混乱の先で

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混乱の先で

 「——とのことだ」  スズを病院に残し一人帰ってきたクスノキは、見たもの、聞いたことのありのままを淡々と述べた。  短くなった陽は既にとっぷりと暮れている。  店内は柔らかく、暖かい灯りで照らされているが、そこにいつもの賑やかさは在らず、代わりに肌を刺すような空気が漂っていた。  「そんなん認めねェぞ。オレはオレのやり方でやらせてもらうからな」  「例え、重彦殿がそれを望んでいなくてもか?」  「アイツの考えなんぞ知ったことか。オレァ、ジジイが守ってきたこの店を守る。それの何が悪ィ」  退っ引きならぬ張り詰めた空気の中、最も厨房に近いカウンター席に座る、クスノキとは異なる風体の男が口を挟む。  「ヤナギは相変わらず頑固だねぇ。息子たちが何て言うかもまだ分かんないのに。大体、君はまだ像を結べないだろう? どうやって営むつもりだい」  千鳥格子が粋な大正和装をした彼は、徳利を逆さまにしたまま答えを待った。  しかしヤナギは相当に憤慨しているのか、或いは正論を突き付けられたからか、厨房の奥から返ってくる言葉はない。  この店を守りたいと思っているのは、何も彼だけではない。ここにいるツクモたちは皆同じ思いでいる。  ところが現実に目を向けると、彼らにはどうしようもない壁がいくつも存在するのだ。これまでのように、重彦を陰からひっそりと支えるのとはわけが違う。  誰もがそれを分かっていた。  だからこそ、声を上げられない——上がらなかった。  「おら、これでいいんだろ」  言いつつ、深い臙脂(えんじ)色の暖簾を分けて出てきたのは、白い腰紐で丁寧に襷掛けをした浴衣姿の男。  誰もが見た目に覚えはなかったものの、そのぶっきらぼうな声色を知らないモノはいなかった。
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