追想1-⒇

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追想1-⒇

「おや天馬君。それに飛田さんじゃありませんか。また何か事件でも?」  安奈が看板娘として切り盛りする酒屋の前で流介たちに声をかけたのは、貿易会社の社長ウィルソンだった。 「珍しいですねウィルソンさん。今日は『港町奇譚倶楽部』の例会ですか?」 「いや、英国からきている客が日本の酒を味わってみたというので、買いに来たのです。飛田さんたちこそ、何か秘密の相談でも?」 「秘密と言えるかどうか……人探しをしていて思わぬ謎に出会ったので、皆で知恵を出し合おうと思いまして」 「ほう謎ですか。良ければ私も謎解きの輪に加えて頂けませんかな」  目を輝かせ身を乗り出してきたウィルソンに流介は「いえ、まだ謎を解くとかそういう状況ではないのです。どんな謎なのかもはっきりしていないような状況で……」と言った。 「ふむ、ますます興味が沸いてきました。もしこの場で謎がすっきり解けなければ、明後日の例会で取り上げても構いませんか?」 「ええと、それは……」  流介が戸惑いなが安奈に視線を向けると「逆に今日、謎が解けてしまうかもしれませんけど、それでも良ければ提供の約束をさせて頂きますわ」と余裕の笑みを浮かべた。 「面白い、ではいつもとは異なる顔ぶれで臨時の例会と行きますかな」  ウィルソンはそう言うと、ボトルの入った袋を下げたまま嬉しそうに店の奥へと進んでいった。                 ※ 「ファベルジェの卵というのは露西亜の金細工師カルル・グスタヴォヴィチ・ファベルジェがロマノフ朝露西亜皇帝アレクサンドル三世に納めた、金でできた飾り物の卵のことです」  天馬は地下のカフェ『匣の館』のテーブルを囲んだ面々を前にそう前置くと、エヘンとひとつ咳払いをした。 「ファベルジェの卵は『インペリアル・イースターエッグ』とも言い、香田国彦さんが店を出る時に言い残した「いい卵」とはこれのことを指すと思われます。すなわち、装飾用の卵にはめ込むための精巧な時計を作ることを誰かと約束し、その作業を急ぐために本来の仕事を放りだしてしまったのだと思われます」 「その、誰かとは?」 「おそらくは露西亜人の集団――それも優秀な職人を強引な方法で自分たちに協力させるようなけしからぬ集団であろうと思われます」 「それにしても露西亜皇帝にロマノフ王朝とはまた、ずいぶんと話が広がった物ですな」  テーブルの一角に腰を据えたウィルソンが、天馬の難しい説明を唸りながら反芻した。 「まあ今の所は僕の想像にすぎませんがね」 天馬は話の壮大さとは真逆の、呑気な口調で言った。 「しかし香田さんはその、卵にはめる時計を作るという仕事をなぜ引き受けたのだろう。料理の仕事を投げだしてまで」 「おそらく完成したらかなりの額で買い取ると言われたか、今を逃せばあなたの腕を試せる機会は今後二度とないだろうと囁かれたかのいずれかでしょう」
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