満月の光を集めたように青白く、寒気を感じる。 「さぁ、さぁ。こちらへどうぞ」  統領と呼ばれていた狸が、私を炎と拝殿の間に座らせるように誘導する。私を座らせると、次に徳利とお猪口を1つずつ持ってこさせた。 「ささ、遠慮なさらずに」  狸は私にお猪口を私の手元まで持ってきて、おっと!と言いながらお猪口を落としてきた。反射的にお猪口を掴んでしまう。それを見て狸は口角を上げた。  ――やられた。  今度は徳利を持って近づいてくる。 「どうぞ、どうぞ」  狸は徳利の中身をお猪口に注ごうとしてくる。 「いや……あの……」  断りたい一心で声を上げたが、上手い言葉がみつからない。そんな私を見て、狸は一瞬目を細めたが、何を思ったのかいやらしい笑みを浮かべ着物の帯から、落ち葉を取り出した。 「気がつかずに申し訳ありません。狸よりも人間の女性のほうがいいですよねぇ?」  そう言うと、狸は頭に落ち葉をのせ、飛び跳ねた。一瞬、狸の体が青白く光り、後ろの炎と一体化する。  次の瞬間、目の前には、青色の着物を着た長い黒髪の端整な顔立ちの女性が立っていた。 「いかがでしょうか。お気に召しましたか?」  先ほどの狸の声とは全く違う、女性らしい滑らかな声が響く。 「あぁ、はい……」  つい返事をしてしまった。女性は愉快そうに口角を上げる。 「さぁ、どうぞ」  ずっと握りしめていたお猪口に、徳利から透明な液体を注がれた。  ――これは酒だろうか? 「ご安心下さい。とても美味しい酒でございますよ。どうぞ、遠慮なさらずに」  お猪口の中身をじっと見つめ飲もうとしない私に、女性が話し掛けてくる。まるで私の考えを見透かしているようだ。  しかし、一向にお猪口を口にしない私に苛立ち始めたようで、女性の目がつり上がっていく。端整な顔立ちのぶん、睨まれると腹の底から冷えてくるような恐ろしさを感じる。 「さぁさぁ、どうぞ」  女性が冷たい声でさらに勧めてくる。女性の圧に耐えきれず、おそるおそるお猪口に口をつける。 「よかった……」  誰にも聞こえないような声で呟く。お猪口の中身はやや辛口の酒だった。  そんな私の様子を見て、堪えきれないとばかりに女性の口許が綻んだ。 「飲みましたね、飲みましたね!」  女性が急に甲高い声を上げた、立ち上がった。  突然のことに驚き、私は顔を上げ女性を見た。  女性は狸の姿に戻っていた。狸の後ろで燃えていた炎の勢いが増している。 「あなた様は土地神様の御神饌に選ばれたのです! とても名誉なことなのですよ!」  狸の声があたり一帯に響く。それに応じるように炎が一気に燃え上がる。私の目には、もう炎と狸しか映っていない。  衝撃的な狸の言葉に身動きがとれなくなっていると、持っていたお猪口が僅かに震えた。 「ひっ……」  お猪口を見た私は、とっさにそれを投げ棄てた。お猪口から百足が湧いて出てきたのだ。百足はカサカサと嫌な音をたてながら地面を這う。  恐怖から座ったまま後ずさると、拝殿の石段にぶつかった。振り向くと、真っ暗な拝殿の中に2つの青白い光が見えた。 「これはこれは、土地神様」  狸が神妙な声を上げる。 「わざわざ出向いて頂き、誠にありがとうございます。とても珍しい御神饌でございます。今宵はきっと満足頂けるかと」  ――御神饌?   ――それは……私が食べられるのか??   狸の声が、私の頭の中で何度も再生される。それと同時に、私の顔から血の気が引いていく。    キィ…………  鈍い音が響き、拝殿の扉がゆっくり開く。私は扉から目を離すことができず見つめていた。すると開いた扉の隙間から、骸骨のようなゴツゴツした黒い手が、無数に伸びてきたのだ。 「うわあぁぁぁ!!!!」  私は絶叫し、無我夢中で走った。何度も転んだし、どこをどう走ったのかもわからない。だが、とにかく逃れるために必死に走った。  気がつくと朝で、俺は自宅の玄関の中に倒れていた。 「まったく……飲み過ぎだな。酔っぱらって変な夢をみちまった」  それ以降は奇妙なことが起きることはなく、俺は無事に大学を卒業した。そして就職し、妻と出会い、結婚し、子供が産まれ……俺の人生は何の壁もなく、順調に過ぎていったのだが……。  アレは本当に夢だったのだろうか? なんとなく胸騒ぎがする。  ふと娘のほうに目を向け、驚きから目を見開いた。    娘が頭に枯れ葉を載せ、今まで見たこともない悪意に満ちた笑顔をこちらに向けていた。  ――もしかして……  嫌な汗が背中を伝う。  ――もしかして、私の人生は……。  娘がゆっくりと口を開けた。 「御仁。これまでの人生には満足頂けたでしょうか?」  娘の口から発せられた声は、紛れもなく、あの時の狸の声だった。
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