第一話

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 ことの起こりの三か月前、アクルガルは主君にして魔王イシュビ・ニラムに呼び出された。 「アクルガル、そろそろ嫁が欲しくはないか?」 「いえ。今のところまったく」 「そーかそーか、そんなに欲しいか。そんなおまえに嫁いでも良いと優しいことを言ってくれる娘が」 「いやだから嫁はいりません」 「我が娘アビ・シムティが」 「いりませんてば」 「嫁いでもいいと」 「だから」 「アビ・シムティたんマジ天使」  魔王女なのに天使とはこれいかに。  そこではたと耳と脳みそが結びつく。 「なんて?」 「我が娘がおまえに嫁ぐと言っている」 「なんで!?」 「命の恩人のおまえに恩返しがしたいそうな」 「身に覚えがありませんが!」 「マジ天使」  話のあまりの通じなさにアクルガルはだらだら汗を流して必死に頭を回転させる。  自分が魔王女の命の恩人? いや、助けた覚えなどないし、王女と面識だってないはずだ。  四天王のひとりとはいえ若輩で、戦時以外は領地の邸に引きこもっているアクルガルにとって王族は雲の上の存在だ。唯一の例外は多少親交のある魔王子シャル・カリだが、彼の口から姉のアビ・シムティについて聞いたことはない。  つまり、アクルガルは王女に関する情報をなにひとつ持っていない。接点も皆無。  なのになんで突然結婚話が持ち上がるんだ?  そんなこんなを目の前の主君に問いかけたいのだが、アクルガルは魔王が怖い。魔王なのだから怖くてナンボであるが、異形の魔王であるイシュビ・ニラムはとにかく見た目が怖い。おまけに話が通じない。 「じゃ、そういうことで」  手振りで退出を命じられ、すごすごと玉座の前から後ずさることしかできなかった。 「アクルガル! 良かった、ずっと探してたんですよ」  回廊で呼び止められ、混乱した面持ちのままアクルガルは涙目で声の主を振り返った。 「そのようすだと、もう父上から伺ったのだね」 「そうなんですが……なにがなにやらさっぱり……」 「だよね」  苦笑いを浮かべ、魔王子シャル・カリはアクルガルの背中を押して中庭へといざなった。 「話は簡単で。姉上があなたに嫁ぐことが決まったわけで」  いやだから、その経緯がわからない。目を剥くアクルガル。  シャル・カリも困ったように頬を傾ける。いまだ少年の幼い魔王子である。かりにも年長者の自分が戸惑わせるとは何事か。にわかに反省したアクルガルはしゃきっとせねばと姿勢を正した。 「俺にはなにがなにやら。なぜ急にそのような話になったのでしょう? 王子はご存知でしょうか?」 「えーと、だから話は簡単で。姉上はあなたをお好きなのだそうだ。だから嫁ぎたい、と」 「はいぃ?」 「子どもの頃、川で溺れ死にそうになったのをあなたに助けられ、それからずっと慕っていたと」  大真面目に説明する幼い王子の美しい顔立ちを凝視し、アクルガルはそれはあなた様のことではないかと胸中で突っ込んでいた。  その昔。狩猟場のはずれの小川で子どもを助けた覚えなら確かにある。淡い金髪の緑色の瞳の男の子。  そう、確かに目の前にいるこの少年だ。王女ではない。自分が助けたのは男の子だった。  しかし慎み深いアクルガルは、面と向かって本人に「わたしがあの時あなたを助けました」とは申し出にくい。そんな恩着せがましい。  そもそもの初対面からそうだった。「初心者に教えるのはおまえくらいがちょうどいい」とシャル・カリの剣術の指南役を押し付けられ、挨拶に出向いたとき、あの時の少年だとアクルガルはすぐに気づいたのにシャル・カリは無反応だった。  忘れ去られているのかと寂しい気持ちになったが、自分から口に出すのもみっともないし王子にアピールしたいわけではない。  無難に役目をこなしたい、それがアクルガルの使命で、決して目立ちたいわけじゃない。  とにもかくにも。 「いえ、それは人違いではないでしょうか」  きっぱりとアクルガルは王子に主張した。 「俺には身に覚えがないことゆえ、王子様からおっしゃっていただいて、王女様の誤解を解いてはもらえないでしょうか」 「アクルガルは姉上と結婚したくないの?」  上目遣いに問いかけるシャル・カリ。  アクルガルはこれまたきっぱりと頷いた。 「はい、まったく」  自分のような者が魔王女をいただくなんて考えられない。 「そう、わかったよ」  シャル・カリは嬉しそうにはにかんだ笑顔になった。 「ふふ、アクルガルはボクのものだものね。姉上にハッキリ言っておくから安心して」  意味不明な部分は聞き流して、アクルガルはほっとして頭を垂れた。  ところが。 「ごめんよ、アクルガル。ボク姉上に逆らえなくて……」  神妙な表情のシャル・カリに不首尾に終わったことを知らされ、アクルガルは呆然となった。  王女が人違いだと納得しさえすればムチャな結婚話など流れるだろうと安心していたのに。  なんとか断らなければと苦心するアクルガルをよそに王女との結婚話はあっという間に周囲に広がり、 「良かったなあ! アクルガル! これで箔が付くってもんだ」 「でもなんだってまたアナタが選ばれたのか……」 「ふん。羨ましくなどないぞ。おまえは四天王最弱の男。これくらい下駄をはかせてもらっても我らに並び立つほどでは」  お祝いムードが盛り上がり、上司も部下も使用人たちも当のアクルガルを置いてけぼりにして婚礼の準備を進めていく。 「なんだよ、ほんとは結婚したかったんだね、アクルガルのばか!」  唯一の味方かと思われたシャル・カリにも背を向けられ、アクルガルは祭壇に連行される供物のような心境で婚礼の日を迎えたのである。
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