憂慮の猶予

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──……怒号よりも先に笑いが出てしまうことは往々にしてあると思う。例えばとある休日の一日。恋人の作った前衛的な朝食、突飛な出かけ先、珍妙な土産のセレクト、帰宅するなりソファに身体を沈める姿。たった一日の中でも挙げ始めたらキリがない。細分化していけば小さな怒りよりも先に「仕方ないな」が先に立つ事が多々ある。 「よく怒らないな」と付き合いの長い友人は言うが、別に全く怒りの感情を持ち合わせていないわけではない。嫌なことをされたら人並みには怒るし傷付きもする。例えばとある休日の一日。煙草を吸う俺の邪魔をしようとして手を伸ばしてきた時には本気で怒った。歓談の合間にその話をしたら、喫煙者でない友人は呆れて「それは怒ったうちに入んねーだろうが」と笑った。心底呆れていないことの分かる気安い声のトーンは嫌いじゃない。 「好きなら何でも可愛く見えるものだよ」 「そんなもんかねえ」 「そんなものじゃなければやっていけないように感情の釣り合いを取ってるんじゃない、恋人同士って。 ──……だからこそ感情の釣り合いが取れなくなった時に天秤が大きく揺らいで、傾いて、秤の上のものがすべて溢れ出す。それが拾い集めて元に戻るものならいいけど、なみなみと注がれた水ならどうかな?」 「──」 友人が、スマートフォンを触る手を止めてゆっくりとこちらを向く。その双眸には驚きと僅かな困惑が広がっていた。先程までプレイしていたと思しきゲーム画面には『YOU LOSE』の文字が表示されている。 友人は、ゆっくりと、ゆっくりと問うた。 「……じゃあ、お前の秤に乗っているもんはいったい何なんだよ?」 俺は事も無げに答えた。深刻さを孕ませぬように。 「──……自分じゃ中身を見たことがないから、分かんないな」 でも、きっと綺麗なものばかりじゃない。 そういうと友人は微かな声を零した。 「恋人同士ってのは、そういうもんじゃねーのか」
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