第七話 アンシニカの瞳

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第七話 アンシニカの瞳

 そのころ、ワレスはカースティと同居していた。妹のような恋人のような、どっちにしろ大切な家族だ。  だから、カースティの誕生日のお祝いに、何か形の残るものをプレゼントしようと、ワレスは宝石店へ足を運んだ。  豪邸の多い貴族の屋敷街にほど近い。宮殿からまっすぐにのびた大通りにある、ひじょうに高級で格式高い宝石店だ。間口はせまいが、ほとんどは店舗での販売ではなく、貴族からの注文で成り立っているので、見ためはわりと小さい。  ワレスの場合は女に宝石を贈るより、女から宝石を贈られるほうなので、めったには来ない。しかし、それにしても、目立つ黄金の髪を店主は見おぼえていて、一見(いちげん)で入っても快く迎えられた。このジゴロはパトロネスが大勢いるから羽振りがいいと思われたに違いない。  店内には金銀細工や宝石の指輪、首飾り、髪飾りなどがならんでいる。それらがランプの明かりにきらめいて、なんとも華やかだ。もっとも、店さきに置かれているのは、この店のなかでは手ごろな値段の品物だろう。ほんとに貴重で高価な宝石は、奥で大切に保管されているに違いない。 (店さきのやつでも金貨十枚からか。さすがに高級店だな)  ワレスはどれがカースティに似合うか、どんな服装でも映えて年を重ねても使えるデザインはないか、などと、あれこれ妄想しながら選ぶのを楽しんでいた。  首飾りは座金にたくさんの金を使うし、宝石の数も多く、総じて値段が高い。ジゴロのお小遣いで買うには、ちょっと値が張る。それに、あまり派手すぎる宝石を身につけていると、それを狙って強盗に襲われるかもしれない。庶民が持っていてもおかしくないていどでなければならない。  しかし、指輪はたいてい恋人同士で贈るものだ。カースティはワレスにとっては妹だから、指輪は変だろう。  そう考えると、ブローチか髪飾りがちょうどいい。 「妹にプレゼントするのに、髪飾りとブローチのどちらがいいと思う?」 「妹さまですか。髪は何色でございますか?」 「赤毛だ。夕映えの空みたいなオレンジ色なんだ」 「たいそう華やかですね。それでしたら、エメラルドを埋めこんだ髪飾りがよろしいかと。髪色に映りますよ」 「それがいいな。カースティの瞳はグリーンなんだ」  店員との会話に心をはずませていたときだ。あとから入ってきた女が、ワレスの背後に立つのに気づいた。ワレスを壁のようにして、店員の死角に入っている。  三十代だろうか? あるいはもう四十にはなっているかもしれない。二十歳のころには、かなりキレイだったかもしれないが、今は少しやつれて見える。  栗色の髪のどこにでもいるユイラ人だが、ワレスは彼女が入ってきたときから怪しんでいた。やけにチラチラと店員を気にしすぎる。  そのうち、ワレスの立ち位置を利用しだしたので、店員と話すそぶりをしながら、じっと観察していた。  すると、思ったとおりだ。 「エメラルドなら、奥にいいのがございますよ。大粒ですが、意匠が上品なので派手すぎません。少々、お待ちを」  店員が宝石をとりに奥へ行ったすきに、サッとブローチをふところに入れた。いや、入れようとした。その手を途中で、ワレスがつかむ。 「どんな理由があるか知らないが、おれを共犯にされては困るからな」  ワレスはみなしごだから、生活苦というものを知っている。盗みをしなければパンも買えない者が世の中にはいる。だからと言って、自分の見ている前で盗みなどされては迷惑だ。ましてや、せっかくカースティのための買い物を楽しんでいたのに、これじゃ台なしだ。  女はうなだれて、ポロポロ涙をこぼした。 「すみません。これはもともと、わが家の宝だったのです。でも、暮らしのために売ってしまって……母が死にかけているの。だから、どうしても最後にひとめ、母のお気に入りのこのブローチを見せてあげたくて……」  ブローチは家紋をかたどった黄金の浮き彫りだ。今はなげ売りされているが、もともとはどこかの貴族が職人に作らせたものだ。それも家紋入りだから、正式な場につけるために作ったのだろう。よほどのことがなければ手離すはずがない。零落(れいらく)ぶりがうかがえる。  ちょうど、そこへ店員が奥から戻ってきた。 「おや、お客さま。いかがなされましたか?」  女が手ににぎったままのブローチを見て、店員は眉をしかめた。このままだと、ワレスが心配したとおり、盗みの共犯だとかんぐられかねない。  ワレスは嘆息した。 「このブローチと、その髪飾りをもらおう。品のいい優美な髪飾りだ。きっと、妹に似合う」 「ありがとうございます。天鵞絨(ビロード)にお包みいたします」  金貨百枚とブローチぶんで、ワレスの有り金はつきた。が、どうせ、お小遣いは、ねだれば誰かからもらえる。  店員から箱入りの装飾品を受けとると、ワレスは女をつれて店を出た。 「これをやるから、おれの前から消えろ」 「ありがとう。ありがとうございます」  もうこれで会うこともないだろう。女が何度もふりかえりながら去っていくのを、ワレスは見送った。
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