3話 左京:一生独身でいい

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3話 左京:一生独身でいい

久我ホールディングスは外食産業をメインとする会社だ。 左京(さきょう)の父が始めた事業ではあるが、会社の規模としては大きい方だろう。 社長の一人息子である左京は、次期社長として常務の肩書を与えられ、それに見合う仕事も与えられた。 毎日毎日、朝から晩まで働き詰めだ。 そんな仕事ばかりの日々を送って何年になるだろうか。 今年で36歳になる左京は、まだ独身だった。 彼女がいなかったわけではない。 学生時代から、見目の良い容姿のおかげで男女問わずよくモテたが、左京は面食いだったので、むさくるしい男には何の感情もわかず、付き合うのは美人の女性ばかりだった。 だが、左京はプライドの高い彼女達を満足させることができなかった。 学生の頃から経営学を学び、いくつかの企業で働き、そうした修行を経て久我ホールディングスに入社してからも、左京は仕事に打ち込んだ。 勉強と仕事で忙しかった左京は、恋人が出来てもろくにデートもせず、連絡も取らずにいた。 『仕事と私、どっちが大事なの?』 というお決まりの台詞に『仕事』と即答する左京が、振られるのは当然のことだった。 そういうことが何度か繰り返され、二十代半ばを過ぎたあたりから、左京は恋人を作らなくなった。 恋人などいなくても、一夜限りの楽しい夜は過ごせたし、特定の相手がいない方が気楽だった。 ――このまま一生独身でいい。 左京はそう思っていた。 恋人との時間さえ作れないのに、誰かと結婚して暮らすなんて考えられない。 自分のペースで好きなように生きていきたい。 だから、周りの友人たちが次々に結婚していっても、焦りを感じたことはなかった。 むしろ、誰かに縛られる人生を憐れんでいた。 だから、まさか自分に結婚話が降ってくるなんて、夢にも思わなかったのだ。 + + + 専務室に呼び出された時、左京は仕事の件だと思っていた。 しかし専務室を訪れると、専務であり実の母である耀が、何故か応接用のソファに腰かけている。 「座って、左京」 促されるまま、反対側の長ソファに座る。 机を挟んで正面に向き合うと、耀は真顔で問いかけた。 「ねえ左京。あなたいつになったら結婚するの?」 「は?」 一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。 部屋には秘書もおらず、二人だけだ。完全にプライベートの話なのだと理解した。 「……忙しいんで、戻ります」 立ちあがろうとした左京を、すかさず耀が引き止める。 「待ちなさい。質問に答えてないわよ」 「結婚はしません。そう言いましたよね」 「冗談だと思ってたわ」 耀はわざとらしく驚いた顔をする。左京は苛々しながら答えた。 「本気です。だいたい、結婚なんてする暇なんてありませんから」 「でも、してくれないと困るわ」 「何故ですか?」 独身で何が問題だと、耀を睨みつける。 けれど耀は視線を受け流して、左京に名刺を差し出した。 「何ですか?」 訝しげな顔で、左京はそれを受け取る。 その名刺は、界隈で有名な高級料亭の名が記されている。 左京も取引先の接待でしか使ったことがない。 「明日の11時に時間厳守で。ブランオーニがいいかもね」 そのうえ、高級ブランドのスーツまで指定してくる。 「接待ですか?」 「ええ。そうね」 耀はニッコリと笑った。 その笑顔に左京は身構える。 ただの接待のはずがない……そう思ったのは正しかった。 「明日は、あなたのお見合いよ」 「……は?」 「スケジュールは空けておきました。安心なさい」 「いや、ちょっと待て!! お見合いって、俺の?!」 突然のことに、敬語も忘れて叫んだ。 「そうよ。あなたの」 「なんで勝手に決めるんだよ!」 「左京に任せてたら、一生結婚しないじゃない」 「だからしないって言ってんだろ!!」 話の通じない耀に、苛々しながら答える。 しかし耀は平然とした態度で左京を見据える。 「それじゃ困るのよ」 「困らないだろ!」 「嫌だわ。次期社長が独身のままだなんて、周りに舐められるじゃない」 「そんなことで見下してくるような会社とは、取引辞めればいいだろ!」 「あなたはそれでいいかもしれないけど、会社としては困るわ。そういうの」 そう言いながら、耀はまったく困った顔をしていない。 ついでに棒読みだ。耀の中で、左京のお見合いはすでに決定事項なのだ。 それを何とか覆そうと、左京は抵抗を試みる。
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