【短編】給料を倍にしろと言った結果

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ー1ー  小会議室は不穏な空気に包まれている。狭い所にチーフと2人きり。特に仲が悪いわけでないが、話が給与に関することなので、殺伐となりがちだ。 「坂崎(サカザキ)君ねぇ。気持ちは分かるけどさ、ウチもなかなか厳しいんだよ」  チーフがうんざりした声で言う。そして、油まみれのヌルッヌルのメガネを、指先でクイと持ち上げた。顔ぐらい拭いてこいよと思う。 「厳しい厳しいなんて言葉、もう聞き飽きたんだけど?」 「いくらなんでも、給料を倍にしろって。通るわけ無いでしょ」 「オレは十分に成果出してんだから、シッカリ報いろよ」 「そう言われてもね、会社全体では赤字なんなよ。ウチはクライアントからの報酬だけで売り上げ立ててるから、それが上がらないことには……」 「じゃあ交渉すりゃいい。賃上げブームに乗っかる形で」 「簡単に言わないでよ。上がるどこから、むしろ締め付けが強くなってるくらいさ」  やっぱり難色を示しやがった。ならばオレも、秘策を使わざるを得ない。 「あっそ、全然意見を聞いてくれないんだ。それならチーフの秘密、バラしちゃうよ?」 「おかしな事を言い出すね、急に」 「オレ知ってんだよ、アンタが会社の金を注ぎ込んでるって事。人事か経理に告げ口しちゃうよ?」 「それは何か証拠でもあるの? 無意味な言いがかりは止めてくれないか。そんな態度は立場を悪くするだけだよ」  脂ぎった顔が、徐々に赤く染まっていく。心なしか、鼻息も荒くなっているようで、痰の絡んだ吐息も耳障りだ。  チーフへの揺さぶりは失敗だった。不正については、何となく流れで持ち出しただけ。もちろん準備など追いついていない。  次はチーフを通さず、いきなり幹部連中に報告してしまおう。 「坂崎君。面談はお終いで良いよね? 正直言って不愉快だ」 「いや、まだあるし。だったら荒野川(アラノガワ)をクビにして、オレの給料を倍にしてくれ」 「また唐突な……。僕に人事権なんて無いよ」 「だってさ、あいつ全然仕事してねぇぞ。今度は証拠もあるから」  こっちは事前に、読みやすい資料を作成していた。内容は、過去半年の業務について、バカ丁寧にまとめあげた物。見た目にも気を使い、恨みつらみをエッセンスとした至極の断罪ファイルである。  一覧表の中で、社員別の業績をソートしてみる。すると、極端に悪い数字があぶり出された。 「見ろよここ。稼働率がみんな96%超えてるのに、荒野川だけ7%だぞ。ありえるか? 一桁代なんて聞いた事もねぇぞ!」 「いや、それはねぇ、難しい話で」 「難しい事あるか! 全員がテレワークなのを良いことにサボり倒してるに決まってるだろ! 7%なんて、1日にせいぜい30分程度しか働いてねぇって事だ! そんな体たらくで、他の社員と給料同額だとか許せねぇって!」 「ううん、何と言うか、サボりと断定するには早計のような……」 「だったら残りの93%はどこに消えたのか、説明してみろや!」  今のは効いた。やはり目に見える数字があると別物だった。  しかしチーフは粘る。なかなか首を縦に振らない。 「ええと、結局君はどうしたいと?」 「荒野川の分までオレが働いてやる。その代わり、あいつの分の給料も寄越せ」 「いや、大変だと思うよ? 特に適正が」 「30分かそこらの作業に、適性もクソもあるかよ」 「でもね、重大な事故が起きてからじゃ遅いし」 「事故? 業務はありきたりなWEBデザインなのに、一体何を――」  その時だ。会議室の窓が唐突に開いた。長い黒髪がビル風になびく。タイトスカート姿をいとわず、窓のヘリに立って、こちらを睨み続けた。  誰かと思えば荒野川。本人のご登場だった。 「話は聞かせてもらいました、お二方」 「荒野川君! どうして本社に。テレワーク中じゃないのかい?」 「打ち合わせの予定があったので。それよりも、私を解雇する相談ですか。正気とは思えませんね」 「僕は反対してるんだよ。でも坂崎君がしつこくてねぇ」 「なるほど。だったら試しに、私の業務を肩代わりしてもらいましょう。その間私は、有休でもいただくので」 「そんな無責任な!」 「やる気があるなら、どうにかなるかと。坂崎さん、いかが?」  2人の視線がコチラに向く。いかがも何も、望むところだった。 「楽勝だよ荒野川。お前のポジションを丸っと食ってやるからな。休み明けには机が無くなってんぞ」 「頼もしいのね。その威勢がどこまで保つか、見ものだわ」 「うるせぇよ。さっさと用件済ませてこいや、社内ニート」  結局、オレの意見は半分通った形だ。ここから1週間、荒野川の業務をオレが安定的に処理出来たなら、意見が通るらしい。  正直、笑いが止まらん。1日30分の業務を上乗せするだけで給料が倍になるのだから。人生はマジでチョロい。立ち回り次第で、ここまでイージーモードに出来るんだから。  この世に苦労ってものがあるなら、オレに見せて欲しい。そう豪語する程度には、上手く運んでいた。 ー2ー  朝。ドアのチャイムが鳴る。その音で目が覚めたオレは、重たい目蓋を擦りながら玄関へと向かった。 「一体誰だよ……こんな朝っぱらから」  モニターを起動して来訪者の顔を見る。画面越しに見慣れた制服は、大手運送会社のものだった。 「坂崎さん、お届け物でーーす」  その言葉で思い出す。今日から荒野川は有休開始で 、あいつの業務を肩代わりする流れになっている。業務に関係した諸々が、自宅に直接郵送されると聞いていた。  せいぜいパソコンくらいだろうと思うが、何が送られてくるかは聞いていない。 「坂崎さーーん、ご在宅ですかーー?」 「はいはい。居ますよ」 「あ、いらっしゃいましたか。良かったです。今すぐお渡ししても?」 「そりゃ、はい。渡してくれますか?」 「では大きいので、一旦玄関に戻ってください」  促されたので、とりあえず中に引っ込んだ。開け放った玄関からは、外の様子が丸見えだ。  だからオレは、目の当たりにした光景が信じられずにいた。 「オーライオーライ、オッケー!」  笛の音が鳴ると、宙に巨大なコンテナが出現した。そして無遠慮に、玄関にドゴンと押し付けられた。いや賃貸なんだが。 「では坂崎さん。荷物のお届けは完了しましたので、後はよろしくです」 「いや待て! これの中身は何だよ!?」  配達員は駆け去ったあとらしい。足音が既に遠い。  それからコンテナが開く、というより、蹴破られた。分厚い鋼鉄の扉が、耳障りな音を立てては玄関に転がった。 「グォォオオーーーッ!」 「ヒィッ!? なんだコイツ! 毛むくじゃらでズングリしてる4足歩行の生き物ッ!」 「クマァァーー! クマァァアア!!」 「あっ、クマなのか……って納得してる場合か!」  オレはとにかく逃げた。隣室に駆け込んで、咄嗟に隠れた。しかし我ながら失敗だと思う。部屋に残らず、窓から逃げるべきだったと。  オレはヒグマが室内をうろつく中、クローゼットに閉じこもり、息をひそめる事を強いられた。 ー3ー  家をヒグマに占領された。その様子を家主たるオレが、クローゼットの中からコッソリ眺めている。  何だこの状況は、と繰り返し考えるものの、答えはよく分からない。 「どんな理屈だよ、いきなりヒグマを押し付けられるって」  ヒグマはどう見てもクマである。赤い首輪はオシャレのつもりか。しかもその輪っかに、見守りカメラらしき物が垂れている。お前が見守られる側じゃないのかよ。  室内をグルグルとうろつくヒグマは、完全に我が物顔だ。そして、やたらと匂いを嗅ぎ回る。クッションにカーペット、そしてベッドを嗅ぎまくると、小さく鼻を鳴らす。それが何を意味するのかは分からない。 「何でも良いから、どっか行ってくれよ……。窓の外は自由の世界だぞ?」  しかし祈りは届かず、ヒグマによる物色は続いた。  すると、奴は冷蔵庫前で立ち止まった。そして、しつこく匂いを嗅いでは、ドアを開いた。動物と思えないほど滑らかな動きに、驚きを隠せない。 「冷蔵庫の構造を理解してるとか、頭良すぎだろ……!」  それから鼻を突っ込んでは、中身の物色を始めた。嗅ぐ動きに合わせて尻が揺れるのがムカつく。  だがその時、ヒグマは動きを変えた。後ろ足で立ち上がっては吠える。何か気に食わなかったらしい。 「クマっ! クマァァァ!」 「やめろ、引っ掻くなよ!」  たくましい爪が四方八方に舞う。あわれにも引き裂かれた壁紙。ここは賃貸だぞボケが。  「勘弁してくれ。早くどっか消えてくれよ……、うん?」  隣室からスマホのアラーム音が聞こえてきた。あと5分で仕事が始まる合図だ。  会社に連絡を入れなきゃ。このままではサボり扱いされかねない。だがヒグマの目を盗んで、無事スマホまでたどり着けるのか。考えただけで足がすくんだ。 「クソッ。打つ手なしじゃねぇか……。どうしたらいい!」 「クマッ? クマァ?」 「やめろ。スマホに興味を持つな、触るな。15万もした最新ナイフォンだぞ」 「クマーーッ!」 「食いもんじゃねぇよ噛み付くなって! あぁっ……!」  大破したスマホが床に落ちる。どうみても廃棄確定だった。奮発して、今月買ったばかりなのに。 「許せねぇ。あの畜生、今すぐブッ殺してやる!」  復讐心がオレに力を与えてくれた。幸いにもクローゼットなので、物で溢れかえっている。 「よし、これさえあれば奴もイチコロだ。覚悟しやがれ!」  オレはクローゼットのドアを勢いよく開けた。ヒグマも顔を持ち上げて反応する。  怖い。デカイ。強そう。あらゆる言葉が頭をかすめていくが、踏ん張る。なにせ今は最強武器があるのだから。 「食らいやがれ! チリンチリーーン!」  オレは手元の鈴を掲げて、力の限り鳴らした。  熊よけの鈴、なんて言葉があるくらいだ。つまりクマどもは鈴の音が苦手という事になる。そう判断したオレは、ためらいも無く鳴らし続けた。  手にした鈴は妙に小さく、音も甲高いのが気になるが、贅沢は言っていられない。力の限り鳴らし続けてやるだけだ。 「どうだ怖いかオラァ! チリンチリーーン!」 「クックックックマ……」 「笑ってんじゃねぇぞ、やせ我慢か? ナイフォンの恨みを思い知れ!」 「クマッマッマ……」 「もしかしてコレ。効いてない、のか?」 「クマァーー!」 「ひぃぃーーッ! ダメだったぁーー!?」  ヒグマは二本足で立ち上がると、両手の爪で襲いかかってきた。  オレはとっさに避けた。鼻先で爪が空を切る。怪我は無い。だが絶体絶命だ。このままヒグマに食われてお終いだろう。 「クソッ。こんな最期かよ……!」 「坂崎さん大丈夫?」 「その声は……荒野川!?」 「顔を上げないで、伏せて!」  言われるがまま横になる。すると乱射音と共に、窓ガラスが粉々に割れた。  どうにかして窓の外を見る。荒野川が銃を構えて撃ったらしい。彼女の体はワイヤーで吊るしているのか、宙に浮いた姿勢だ。もうスパイ女にしか見えない。  一方でヒグマはどうなったか。まだ動く。やはりプラスチック弾では、殺傷能力が乏しいようだ。 「私についてらっしゃいコグマちゃん。遊び相手になってあげる」 「クマッマッマ」 「こっちよ。おいで」  荒野川が腰のベルトをいじると、ワイヤーの巻取り音が響いた。それと同時に彼女の体も消えた。ツバメかと思うほどに、凄まじい速度で飛んでいく。  ヒグマもその後を追って、ベランダから飛び出した。もうオレの事など興味がないのか、脇目も振らずにといった様子だ。 「助かった……のか?」  オレは思わずリビングで倒れ込んだ。生きてる。怪我もない。その事が信じられず、体を無意味にまさぐってしまった。  すると、荒野川が再び姿を現した。ワイヤーで体を吊るしながら、ゆっくりと、優雅な仕草でベランダに。 「坂崎さん、無事みたいね。勤怠報告がないから、もしかしてと思って」 「ええと。とりあえずは、ありがとう?」 「気にしないで。私が勝手にやった事だから」 「ここは1階だから、わざわざ吊り下がって降りる必要は無いだろ」 「ともかく無事で何よりだわ。でも間一髪だったかしら?」 「コイツ全然話を聞かねぇな」 「これで分かったでしょう? 私が1日1時間も働けてない理由が。あのヒグマが原因よ」 「どういう事だよ?」 「私の業務は、ヒグマの脅威に晒されながら作業する事。あの猛攻を避けつつ仕事するのは、中々に大変なの」 「何だそのバカみてぇな仕事!?」 「雇い主が望むんだもの。仕方がないわ」 「クライアントの要望だってのか?」 「そうじゃなきゃ、私だってこんな危険に身を置いたりしないわ」 「なるほど。なるほど、ふむふむ」  頭の中で演算が繰り返される。そしてチーーン。目星はついた。 「荒野川。これから一儲けしようぜ。助けてくれたお礼に、金は折半してやる」 「何を企んでるの? 繁殖期のオスヒグマみたいな顔して」 「オレは人を脅すのが得意なんだ」  こうしてオレはアパートを後にした。会社は有休で強引に休む。  それから、オレ達のクライアントである『某カンパニー』まで急ぐのだった。 ー4ー  広々とした会議室に、自分の声が響き渡る。牛革ソファは座り心地抜群だが、ノンビリ座る気分ではない。  今は戦いの時だった。 「このようにして、私も含めた弊社スタッフは命の危機に晒されました。無意味に、です。何ら必然性のない危険を強いられた事は、まことに遺憾(いかん)であり、激しく抗議します」  オレは、クライアントの幹部共相手に、強く糾弾した。  しかし、相手は世界的企業の重役だ。いち市民でしかないオレの言葉など、響いた様子ではない。むしろ鼻で笑われるほどである。  もっとも連中の顔全てが、トイレットペーパーを巻き付けられているので、表情すらも分からないのだが。 「君ねぇ。何を言い出すかと思えば、実にくだらん」 「くだらない? 人が危うく死にかけたんですよ!?」 「無能な貧民どもが何匹死のうと、我々には関係の無い事だよ」 「ヒグマを意味もなく業務に組み込んだ理由について、お聞かせください」 「暇つぶしだよ。お前たちは大した身分でも無いのに、獣に食われるのは嫌だと見える。必死にもがく様は、見ていて愉快なのでね」 「そんな理由だったとは……。これはパワハラなんてものじゃない。殺人未遂です。警察に通報しますからね」 「無駄な事を……。やれるものなら、やってみるが良い。ともかく我々はこの辺で失礼するよ。時間の浪費は罪だからね」 「クッ……。何て奴らだ」  オレ達は煮えたぎった腹を抱えたまま、最寄りの警察署に駆け込んだ。  すると警察の動きは早かった。数日と待たずに逮捕者多数、家宅捜索にまで発展する騒ぎになる。  当然だが、某カンパニーは評判だけでなく株価も大きく下げた。時価総額が数千億円は溶けたそうで、ザマァ見ろと思う。 「やったな荒野川」 「そうね。あなたのお陰だわ」  夕焼け。土手の上で2人きり。長く伸びた2つの影は、重なりそうな程に近い。 「クライアントは、あれから何て?」 「ヒグマを引き取ると言ってたけど、断ったわ」 「どうして!? あんな危険な生物を手元に置いておくつもりか?」 「不思議なんだけど、謎の愛着が湧いてしまったの。それに、スリルを感じていないと、仕事が出来ない体になってしまったわ」 「それ、労災認定されんのかな……」 「細かい事は気にしないで。給料も上がりそうだし」 「クライアントが報酬をアップしてくれたからな。期待できる」 「ところで、この後は時間ある? お祝いにご飯でも食べない?」 「良いね。どこへ行く?」 「コンビニでオニギリ買って、飢野動物園(ウエノドウブツエン)に行きましょ」 「動物好きすぎだろ」  ちなみに数日後、突然チーフが解雇された。  あの野郎、ガッツリと会社の金を横領してやがった。だから動かぬ証拠と合わせて告発しておいたが、その日のうちにクビが飛んだ。そして空いたポジションに、オレがスイッと入り込んだ訳。  このようにして、オレは給料が倍になったのである。 ー完ー      
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