第六話 廃墟の恋人

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 美女はロズリーヌと名乗った。 「ワレスはパーティーに招かれたお客さまなの?」 「まあ、そんなところかな」 「お父さまが今夜、わたしの婚約者を決めるとおっしゃるの」 「あなたに求婚しているのは、誰々だったっけ?」 「ル・イダ伯爵令息、ル・マルセイ子爵令息。それに、ル・トーバ男爵よ」  たしか、リュックが話していた言い伝えの令嬢の求婚者も伯爵令息、子爵令息、若い男爵だったはずだ。設定をちゃんと守っている。しかし、パーティーというには邸内が静かすぎる。 「客が見あたらないが」 「パーティーは夜からだもの」 「もう夜のはずだが?」 「まだ日は暮れていないはずよ。でも、今日は天気が悪いわね。こんな日に婚約発表だなんて、なんだか不吉だわ」  なるほど。窓を見ると雪が降っていた。 「あなたはさっき、アルベリクを探していたね? それはあなたの恋人かな?」  令嬢は微笑した。 「アルベリクはわたしの大切な猫よ」 「じゃあ、おれを猫とまちがえたのか?」 「ごめんなさい。音がしたから、てっきりアルベリクだと」  ワレスは令嬢の手をにぎる。 「なら、探さないと」 「えっ?」 「大切な猫なんだろう?」 「ええ」  二人で猫を探した。  いつのまにか、薄曇りの夕方のように、邸内はいくらか明るくなっていた。さっきまで夜だったのに、リュックたち、そうとう舞台効果に力を入れている。 「なかなか見つからないな」 「アルベリクは人見知りの激しい子だから、集まってきたお客さまを見て、どこかへ隠れてしまったんだわ」 「どんな猫?」 「黒猫よ。瞳は片方が金色。片方はグリーン。鈴を通した赤いリボンを首にむすんでいるの」 「なら、近づけば鈴の音がするはずだ」  猫を探して、屋敷をさまよう。屋根裏や、地下室、客室の一つ一つまで。貴族の邸宅にしては、こぢんまりしているので、さほど時間はかからない。 「疲れたろう? 少し休もう」  客室のベッドによこたわる。心地よい花の香りがした。が、調度品はわりと質素だ。ロズリーヌの家は贅沢ができるほど金持ちではないらしい。 「ああ、わたしも猫になって消えてしまいたいわ。そうしたら、今夜をやりすごせるのに」 「ロズリーヌは結婚したくないの?」 「うちは貧乏でしょ? だから、わたしがお金持ちと結婚しないと、もう暮らしていけないのよ」  これほど美しく生まれたのに、生活のために身を売らねばならない。貴族に生まれても、誰もが幸福なわけではない。 「求婚者たちを好きではない?」 「ル・イダ伯爵令息は退屈だし、マルセイ子爵令息は乱暴なウワサしか聞かないわ。男爵はお金儲けの話しかしない、がめつい人よ」 「最悪だね」 「でしょ?」  窓の外をながめるロズリーヌの目は涙ぐんでいる。  ワレスはそっと彼女の肩を抱きよせた。 「猫を探す? それとも、恋をする?」  真顔でワレスを見つめたあと、ロズリーヌは微笑する。 「あなたとなら、恋をするわ」  パーティーが始まるまでの、あわただしいが濃密なひととき。  純白のシーツに赤い花を咲かせて、初めての恋を堪能したロズリーヌは、ワレスの腕のなかで涙を流した。 「これで思い残すことはないわ」 「また来るよ。あなたがさみしいなら」 「いいえ。いいの。アルベリクが待ってるから、行かなくちゃ」 「ロズリーヌ?」  なんだか急速に眠くなり、視界がゆらぐ。  ワレスはいつしか寝入っていた。  夢を見た。夢のなかでは、ロズリーヌが塔にのぼっていた。屋敷の裏手にある古い時計塔だ。塔のてっぺんで、ロズリーヌは窓をあけはなち、小さな長椅子によこたわる。窓から雪が吹きこみ、やがて彼女を白く染めていく……。  塔の上から鈴の音がするので、家人が行ってみたときには、もうロズリーヌは冷たくなっていた。病弱な彼女の心臓は、あっけなく止まってしまったのだ。 (ロズリーヌ……)  ——戻ってこいよ。そこは寒いだろう?  ——あなたが来てくれたから、いいの。  目がさめると、ロズリーヌはいなくなっていた。ベッドにはワレス一人。まだ夜中だ。もとのように月光が青白くさしこんでいた。  階下で人のさわぐ声がする。  ワレスは服を着て、そこまで歩いていった。リュックとレノワがさわいでいる。 「だから、おまえをだますつもりなんかなかったって」 「じゃあ、なんで、おれの前にとびだしてきたんだよ」 「まちがえたんだよ。てか、ひとりぼっちなんだぞ? 怖いじゃないか」 「あんたが自分で仕掛けたんだろ?」 「そうだけど!」  ワレスは階段をおりて、二人の前に近づいていく。 「リュック。やっぱり、おまえのイタズラか。だと思ったよ。仕掛けておいて、自分が一番怖がれるなんて、幸せなヤツだな」 「く、クソ。おまえのそういうとこが嫌いなんだ。見てろ。いつか、ギッタギタにしてやるからな」 「言っとくが、おれがおまえに泣いて謝るなんて、一生ないと思うぞ?」 「うぐぅ……」 「おとなしく、おれの顔だけながめてろよ」  クスクス笑いながら、あごの下をなでてやると、猫みたいにおとなしくなった。 「さてと、じゃあ帰るか」  ワレスが言うと、リュックたちは黙って歩きだそうとする。 「待てよ。ロズリーヌもいっしょにつれて帰ろう。一人で残していくなんてかわいそうだ」 「誰だよ? それ」 「何言ってるんだ。おまえが仕込んだ役者だろ? 幽霊のふりして廃墟で待たせるなんて、おまえもヒドイやつだな」 「……」  黙りこんだリュックの顔つきが、なんだか、ただごとではない。 「……なんだよ?」  ゴクンとツバを飲み、リュックはふるえる声で言う。 「おれの用意した役者って、なんのことだ?」 「だから、おれをおどろかそうとして仕掛けてたんだろ? あんな美人、劇団にいなかった気がするんだが、新人か?」  すると、リュックが虚空にむかって手招きする。階段の下から現れたのは、カツラをかぶったサヴリナだ。なるほど。途中で消えたのは、そのせいだったらしい。オバケ役として再登場するつもりだったのだ。  ワレスは首をふる。 「ロズリーヌだよ。銀髪に水色の瞳の、ものすごい美女」 「そ、そんなの……おれは知らない」  嘘をついている顔ではない。  しばらく目を見かわしたのち、リュックたち三人は悲鳴をあげて玄関へ走っていった。  そのとき、ワレスの背後で、チリンと鈴の音がした。ふりかえっても、そこには誰もいなかったが……。  認めたくないが、ワレスは本物の令嬢に会っていたのかもしれない。 「……さよなら。ロズリーヌ。君のこと、忘れない」  暗闇で微笑む人の気配を感じたような気がした。  そのあと、ワレスは何度か、クルスミ畑にかこまれた屋敷を一人でおとずれた。だが、ロズリーヌには二度と会えなかった。  意に染まぬ婚姻に絶望して、清らかなまま天に召された乙女。  きっと、ワレスとのひとときの恋に満足して、旅立っていったのだろう。  了
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