変化の兆し

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変化の兆し

 「僕、もう行くね?」 ベッドから起き上がると、腰に手を回される。昨日散々やったのにまだ足りないのか、こいつ。大店の後継者は、気前は良いけどしつこいのが玉にキズの愛人だ。 「なぁ、俺の専…。悪い、何でもない。相変わらず早いな。俺からの贈り物ちゃんと持って帰れよ?」 僕は受け取った金の鎖を目の前にぶら下げると、朝日に透かした。繊細な凝ったものだ。 「…綺麗だな。でも僕、ご主人に詮索されたくないから普段付けられないけど。それでも良い?」 すると細身ながら筋肉の乗った身体を起こして愛人は僕を後ろから抱き寄せた。 「ああ、ロイが持っててくれるだけで良いよ。今度会う時着けてくれ。きっと似合うだろ?」    欠伸をしながら早朝の乗り合い馬車に揺られて、僕は一路お屋敷に戻っていた。久しぶりの休暇は愛人二人と時間差で会ったから流石に身体が怠すぎる。でも一方で性欲が満たされたおかげで気力充実、元気モリモリだ。 僕はどうも人一倍性欲が強くて、発散できないと体調が悪くなるんだ。だからしょうがなく愛人を何人も作ってるってわけだ。昔は恋人が居たけれど、どう考えても一人じゃ足りなくて、結局満たされなくてイライラして無理だった。 それから僕は真っ当な関係は諦めた。割り切って愛人を増やしたらすこぶる身体の調子がよい。愛人たちもその点を受けれてくれる相手ばかりだ。  ご主人の眠っているお屋敷に着くと、僕は裏口から自前の鍵で静かに入った。ようやく下働きや炊事係が起きて来るかどうかのこの時間は、静けさがこの屋敷を支配する。 何気に僕はこんな時間が好きだ。廊下の窓から見る王都の眺めは、朝日の光の雫を受けて昼間の喧騒など想像も出来ないくらい厳かだ。 自室に入ると簡単に湯浴みをして、爛れた夜の名残を洗い流す。切り替えてご主人の従者に変身だ。王宮役人の愛人に貰った香りの良い石鹸は最近のお気に入りだ。皆、何かと貢いでくれるけど、別に性欲さえ満たしてくれたら僕は何も要らないのにな。  『貴方のそんな所が良いのですよ。私もロイと愛人関係になってから、何も要らないと言われると返って何か贈りたくなってしまうって気づきがありました。まぁ大袈裟なものを貰っても困るでしょうから、最近評判のこの石鹸を使ってみてください。』 そう言って王宮役人に贈られた石鹸は、王族が使う様な凝った作りをしていて、早速使ってみたけれど、使い心地も良いし、強過ぎない香りも良い。胸いっぱい爽やかで仄かに甘い残り香を吸い込むと、僕は作り付けの衣装棚を開けて従者の衣装を身につけた。 はっきり言って衣装で働くのを決めても良いくらい、ここの従者服は仕立てが良かった。さすがは次男と言えども、侯爵家出身のご主人様という所なんだろう。僕は鏡の前で昨晩の名残が無いかチェックした。  鏡に映る自分は、背中迄の巻き毛をきちんと黒いリボンで留めた凛々しい男に見える。従者とすれば及第点だろう。濃い金髪は愛人を作るのを簡単にするし、緑がかった淡い茶色のペリドットの瞳は綺麗だと言ってくれる人も多い。 だからと言ってとびきりの美人でも無いし、中肉中背の普通の22歳の男は、伯爵家の三男という貴族の看板も背負っていて、愛人にするには丁度良いのだろう。それに淫乱だしね。やっぱり愛人は淫乱に限るでしょ。 僕はクスッと笑うと、唇にオイルをさっと塗って部屋を出た。  朝に必要な物を腕に抱えてご主人の部屋の扉をノックする。一度叩いただけで中から返事がした。僕のご主人は本当に見上げた雇い主だ。寝坊することもなく規律正しさの見本の様な人だ。 部屋に入ると丁度ベッドから立ち上がったご主人が、僕を見るともなしに湯浴みへ向かう所だった。下履きだけの姿はいつみても目の保養だ。仕事柄逞しく鍛えられた筋肉は盛り上がって逞しい。恒例の朝勃ちは布の下の存在を見せつけて、僕を舌舐めずりしたい気分にさせる。 僕は見つめ過ぎない様に密かに横目で楽しみながら、消えたご主人が立てる湯浴みの音を耳で拾いつつ、抑圧的に見える騎士服一式を整えたベッドの上に並べる。それから朝のお茶を入れて蜂蜜をひと匙落とす。  「昨日はゆっくり休めたか?悪かったな、休暇を取らせるのが遅くなって。顔色が悪かったが、すっかり良くなったみたいだ。」 まさか性欲溜まり過ぎで体調を崩したとか、この真面目な騎士であるご主人に言えるはずもなく、水滴を滴らせた色っぽいご主人に微笑んだ。 「アドルフ様、お陰様でゆっくりリフレッシュ出来ました。この休暇は湖まで足を伸ばしたんですよ。」 ご主人は優しく微笑んで頷いた。身体も良いけど顔も良いとか、仕え先としては全く文句のつけようも無い。僕は騎士服を身につけるのを手伝いながら、鏡越しに生真面目に整った顔を見つめた。  癖のある少し長めの黒髪を撫で付けて、引き締まった大きめの唇はもうすぐ三十になろうという男盛りだ。暗い焦茶色の瞳は何を考えているのか他人に気持ちを読ませない。 そろそろ妻帯する頃合いだろうに、そんな浮いた話も聞いたことがないし、男を囲ってるような気配も無い。僕がここでご主人に仕え始めてからもう直ぐ一年になるけれど、誰かをこの屋敷に連れ込んで来た事もない。僕はこんな男っぷりなのに勿体無いと思いながら、ご主人の騎士服の詰襟のスナップを引っ掛けた。 首から香るのは僕の大好きなウッディでスパイシーなもので、愛人たちに似た匂いをリクエストしても、誰一人同じ香水を匂わせたことはない。無意識に香りを吸い込みながら、僕は思わず手を止めた。  「‥ロイ?」 僕はハッとして一歩引き下がると、得意の微笑みを浮かべて鏡越しにご主人と目を合わせた。 「アドルフ様は相変わらず朝からスッキリしていますね。見習いたいですけど、私は鍛錬が足りない様です。」 するとご主人は、口元を引き上げて言った。 「…そうかい?ロイも今日はいつになくスッキリして見えるよ。よっぽど休暇で羽を伸ばしたのかな?」 暗に仄めかす様な事を言われて、僕はちょっと目を見開いた。こんな事言う様なご主人じゃないのにな。すると畳み掛ける様にご主人は言葉を続けた。 「今夜早目に戻るつもりだ。少しロイに話があるから、そのつもりでいてくれ。」  僕はご主人が仕事に出掛けた後、書類仕事の手を止めて物思いに(ふけ)った。僕に話とは何だろう。もしかしたら僕の爛れた生活がバレて、首になるのかもしれない。あの生真面目なご主人だったら、尻軽の僕が側で仕えていたら嫌だろう。 給金も悪くなくて、仕事も性に合っていたこの屋敷の従者の仕事を手放すのは痛い。ここを辞めさせられたら、大店の愛人に雇って貰おうか。腐っても僕は貴族だから、やれる仕事くらいあるだろう。でもアイツしつこいんだよなぁ。 三男の僕が今更実家の伯爵家に戻るわけにもいかなくて、頭を掻きむしった。まぁご主人に話を聞いてから考えよう。真っ当なご主人だから、いきなり今夜出て行けとは言わないだろうから。      「え?アドルフ様、何て仰ったんですか?」 ご主人は僕の前に置いたゴブレットに酒を注ぎながら、もう一度言った。 「新しい仕事を頼みたいと言ったんだ。私の愛人になる気はないかな、ロイ。」 ご主人の口から愛人などと言う言葉が出てきて、僕は思わず黙り込んだ。すると畳み掛ける様にアドルフ様は言葉を続けた。 「ロイが愛人を複数人持っているのは調査済みだよ。この週末に二人の愛人と楽しんできたこともね。そこで相談なんだが、私を愛人に追加してくれないか。」  僕は想定外の話の展開に動揺して、ゴブレットを掴むと半分一気に飲んだ。いつもなら、カッと身体が熱くなるのに、全然効かない。そりゃそうだ。こんなとんでもない話をされてるんだから。 「ダメだろうか。私は君の愛人としては文句ない相手だよ。夜出かける必要もないし、精力は旺盛だ。…今までそっち方面は屋敷に帰るまでに済ませていたのだが、仕事が忙しくてそんな余裕が無くなったんだ。 だからもし良ければ従者の仕事の一環として、私を愛人の一人にしては貰えないだろうか。私もロイが楽しめる様に善処するつもりだ。」  ご主人は本気だろうか。でもこんなとんでもない話をする時点で本気なんだろう。僕は残りの酒を一気に煽って呟いた。 「こう言っては語弊があるかも知れませんけど、私は愛人には感情と、金銭のやり取りを抜きに身体の関係のみを望んでるんです。だからご主人のアドルフ様とそんな関係になるのは良くないと思うのですけど…。」 そこまで言って、僕は毎朝見るアドルフ様の逞しい裸体とその昂りを思い出していた。ご主人とそんな関係になるのは良くないのは分かりきっているけれど、あの身体を味わえる機会を捨てるのは惜しいのでは? 割り切った関係で済むのなら、この提案を受け入れる?  少し強張った表情のアドルフ様は、手元のゴブレットをひと口飲んで呟いた。 「私から愛人になれと言うのは、従者であるロイに逃げ場がないのは分かっていたんだが。…悪かったね。忘れてくれないか。」 僕は立ち上って僕の動きを視線でなぞるアドルフ様の側に立つと、アドルフ様の持ったゴブレットを自分の口元へ持っていきながら、暗い瞳を見つめて言った。 「…良いですよ。愛人になっても。その代わり、愛人の時間は僕もアドルフ様を呼び捨てにしますけど。それで良いなら。」 目元を赤らめたアドルフ様は僕から目を逸らさずに、僕の口元へゴブレットの中身をゆっくり流し込みながら掠れた声で言った。 「…ああ、それで良い。契約成立だ。…ベッドへ行こうか。」  
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