43人が本棚に入れています
本棚に追加
/42ページ
エピローグ
−episode 42
「Rose……」
「あら、おばあさま。お目覚めになったの?」
「ええ。もうこのような時間なのね……」
「そうよ。もうとっくにティータイムの時間は過ぎてしまったわ!」
Lunaは、自室にあるベッドの上から大きな古時計を眺めて、孫娘のRoseに話しかけていた。
「それほどじーっと大きな古時計を眺めて、どうしたと言うの? おばあさま」
「そうですねえ……お話したことはあったかしら? この大きな古時計は、私のお父様が時計職人に頼んで、作ってくださったのよ」
「あら、ひいおじいさまが?」
「ええ、そうなんです」
「そういえば私、一度だけ聞いたことがあるわ」
「どのようなことかしら?」
「お父さまが教えてくださったの。この大きな古時計はおばあさまの大切なものだから、無闇に触れてはいけないって」
「あら、そのようなことがあったのね」
口元に微笑みを浮かべて、Lunaは愛おしそうにRoseを見つめている。
「おばあさま!」
「ええ」
「私、本当は知っているのよ」
「なにをですか?」
「おばあさまが、心から本当に愛していらした人は、おじいさまではないのでしょう?」
「なぜ、そのようなことを言うのですか?」
「私の名前であるRoseは、薔薇の庭園から名前の由来が来ているでしょう?」
「ええ」
「お父さまに聞いたのよ。薔薇の庭園は、私が生まれた年にできたって」
「ふふふ、そうね。その通りですよ」
Lunaは、不敵に笑みを浮かべるばかりだ。
「私が生まれる前は、たくさんの種類の花々が咲いていたと聞いたわ。唯一、薔薇を除いて……なんて仰るんですもの」
「ええ、そうね」
「なぜなのかしら? って考えたのよ。けれど、お父さまに聞いても、なにも知らないと仰っていたわ」
「そうですね」
「それで使用人たちに聞いて回ったの。そうすると、一つだけ分かったことがあったのよ」
「……どのようなことかしら?」
「昔、おばあさまがまだうんと若い頃の話。それまではずっと、庭園には薔薇が咲いていたということを」
「ええ、その通りですよ」
「おかしいと思ったの。これほど綺麗な薔薇の花たちだもの。私が生まれるまでの間、薔薇以外の花たちが咲いていたなんて」
「そうかしら?」
「そうよ! 例え、おばあさまが私の誕生を祝って薔薇の庭園に戻して下さったのだとしても、疑問に思えたの。なぜか腑に落ちなかったわ。それで考え続けたの。そうすると分かったことがあったわ!」
「なにをです?」
「おじいさまが亡くなられたのは、私が生まれる前の年のことでしょう?」
「ええ、そうね」
「きっと、そこに秘密があるんだろうなって」
「Rose……、勘が良すぎるのも問題ですよ」
「あら、ごめんなさい。おばあさま!」
「あなたにも、いつかあなたの名前を明かす人が現れる時が来るでしょう?」
「永遠の愛を誓う人に、出会った時のこと?」
「そうですよ」
「それがどうしたと言うの?」
「もしその人を想いながらも、離れてしまった時があったならば」
「ええ」
「その人の名前を呼んでごらんなさい」
「……あら、名前を呼んだらどうなるのかしら?」
「さあ、どうかしらね? 実はあなたが思い当たる彼からは、名前の由来や意味を聞かされていなかったのよ」
「あら、そうだったの?」
「ええ。でも一つだけ言われたことがあったんです。どのようなことだと思いますか?」
「うーん、そうねえ。思い当たらないけれど……」
「『僕の名前に意味なんてないけれど、君が僕の名前を呼んでくれたなら、僕は君の元にいつだってどこにだって存在する』ってね」
「まあ、素敵な彼ね。おばあさま!」
「ふふ。そうでしょう? 彼がいなくなって離れてしまった時から、この部屋の窓から夜空を見上げる度に、何度も思ってきました」
「どのようなことかしら?」
「ああ、この輝く夜空を永遠に時間の中に閉じ込めてしまえればいいのに! って」
「素敵よ、おばあさま」
「だからあなたも、きっと分かるはず。あなたが彼の名前を呼ぶ時、その人はいつだってどこにだって存在するって」
〜♪〜
「あら、オルゴールの音色」
「夕暮れ時のお知らせね。もう五時になるわ」
「そろそろお暇しないと。ディナーの時に会いましょう、おばあさま」
「ええ……」
夕暮れ時に一人。Lunaは、薔薇の庭園で過ごした時間を思い返していた。
何年も何十年も、このように生きてきた。彼女の夢であった、いつかお城を出て大きな舞台で歌を披露すること。それは叶わなかった。そして庭師であった彼が航海士になった姿を、一目見ることもなかった。
彼が突然消えてしまった日、薔薇の花たちが切り落とされたことを知ったあの日。その時から、なんと無惨なことをするのだろう! と彼を恨む日が続いた。Lunaを置いて、どこへ行ってしまったのか。二人で語り合った夢は、どうなってしまうのか。来る日も来る日も、彼女は考え続けた。
王様が薔薇の庭園を植え替えたのは、約半年後のことだった。その頃のLunaは、ただ移り変わっていく庭園の景色を眺め、受け入れることしかできなかった。
十八歳の誕生日、隣の国の王子様と出会って、ダンスをした。永遠の愛を誓った人がいるにも関わらず、王子様と交流を持つことに、彼女は心苦しさを覚えた。それでもいなくなってしまった彼の隙間を埋めるように、王子様はただそばにいてくれた。
二十一歳になったある日。突然の知らせで、彼が亡くなったことを知った。
「航海士に、なっていたのね……!」
瞳からは、涙が溢れた。彼を恨んだ日もあったが、それでも庭師だった彼が夢である航海士になっていたことを知り、嬉しく思えた。
船の事故で亡くなってしまったことはもちろん悲しかったが、この四年の間に彼を恨むことは、なくなっていた。
そのようなことよりも、彼がどこかで幸せであること、夢が叶っていること、愛する人のそばで安らぎを得られていること。そのことを、なによりも願っていた。それでも若くして亡くなった彼の死は、彼女に深い悲しみを与えた。
「王子様!」
「プリンセス、どうされましたか?」
「あなたに、言っておかなきゃいけないことがあるわ」
「なにをでしょうか?」
「あなたに、私は永遠の愛を誓うことはできないの」
「なんと……僕と結婚はできないということでしょうか?」
「いいえ、そうではないんです」
「……では、どういうことか教えてくださいますか?」
「私、永遠の愛を誓った人がいます。だから、あなたと永遠の愛は誓えません。これからも、ずっとそうです」
「…………」
「だけれど、あなたとの間に、真実の愛を築くよう努力することを約束します」
「真実の愛、ですか?」
「ええ」
Lunaは、まだ幼いRoseには聞かせられないこの話を思い返し、感慨に耽っていた。自分の余命が残り少ないであろうことを理解している。
王子様は、非常にやさしかった。永遠に想いを馳せる人がいたとしても、そのようなLunaを受け入れ、一緒に真実の愛を築くよう努力してくれた。彼女は、王子様に深く愛された。
「それでも……」
と、Lunaは願う。航海士になった彼と生きて巡り合いたい。来世があるならば、彼を行かせなんてしない。どうしたって彼の手を離しはしない。
現世が許さない恋だったならば、来世は同じ立場で出会えることを願う。そのような一握りの思いだけで、彼女は生きてきた。ずっとLunaの心と記憶に、庭師の彼は残ったのだ。
そのような物思いに耽りながら、Lunaは大きな古時計を眺める。航海士になった彼が亡くなった後、彼の思い出にと父である王様が贈り物をしてくれた大きな古時計。時間が刻々と過ぎて行くのを見ながら、彼女は手元に置いてあった星屑のような砂粒が落ちた砂時計を、反対に向けて置き直した。
最初のコメントを投稿しよう!